田舎の道草

田舎の道草徒然日記

産業遺物「手回し計算器」に触れる

2018-03-25 | 日記
「むか~し昔、あったんだど。今、ね~んだど」で始まる
そんな昔話の、おかしな切り出しに相応しい出来事があった。

昔、算盤で盛に計算していた頃、文明の利器と称され
登場した手回し計算器があったそうな。
そんな手回し計算器をこれまでに見たことも、触れた
ことも無く、話で聞く程度だったが、そんなタイガー
計算器と古道具屋で偶然に出会った。
いつも出会いは偶然で、「連れてって」と誘うような目が
わだスを虜にする。
昭和の産業遺物をまたひとつめっけ(見つけた)。

連れて帰った計算器に触れ、ハンドルを実際に回してみた。
計算したい数字を置き、ハンドルを回すことで得られる
四則演算の結果は正確だ。
計算の仕方に慣れないせいか、指折り数えた方が速く思えた
のは、気のせいカツラ。

算盤→手回し計算器→電卓とその変遷には、目を見張る
ものがある。
瞬時に計算結果を返す電卓が活躍する時代に、ますます
「昭和は遠くになりにけり」だべ。

ハンドルを回すことで得られる計算結果とは、なんと
アナログなことだべ。
そんなところが人間味に溢れとても親しみやすい。
国産計算器を製作したのは、大本寅治郎氏とある。
その名前からタイガー計算器と名付けたところにもまた
寅次郎氏の当時の達成感と自信が伝わってくる。
産業遺物に触れ、当時に心馳せてみた。






























生まれて初めてのマフラー点検

2018-03-16 | 日記
本日、生まれて初めて下部消化管の内視鏡検査を受けた。
便潜血陽性によるものだが、今回の血潜をバイクに例えるならば、
マフラーからガソリンが漏れ出したようなものだろうか。
検査の方法とすれば、マフラーの出口から、慎重に内視鏡を入れ、
管内に出来た突起物や傷んでいる部位、漏れて出している部位を
探し出すものである。検査結果は、異状無し。

歳を重ねれば重ねるほど、検査結果の「異常無し」のその響きに
この上ない嬉しさと安堵感が増す。

先日は、口から胃カメラによる検査をしたばかりであり、
今思うに、口から入れたカメラで、どうせならそのまま出口まで
診て・・・。

バイクのマフラーを変えることで、重低音のエンジンの鼓動を
楽しむことが出来る。「ドッドッドッド・・・」の重低音の
あの響きは、ライダーの心を掴んで離さない。
人間のマフラーといえば、体調によってその音を変えるものだが、
それもまた楽しからずや。頑張んブー。

我らシニアの使命は、「健康寿命を延ばすことにありと見つけ
たり。」頑張んブー。

下部消化管に対し、慰労と感謝の意を込め美味を贈呈した。
大変美味しゅうございましたブー。


詰め放題に本能と欲深さを見る

2018-03-10 | 日記
母ちゃんとの買い物における父ちゃんの任務は、新鮮な豆腐を
数ある中から探し出すことにあるが、そこに新たに加わった
任務がある。
それは、連携プレイによる食べ物の確保で、先日、500円
でのズワイガニの詰め放題において、その連携プレイを不動
のものとした。

その連携プレイとは、
母ちゃんがカニの足を束ね、父ちゃんに渡す。
父ちゃん、足の付け根から袋に押し込む。
母ちゃん、足を束ねて、父ちゃんに渡す。
父ちゃん足の付け根から、袋をはち切れんばかりに広げて
押し込む。
この父ちゃんと母ちゃんの様子は、客観的に見て、人間の本能、
として欲深く見えたに違いない。やってる本人が、そのつもり
で取り組んでいたのだから間違いない。
母ちゃんカニの足を束ねて、父ちゃんに渡す。
父ちゃん、足先の方から、既に詰め込められた、カニの隙間に
差し込む。
何回か繰り返した最後に、詰めたカニの上に足束を乗せる。
写真は、詰めたカニと、食卓に登場した全体の三分の一の量。





この写真をLINEで息子に送った時のやり取りの模様。
父「スーパーで500円でズワイガニ詰め放題、定められた袋が
はち切れる程詰め、欲丸出し。おかげで腹一杯美味しく食べた」
息子「こっ、これは!! 食べたいですな~。羨ましい。
GWには蟹食いたいすな!」

父「よろしく頼むよ(ご招待への嘆願の意)」
息子「ん~、一番よいのは、この詰め放題企画がGWにあること
ですね」
父「ん~今回の詰め放題で蟹絶滅したかも!?」
息子「絶滅危惧種に指定して保護に努めて下さい」
父「そだカニ~」
ここで通信は途切れた。

それにしても、詰め放題は、欲深き本能を呼び起こすものだ。
除夜の鐘と共に煩悩が払拭されたはずなのに・・・・。

「~なのに」繋がりで

柏原芳恵 春なのに

「これ食うかい」「そだね~」

2018-03-03 | 日記
「空海 -KU-KAI- 美しき王妃の謎」を観てきた。
「空海」の名に心魅かれ、彼方の世界も気になりだして
きた焦りからか、上映内容の事前学習もすることなく、
弘法大使のありがたいお導きと、功徳とは何かを得ようと
出かけてきたものの、あくまでも個人的な感想になるが
叶わなかった。

ただ、唐の都、長安の壮大な都と豪華絢爛な絵巻の中で、
タイトル「美しき王妃の謎」は、楊貴妃の死の真相に迫る
もので歴史的にも、それなりに的を得たものだった。

この上映会場の出入口で、上映終了後に出てこられる方々
をみて、皆それなりに、お歳を召した方が多く、弘法大使
のお導きを期待されてのことと察しられた。
気になったのは、出てこられる、お歳を召された方々に
笑顔は無く、満足に満ち溢れていたとは、あくまでも
個人的な感想になるが、言い難い。

程なく、母ちゃんとその時の様子の意味を知ることと
なったが、二人に笑顔はなかった。

高齢により、もとい恒例により、「これ食うかい(空海)」
「そだね~」と、近くの喫茶店で、口説く、もとい功徳に
ついてを論じ合った。