田舎の道草

田舎の道草徒然日記

「どげんかせんといかん」

2020-09-27 | 日記
かつて、東方見聞録において「黄金の国ジパング」と紹介されていた日本。
多くの金鉱山が存在しことに由来するとされている。

今、稲穂が黄色く色づき田んぼ一面を黄色で覆い何処までも広がる光景は、これもまた黄金の国。
頭(こうべ)を垂れた稲穂の収穫は近い。既に「新米祭り」が始まっているところさえある。

詠人(よみびと)が「実(みのる)ほど頭を垂れる稲穂かな」と詠み、凡人が年老いて頭を垂れるのは
どこだべと頭を垂れる。あああ!もう眠れない。「どげんかせんといかん」。

この夏の暑さを振り返り、イソップ物語「北風と太陽」の話を思い出す。
この夏、世間様の着ているものを脱がせるだけ脱がせた太陽、ここでも圧勝だった。
これから厚着に転じる季節を迎えるにあたり、北風の勝機は当分お預けとなるだろうか。
ただ、この夏の灼熱の太陽でさえ外せなかったマスク。
ここは「北風と太陽」に「特効薬」を加えイソップ物語「特効薬と北風と太陽」としたいものだ。
そして「特効薬」が大勝することを切に願う。コロナ禍「どげんかせんといかん」。

林檎を守る案山子のあるべき姿

2020-09-20 | 日記
毎年、林檎の収穫時期になると譲ってもらう農家が近くにある。
先日、前を通った時、母ちゃんが突然声を張り上げた。
農家の奥さんが木に登っているという。
その言葉からは、危機感とも、収穫時期を迎えたという安堵感とも感じられた。

近づいてみれば、見慣れた奥さんのエプロンを付けた案山子が木にくくりつけられていた。
奥さん本人でなくて本当によかった。

案山子の写真を撮らせてと訪ねてみれば「手抜きでね~。美人仕立てにすればよかった」と悔いていた。
こちらから奥さんにそっくりだと言わないでいてよかったと胸を撫でおろす。

今年はカラスに林檎が食べられる被害がひどく、案山子はその苦肉の策とのこと。
(「案山子のくくりつけられたこの木の林檎は絶対大丈夫だろう」
カラスにしてみれば怖いし、捕まればこうされると思うに違いないからと心のささやき。)

案山子の出来映えを気にしていた奥さん。美人に作り変えたりしないことを願うばかりだ。
案山子の出来映えが良すぎては、多くのカラスの関心をひき寄ってきてしまう。
そうなると林檎にカラスが食べられ? もとい、カラスに林檎が食べられてなくなってしまう。
実りの秋、美味しい林檎の収穫時期が待ち遠しい。



キジバトとの気になる関係を考える

2020-09-13 | 日記
近頃とても気になることがある。それはキジバトとの関係が疎遠になってきたこと。
たまに来ているキジバトと目を合わせると、一目散に飛び去ってしまうのは何でだべ。
ボッチのことを嫌いになって避けているのだろうかとても気になる。

たまにしか来ないため、設置した自動給餌器の餌の減りもまた極端に少なくなった。
当初設置した頃のあの減り方の激しさはどこにいってしまったのだろう。

キジバトが来ることが少なくなった原因は何かを多角的に推測してみた。
まず、ボッチとキジバトとの恋愛感情のもつれによる不仲説。
これは無い、絶対無い。他の野鳥と言葉を交わしたことも手を握ったことも無いボッチだから。
たまに遠くからボッチを見つめるカラスの熱い視線を感じることもあるが決して心を許してはいない。
キジバトと膝を交えて直接話し合ってみないと分からないが、おそらく何らかの誤解があるに違いない。

他に外的問題があるとすれば次のような説が考えられる。
野鳥社会でも人間との濃厚接触を避ける風潮が徹底されてきたのではないかという説。
あるいは、今まで経験したことのないような連日の猛暑に体調を壊したという不健康説。
また、キジバト達の核家族化や都会への憧れ強まり故郷を離れようとする都会志向説。
それと、当初遊び感覚で、ほじくってもほじくっても餌が出てくる給餌器の面白さに飽きがきたのかもしれない。
だとすれば、キジバトの遊びの世界にもアナログからデジタルへの進化が進みゲーム依存が高まったという説。

餌そのものを考えてみた時、餌に含まれていた他の種を除き、トウモロコシだけを選別したものに変更してみた。
キジバトが喜ぶと思ってのことだが、他の種が無いことが実はあんこの無い「ぼた餅」状態になっているのかもしれない。
他には健康面を考えての嗜好の変化説もまた考えてみる必要があるかもしれない。
以上、諸説あるものの「近頃、気になること」を解決することが何も出来なかった。
餌を売っているご主人に、キジバトとの恋愛問題、食生活について相談してみるとするべ。

「シェーン!!カムバック!!」
(西部劇映画より)

注:キジバトとの関係の諸説については、いずれも個人的感想であり感じ方に個人差があります。



給餌の働き方改革を試みて

2020-09-06 | 日記
キジバトへの給餌を開始して久しい。
キジバトの血縁関係を知る由も無いが7羽を庭で確認した。
与えられることでの安心感からか、「フライトディスタンス(警戒距離)」が縮まる。
近頃では、庭で仕事をしていると、ボッチの傍でウロウロしながら流し目で餌を強請る(ねだる)。
手のひらでの給餌が夢だが野生を失うことの不幸もまた心配だ。

餌台へ餌を置く回数を減らして楽しようと働き方改革を試みてみた。
「バードフィーダー【約1kgのエサを設置可能】」をインターネットでめっけ。

「野鳥用給餌器、餌が食べられると自然に餌が出てくる仕組み」の説明に魅せられた。
六角形の屋根を有し6羽が同時に食事することが出来る優れものだ。
残りの1羽は食べられないことになるが、そこは名前を記入していただき空くのをお待ち願うしかない。

給餌器の仕組みを理解するまでにそう時間を要せず、その先駆者はスズメ達だった。
フロンティア精神旺盛(個人的感想)なスズメは、みるみるうちに設置した1kgの餌を減らした。
餌のトウモロコシは食べずに弾き飛ばし、好きな餌だけを食べた。
初めキジバトは遠慮気味で、地上に落ちたトウモロコシを食べていたがそのうちにその仕組みを理解した。

働き方改革は失敗だったかもしれない。
食べれば食べるほど餌が出てくる仕組みに食欲を満たすとともに遊具として位置付け楽しんでいるように見える。
その結果、補給する回数が増えるとともに、野鳥達のウエストが増した。