音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

浪漫 (リッキー・リー・ジョーンズ/1979年)

2010-10-27 | ロック (アメリカ)


ポピュラー音楽の世界では、突然、鮮烈なデビューをする人が結構多いが、後にも先にも、リッキーほど鮮烈かつ衝撃的な登場をしたミュージシャンは居ないであろう。彼女はまさに彗星の如くメジャーに現れ、そしてあれよあれよと言う間にその年の賞を総なめにした。だから、実は本当の彼女のことを知るのは、賞に輝いてから後に色々な過去が顕かになったものの、だからといって彼女の人間性を疑うものではない。

リッキーが売れたのには色々な理由があった。まず70年代後半のディスコブームにあきあきしていた事。映画「サタデイ・ナイト・フィーバー」以降、アメリカの音楽界はディスコブームが席巻し、正直なところ可なりつまらない時代であった。イギリスでは寧ろ、ニューウェープという新しいムーブメントが花開き、ポップ音楽は可なり面白いものになっていき、沢山のミュージシャンがダレ切ったアメリカ市場に殴りこみをかけ、数々のバンドが大成功し、第2のビートルズ、第2のストーンズと言われたが、アメリカではニューウェープも少し盛り上がったが、所謂、土着なアメリカンサウンドというものが生まれる気配は全く感じず、ベテランミュージシャンと、AORが少し元気だったが、それ以外はディスコであった。そこに登場した純アメリカンな音楽としての一筋の光が彼女だった。更に、彼女のサウンドは凄腕ミュージシャンがしっかりサポートしていた。ざっと挙げると、スティーヴ・ガッド、ジェフ・ポーカロ、ヴィクター・フェルドマン、ニック・デカロ、それにバックグラウンドボーカルにマイケル・マクドナルド等々、錚々たるメンバー、まさにアメリカン・オールスターズであった。そしてこのサウンドは、シングルカットにもなった1曲目の「恋するチャック」のイントロ、ドラムの一発目からはらわたに響く、いぶし銀な音をしっかり出している。まさにこの音、これがアメリカ人が待っていた音なのだった。更に、リッキーのなんともいえない透明感のあるヴォーカル。リンダ・ロンシュタットの様に時に太くはない。本当に透き通った、透明度の深い湖のような、そんな素晴らしい声が十二分に活かされる楽曲も見事である。前述のチャックも良いが、バラッドになるとその透明度は更に増して、「1963年 土曜日の午後」、「アフター・アワーズ」などはそれが存分に引き出されていて実に聴きどころである。もうひとつは音楽指向であるが、彼女はここに来るまでに多くの体験をした。10代で酒と麻薬に溺れ、妊娠中絶を経験するという荒れた生活を送り、ついには家出をして全米各地を転々とすることになる。そしてシカゴのクラブで歌いはじめ、そこで出会ったトム・ウェイツと同棲を始めたが、その後ローエル・ジョージ(リトル・フィート)の目にとまったことがデビューのきっかけとなった。だから彼女には、カントリーの素養もR&Bの素養もあり、更にこのレコーディング・メンバーの持つジャズテイストがふんだんに盛り込まれたが、それらのジャンルを超えて彼女がこの作品を作れたのは、やはり自身の多くの体験がすべて歌に反映されたのであろう。

アメリカでは凄い人気のリッキーだが、日本や欧州では然程話題にならなかったが、それはそうであろう。彼女の音楽はアメリカでしか分からないし、認められない。それはリッキーが当時のアメリカ自身だったからである。そして、実は中々彼女の様なミュージシャンは居るようで居ない、誰も真似が出来ないところがリッキーの価値を益々高めているのである。


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