あび卯月☆ぶろぐ

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なんと読むか「思惟」「有論」

2007-12-19 11:43:36 | 言葉・国語
哲学の講義のときに「思惟」を「しゆい」と読んだら教授から「いま、しゆいと読みましたが、誰からその読み方を教わりました?」と訊かれた。
私はもともと歴史畑の人間なので「「半跏思惟像」を「はんかしゆいぞう」と読むのでしゆいと読みました」と答えた。

教授曰く、日本哲学界において「思惟」を「しゆい」と読むのは京都学派で「しい」と読むのは東京学派なのだ、と。
なるほど、教授は私が京都学派のなんという教授からその読みを教えられたのか?と思われたのだろう。
無論、そうではなくて歴史用語(?)としての読み方をしたまでである。
ちなみにその教授は「しい」と読まれている。

他にも哲学の言葉で「有論」という言葉がある。
有論とは存在論の別名であるがこれも読み方が二通りある。
もともと、「ゆうろん」という読み方が大勢を占めていたが、あるとき、さる高名な京都学派の哲学博士が「これは「うろん」と読むべきである」と主張して以後、その弟子たちは「うろん」という呼び方をするようになった。
この読み方の違いによって学会で京都学派と東京学派の喧嘩が起こったことがある。
とある学会の研究発表において、京都学派の某教授が有論を「うろん」と読んだところ東京学派からクレームがついた。
そのあとは泥仕合。

「「うろん」なんて「うどん」みたいで変だ!」
「なにを!?」

・・・などというやり取りも実際にされたという。


こういう学派や大学によって読み方が違うという例は数多く存在する。
教育学界においてもペスタロッチなんかがその顕著な例だ。
ペスタロッチは近代教育の祖とされているスイスの教育者で、表記も一般に「ペスタロッチ」である。
ところが、旧広島師範学校の流れをくむ人たちは「ー」を追加して「ペスタロッチー」と伸ばす。
私が教職の授業でお世話になった教授は広島大学で研究されていた方で、広島大学時代に「ペスタロッチ」などと言おうものなら師匠から「なぜ伸ばさんか!」と糾弾されたという。

半分笑い話のような話だけども、大学関係者にとってはあるあるネタだろう。
学術用語の読みの違いは、学派や大学ごとの対立がその背景にあってなかなか興味深い。
教授の話を聴いて学派同士は仲が悪いのだなと改めて実感した。