陽の昇る時刻が少しづつ早くなる季節の営みが冬至から
始まるが、そんな冬至まであと少し。
ますます寒くなる中で、夜の闇をトンネルに例えるならば
日の出が早まることで、出口のぼんやりとした明かりが
見え出してくるような、そんな季節の位置にやってきた。
昨日は、「日日是好日」のスクリーンを通して、
樹木希林さんに逢ってきた。
その「道」にしたがって、あるがままに生きることが
大事なのだとある。
「田舎の道草」にその「道」を引用するには、はなはだ、
おこがましいことだが、人生の道草をして、時間を要して
みることもこれ一興。
樹木希林さんは、「日日是好日」の意味を患いながらも
身をもって演じ、教示してくれたが、それがご本人の死と
重なり、熱いものが込み上げてきて仕方なかった。
歳を重ねて来た今、この教えが、人生の佳き道標となり
焦り、恐怖からの解脱の一助となるような気がする。
繰り返される長いトンネルもまた、今しかない人生の中で
おおいに謳歌したい。
副住職・広瀬大輔 記によれば、
「今日はよい日だ悪い日だという場合、天気だけでなく、
お金が儲かった・損をした、よいことがあった・嫌なことが
あったなど、ものさしで判断してしまう。
これは優劣・損得・是非にとらわれた考え方である。
日々是好日とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり
捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、
清々しい境地だ。
嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、
ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが好日なのだ。
好日の好は好悪の好ではなく、「嵐か、よし、嵐なにする
ものぞ!」、「失ってしまったか、よし、どうにかこれを
改善しよう!」と、積極的に生きる決意 "よし" が
この "好" だ。
禅では、過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、
まだ来ぬ明日に期待したりしない。
目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、
この一瞬を精一杯に生きる。
その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までに
ない、素晴らしい一日となる。」
始まるが、そんな冬至まであと少し。
ますます寒くなる中で、夜の闇をトンネルに例えるならば
日の出が早まることで、出口のぼんやりとした明かりが
見え出してくるような、そんな季節の位置にやってきた。
昨日は、「日日是好日」のスクリーンを通して、
樹木希林さんに逢ってきた。
その「道」にしたがって、あるがままに生きることが
大事なのだとある。
「田舎の道草」にその「道」を引用するには、はなはだ、
おこがましいことだが、人生の道草をして、時間を要して
みることもこれ一興。
樹木希林さんは、「日日是好日」の意味を患いながらも
身をもって演じ、教示してくれたが、それがご本人の死と
重なり、熱いものが込み上げてきて仕方なかった。
歳を重ねて来た今、この教えが、人生の佳き道標となり
焦り、恐怖からの解脱の一助となるような気がする。
繰り返される長いトンネルもまた、今しかない人生の中で
おおいに謳歌したい。
副住職・広瀬大輔 記によれば、
「今日はよい日だ悪い日だという場合、天気だけでなく、
お金が儲かった・損をした、よいことがあった・嫌なことが
あったなど、ものさしで判断してしまう。
これは優劣・損得・是非にとらわれた考え方である。
日々是好日とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり
捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、
清々しい境地だ。
嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、
ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが好日なのだ。
好日の好は好悪の好ではなく、「嵐か、よし、嵐なにする
ものぞ!」、「失ってしまったか、よし、どうにかこれを
改善しよう!」と、積極的に生きる決意 "よし" が
この "好" だ。
禅では、過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、
まだ来ぬ明日に期待したりしない。
目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、
この一瞬を精一杯に生きる。
その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までに
ない、素晴らしい一日となる。」