田舎の道草

田舎の道草徒然日記

今日は何をしようか

2017-04-29 | 日記
今朝、ニワトリよりも早く目が覚める。
老人特有の早起きと思いきや、さに非ず。
今日から突入する大型連休中での湧き出ずる
思いへ興奮に違いない。
さりとて、この期間、具体的に何をするでもなく、
その葛藤がまた一層興奮を誘い、ますます目がさえる。
「春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く、夜来風雨の音、
花落つること知る多少」(孟 浩然(もう こうねん))
「春眠暁前に目が覚めて、暁をまだかまだかと
待ちわびる」(田舎の道草)

今年から始め、今日まで続けているものがある。
母ちゃんと二人で行うラジオ体操がそれだ。
二人で健康の重要性を話し合い、始めたもので
朝、出勤前の時間に行っている。

体操は以下の13項目からなるラジオ体操第一
1.深呼吸の運動
2.腕を振って足を曲げ伸ばす運動
3.腕を回す運動
4.胸をそらす運動
5.からだを横に曲げる運動
6.からだを前後に曲げる運動
7.からだをねじる運動
8.腕を上下に伸ばす運動
9.からだを斜め下にまげ、胸をそらす運動
10.からだを回す運動
11.両足でとぶ運動
12.腕を振って足を曲げ伸ばす運動
13.深呼吸の運動
以上13項目、しっかり行うと、結構よい運動になる。
二人でカードを首からぶら下げれば、さながら
子供の頃の、夏休みのラジオ体操を彷彿とさせる。

ほんのりと東の空がしらんできた。
さて今日は何をしようか。

「見ざる言わざる聞かざる」

2017-04-22 | 日記
外食を済ませ帰ろうと席を立った時、
スモールライトが点灯したままの車が
目に入った。客は我々ともう一組だけ、
そのカップルの車であることを確信した
私は「車のスモールライトが点灯した
ままですよ」と親切心で声を掛けた。
すると「遠隔操作でエンジンをかけた」
んだど。その応えは、冷たく、自慢気
だったナ~。

遠隔用スターターなるものでエンジンを
掛けたことに気が付いた。
電子制御が普及している現在、暖機運転
なんぞ不要。何より資源の無駄遣い!!
と、親切心が無駄になったことから、
ちっちゃな人間に変身した瞬間だった。

それにしても冬の寒い日、遠隔スター
ターで暖めた車に乗り込むことに
憧れる。暖かくてイイベナ~。

「ラーメンを すすって苦し 親切心」

「車のスモールライトが点灯したまま
ですよ」の親切心を「見ざる言わざる
聞かざる」がマナーの極意とするには、
あまりにも虚しい。
そしたら、「きいて!きいて!」、
目、口、耳を手で覆う三匹の猿の他に
四匹目の猿がいるんだと。
四猿を「しざる」と言って 、その猿は
両手で股間を覆っているんだど。

「親切心、親父の品格かき乱す」

山形まで花見に行って来た。
桜、今が見頃。春はいい。


























友好の懸け橋

2017-04-15 | 日記
此処でも、ようやく桜満開の季節を迎えた。
「春はいい、草木が一斉に芽を出す営みに
元気をもらい、草木が花で彩る営みに
希望と勇気をもらう。
春はいい、鳥のさえずりに、元気をもらい
暖かな陽射しに希望と勇気をもらう。
春はいい、そんな春がとても好きだ。」

冬期間、池の底、物陰でじっとしている
金魚、テツギョ、メダカに餌断ちを
してきたが、水温が緩む3月頃から餌を
与え始めた。
初めは、餌やりに池に近づくと姿を
隠していた金魚、メダカは、今では、
以前のように甘えて寄ってくるように
なった。
これって「餌の切れ目が縁の切れ目」
だった?
テツギョは、頑固もののようで、未だ
近づいてこない。
保護色のため確認しづらいがそれでも
ようやく3匹確認することが出来た。
5匹放したはずなのだが。
それにしても、金魚、テツギョ、メダカが
同居した池、新種の魚が待ち遠しい。

母ちゃんは、明日韓国語能力試験に挑戦。
頑張れ母ちゃん。合格して、
韓国問題、北朝鮮問題の平和的解決に
励め!!友好の懸け橋となれ!!

相手にしてくれないので、ゴルフの
練習にでも行ってくんベ。

甲冑に心馳せる

2017-04-09 | 日記
歴史の街、会津で生まれ育った者として
戦国時代の武具に魅かれるのは、至極当然
とするには、少し強引過ぎるだろうか。
子供の頃から、甲冑(かっちゅう)には
特に魅かれ、甲冑の絵を描いたり、版画を
彫ったり、作ったりしてきた。
何より遊びと言ったら、棒を振り回しての
「チャンバラ」ごっこだった。

茶道が、茶室や庭、茶道具の工芸、そして
懐石料理や和菓子などの食、点前(てまえ)
作法が融合した総合芸術であるとするならば
甲冑もまた、鍛冶、彫金、皮革、漆、組紐
など様々な分野の技術を駆使して製作される
総合芸術である。
甲冑に魅了されるのは、そんな美なのかも
しれない。
また、武士の死に装束としての甲冑には、
装飾とともに武士の潔さ、武士道も視え
そこに日本の美を感じずにはいられない。
攻撃する武具より、身を護るための武具に
は、常に死と隣合わせという、そんな哀愁
が漂い、そこにもまた美しさを感じさせ
られる。
城もまた護るためのものとして相通ずる
美しさを感じる。
護る側には、常に悲愁が生じるものだが、
そこに繰り広げられる人間模様が琴線に
触れる。
そこに甲冑の姿を重ね、日本の美とする
には横紙破りなことだろうか。
























神に見放され運の尽き

2017-04-01 | 日記
幼い頃の息子に、よく話して聞かせて
いたことをふと想い出した。
「むが~し、有ったんだド。
今、ね~んだド」で始まるこの話、
息子の心に、どんな影響を与えたかを
今考えるととても不安になる。
「道草をくって野原を駆け巡っていた
子供の頃、
ネイチャーコールズミー
(自然が私を呼んでいる)
により自然に身を任せた後、紙の無い
事に気付いたんだド。
そこで、近くに生えていだ、お肌に
やさしくて限りな~ぐソフトな葉っぱ
を摘んで、最後の行程に入ったんだド。
そしたら、ソフト過ぎたんだべな
なんと葉っぱが破れてしまったんだド。
『汚ネ!!』って、思いっきり
手を振ったら、今度は、近くに生えて
いた笹の葉っぱで指を切ってしまい
『痛デ!!』って言って、不覚にも
その指を舐めてしまったんド。
『・・・・』
紙に見放されウンの付いたお話でした。
お・し・ま・い。」

このお話は、あるブローガーさんの
「遊び心」で孟宗竹で作られたという
トイレットペーパーホルダーを
簡易トイレとして畑に置いた、
そんな写真を拝見して想い出したもの。
素晴らしいトイレットペーパーホルダー
がもっと昔に発明作られていれば
よかったのにと強く思った。

「親父の品格とは?」をいつも
自問自答する日々、永遠の課題だ。
思考回路のプログラム変更が求められる。