田舎の道草

田舎の道草徒然日記

気遣いと思い遣り

2012-02-19 | 日記・エッセイ・コラム

昨年の暮れ、「絆」という字で示されたように、震災により

被災された方々への支援、助け合いが広がり、人の心の

温かさ、気遣い、思い遣り、人と人との繋がりというものに

痛感させられた。

日常の中にも、当たり前のように気遣い、思い遣りが溢れ

れば、もっともっと皆が幸せになれると思うのだけれど、そう

いう事に気付かないのか、或いは、自分さえ良ければいいと

いう自分中心の振る舞いなのか、そういう事が目について

仕方がない。

電車の中で、もう少しどちらかに詰めて座ってやれば、もう

一人座ることが出来るのにと思う事がよくある。

また、右折する車は、もう少し中央に寄って右折を待って

やれば、後続の直進車が通り抜けることが出来るのにと

思う事もよくある。

地下道で、傘を手に持ち、腕の動きに任せて、大きく振っ

て歩いている人をよく見掛ける。

また、傘を脇に抱えたままエスカレーターに乗り、後ろの

人の目の前に傘の先が向いているというのも、よく見掛

けるが、どちらも他人に迷惑を掛ける行為であり、何より

危険極まりない。

道路の分離帯に、空き缶、ゴミ袋等が捨てられている

光景もよく目にする。自分の車の中は綺麗になって満足

なのかもしれないが、捨てられた空き缶、ゴミ袋等を拾う

人がいることに気付いてほしいものだ。

一部の人が、ちょっとした気遣い、思いやりというものに

気付いてくれさえすれば、「絆」が広がり、もっともっと

皆が幸せになれることを確信して止まない。