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あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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『連合赤軍「あさま山荘」事件』

2006-06-18 00:08:21 | 書評・雑誌
佐々淳行さんの『連合赤軍「あさま山荘」事件』を読んだ。

かの有名な「あさま山荘事件」の警備を指揮していた佐々さんが綴った
ドキュメンタリー小説といったところ。
幕僚の側からみた事件の真相が詳しく書かれていて、大変興味深かった。

この作品は2002年5月に「突入せよ! あさま山荘事件」のタイトルで映画化されて
御覧になった方も多いかと思う。
実は私も以前にテレビでこの映画を観ていて、今回その原作である本書を読んだという次第。

特に読みどころといえば、警視庁と長野県警の軋轢。
警視庁と県警と、さらに警察庁の足並みがなかなか揃わず、苦悩する著者の姿が描かれている。
そういう意味で横の聯繋がうまくゆかない官僚機構批判の書としても読める。
じじつ、幕僚団の一人、丸山参事官が事件後の会見で
「あさま山荘事件での本当の敵はなんでしたか?」という質問に対し、
「一にマスコミ、二に警察庁、三四がなくて五に連合赤軍」と述べて話題になったという。(194ページ参照)

さて、マスコミが最大の敵だったという指摘は正にその通りで、
それを理解するには「あさま山荘事件」当時の社会情勢を知る必要がある。
当時は今では想像できないほど「左翼イデオロギー」が蔓延っていた時代で、
それを理解しなければ、連合赤軍のことも、赤軍が何故このような事件を起こしたかも理解しがたいだろう。

本書の一部を引用しよう。

いまと違って、あの頃はマスコミや世論がどちらかというと学生の反体制運動に同情的で、警察、とくに機動隊は権力悪の権化みたいな扱いを受けていた時代だったからだ。
あの頃は警察官の家族であるというだけで小学校などで日教組の教師から不当な差別をうけるという、今日の若い人には想像もできないようなイデオロギー優先の時代だった。


つまり、当時のマスコミは連合赤軍よりだったわけで、
丸山参事官が最大の敵はマスコミであったというのはそういうことである。
さらに、以下のエピソードが続く。

ある日次男の敏行が区立の中丸小学校から泣きべそをかきながら帰ってきた。
きけば担任のSという女教師に授業中に「このクラスの子でお父さんが警察官や自衛官の子供は立ちなさい」と言われ、次男がほかの警察官や自衛官の子供たちと顔を見合わせながら立つと、
S教師は「この子たちのお父さんは悪い人たちです、あんたたちは立ってなさい」といわれゆえなく立たされたというのである。
(中略)
親の職業で子供を差別して悪いこともしていないのに立たせるとは何事かと激怒した私は、早速校長先生に抗議した。
校長は「日教組には私も困らされています。でも相手が悪い。また子供さんにはね返ってもいけないから」と言を左右にして一向に煮え切らない。
「では教育委員会に公立小学校における親の職業による差別として正式に提訴しますから」と告げると、これはいけないと思ったのか、校長はS教師を家庭訪問の形でさし向けてきた。
S教師は「ベトナム戦争はけしからん、自民党政権は軍国主義復活を目指している。機動隊は学生に暴力をふるう権力の暴力装置だ」など日教組の教条主義的な公式論をまくしたてる。
一通り言わせておいてから「私の言っているのはベトナム戦争や全共闘のことではない。貴女は親の職業で罪のない子供を立たせるという体罰を加えたようだが、
小学校教師としてそれでいいのかと尋ねているのです。反省しないなら私は教育委員会に提訴するつもりです」という。
S教師はヒステリーを起こして「やるならやって御覧なさい。日教組の組織をあげて闘いますよ」と叫ぶ。
「どうぞ、私も貴女を免職させるまで徹底的にやりますよ。ではお引取りください。」と突っ放す。
すると免職という言葉にイデオロギーが負けたのか、突然S教師はフロアに土下座して
「そうぞお許し下さい。教師をやめさせられたら暮らしていけませんので」と哀願しはじめた。
私は呆れ果てて一応鉾をおさめたが、「あさま山荘事件」の時代はこんなひどい話がまかり通っていた時代で、
警察官の家族たちを取り巻く社会環境は、お世辞にも友好的と言えるものではなかった。


この女教師の態度には正に「呆れ果てる」ばかりだが、日教組の本質を表す興味深いエピソードである。

約千五百名の機動隊は命がけで人質の牟田泰子さん(当時三十一歳)を助け出し、
そのなかで、二名の殉職者(死亡者)と二十四名の重軽傷者を出すというあまりにも大きな犠牲を払った。
この機動隊の立派さは是非とも本書ないしは映画を御覧になって欲しいと思うが、
ここではもう一つ左翼のエピソードを紹介しよう。

事件解決後、三月一日の夜、日比谷野外音楽堂で開かれた
「三・一独立五十三周年、日韓条約粉砕、入管法、外国人学校法案国会上程阻止蹶起集会」
に出席した日本社会党の高津正道元代議士は

「連合赤軍はわずか五人で千四百人(ママ)の警察隊を相手によく戦った。今や社会主義運動は言葉だけでなくなった。
私は五十年もの間この日が来ることを首を長くして待っていた。これで革命も間もないことだろう」


という演説を行い、参加した六百人から大喝采を浴びていたという。

元社会党議員が大真面目にこのようなことを言って無事に済んでいた時代だったのだ。
左翼や社会党は平和を愛し、人権を守るなど大嘘である。
彼らは機動隊や人質の人権どころか命すらなんとも思っていないし、暴力革命を本当に望んでいた。
そして朝日新聞をはじめとする左翼マスコミがそれを煽っていた事実を私たちは忘れてはならない。
本書には朝日新聞(A紙と表記されている)の様々な醜態も描かれているが、それはもうここでは述べない。
朝日の醜態を論っていたらキリがないからだ。
それにしても、私が普段、左翼に対して並々ならぬ嫌悪感を抱いている事情も少なからず御理解いただけると思う。

実は本書を読んでもっとも感じたのはそのような「左翼イデオロギー」の時代に対する腹立たしさであった。

W杯を茶化す「論座」

2006-06-15 23:59:36 | 書評・雑誌
今月号の論座を読んでおりましたら、不思議な絵が眼に飛び込んでまいりました。

それは「GALLERY RONZA」という毎号、諷刺画を掲載しているコーナーでした。

「ニッポン!!ニッポン!!ニッポン!!」というタイトルが附けられたその絵には
中央にサッカー日本代表を応援する若い男性サポーターが描かれており、
その周りには戦時中の日本人と思われる人々が描かれている、という絵です。

男性サポーターは日の丸を頭上に掲げ熱狂的に応援している様子。
そして、その周りの日本人も日の丸の旗を持ち、万歳の恰好で日本を応援しているようです。
が、これはサッカーを応援しているというより、
出陣してゆく兵隊を見送るかのごとき様子。
左上には「神風」と書かれた織りも見えます。

実際の絵を御覧いただけないのが非常に残念ですが、
一言で言うと不快な絵でありました。
というのも、この絵はサポーターを茶化すだけにとどまらず、
戦中の日本人に対しても無礼な行いであるからです。
戦中に最も戦争を煽ったのは朝日新聞自らであった事をお忘れでしょうか?

そういえば、前回のワールドカップの際も
朝日新聞に「スタジアムで日の丸を振ったりペインティングしたりしている若者たちは、どちらへ向かうのだろうか」
とナショナリズムと引っ掛けてサポーターの行動を危惧する文章が載りました。

朝日の思考回路ではサポーターは軍国主義者にでも見えるのでしょうかねぇ?

私は前々回の記事で「W杯に興味が無い」という旨の小文を綴りましたが、
と同時にそれに熱狂する人々を馬鹿にする事は最低だとも指摘いたしました。
まさに、今回、「論座」はそれを行なったということでありました。

新ゴーマニズム宣言 第232章

2006-05-16 00:55:13 | 書評・雑誌
今号の新ゴーマニズム宣言は重慶爆撃についての話。

最近、ネット上では
「最近の小林よしのりはアメリカの悪口ばかり書いて中国、北朝鮮、韓国の批判をないがしろにしている」
などという批判をよく目にしていました。

私は小林さんが支那・朝鮮批判をしないからといって批判される道理はないので、
このような批判は批判にあたらないと無視していたのですが、
ネット上の声がとどいたのか、今回は中国批判の内容でした。
欄外にも竹島に対する韓国の態度を批判。
なるほど、確かに支那・朝鮮批判となるといつもより冴えている気がいたします。

さて、内容。

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支那事変の際の日本軍による重慶爆撃の被害者や遺族が日本政府に謝罪と保障を求めて訴訟を起こした。
が、マスコミは殆ど黙殺。
新聞でもほとんどベタ記事で朝日新聞でさえも大きく取り上げなかった。
そんな中、ジャーナリストの斎藤貴男は
マスコミはもっとこの訴訟を取り上げるべきだと憤っており、
「自分が日本という国でジャーナリズムに関わっていることが時々、恥ずかしくなる」と日刊ゲンダイで述べていた。
------------------------------------------------------

以下、斎藤氏の批判、重慶爆撃に対する歴史認識の誤りをことごとく指摘。
加えて、中国や日本のマスコミ、サヨクの批判と続きました。

斎藤氏は以前ここでも取り上げた人物ですが、左翼で有名なジャーナリストです。
そして、上にもあるように「ジャーナリストとして虚しくなる」だの「日本という国にいて恥ずかしくなる」だのという文章をことあるごとに綴っています。
そんなに虚しくなったり恥ずかしいのなら今すぐにジャーナリストを辞め、日本よりも余程上等な国(があるんでしょうから)で暮らせばればよいと思うのですが、それには至っていないようです。

ただ、小林さんが言うように私も斎藤氏の新自由主義批判や格差社会批判には同調するところもあります。
今号の「中央公論」に掲載された外資系保険会社批判もなかなか良い記事でした。
が、やはり斎藤氏の戦前の日本に対する評価はお話にならない。
山本夏彦さん云うところの「戦前戦中まっ暗史観」です。

結局、近年、左翼やサヨクが支持されなくなってきた背景には
左派の歴史や史実に対する目に余る無知が一番の大きな原因ではないでしょうか。
特にネットが発達したこともあり、そういう歴史の事実が一般にも知られるようになってきました。
中国の文化大革命にしろ拉致問題にしろ左派の言い分は悉くはずれてきましたし、
中国のチベット侵掠をはじめとする様々な暴虐なる行為を指摘してきませんでした。

一方、以前まで右翼と云われて来た人々の歴史認識や中国観、北朝鮮観はおよそ正しかった。
それが近年次々に証明されてきました。
俗な言い方をすれば左翼は嘘つきだったわけです。
嘘を言うつもりがなかったにしろ結果的に「嘘」であり「欺瞞」となりました。

また、戦後民主主義は個のエゴのみが強い人間を生み出し、
教育現場では学級崩壊をもたらし、
日本の美徳や伝統などあらゆるものが破壊されてきました。
最近になってようやく日本人はそれに気づいて、「このままではいけない」と思うようになったのだと思います。
戦後六十年、振り返ってみれば我々は多くのものを失っていました。
『国家の品格』が大ベストセラーになった背景はこれと無関係ではないでしょう。
左派は単に「日本が右傾化している」などと言っていますが、
この期に及んでまだ「嘘」を附く気のようです。
中国海軍からは領海を侵犯され、韓国からは竹島を不法占拠され、北朝鮮からは拉致をされ・・・
それでもいまだ一度の武力行使どころか経済制裁もしない日本のどこが右傾化しているのでしょう。
日本が今後、今の憲法を棄て軍事拡大をし、
日本人の多くが「支那・朝鮮を膺懲せよ!」と本気で支那・朝鮮と一戦交える気になった時、初めて右傾化と云ってよいでしょう。
無論、私は日本の右傾化を望みません。
假にそうなれば私は先陣をきって日本の右傾化を批判いたします。
が、日本が今後そのような国になることは万に一つもありますまい。

ゴー宣の感想を書こうと思って筆をすすめていたつもりが思わぬ方向にいってしまいましたが
およそ以上のようなことを考えさせられました。

「論座」と宮崎哲弥と渡邉恒雄

2006-05-12 03:25:36 | 書評・雑誌
最近の論壇誌で最も面白いのは「論座」かもしれない。
「正論」や「諸君!」は目次を見てもあまり読みたい気分にならない。
内容が悪いのではなくおよそ内容の予測がつくからだ。
毎回、中国朝鮮批判で少々食傷気味。

一方、論座は最近、新たな試みなのか保守系の論壇人を招いて記事を書かせたり対談を行なったりしている。

例えば三月号では正論の編集長を招き論座の編集長との対談記事が載った。
これはなかなか興味深く読んだ。

先月号も西部邁と八木秀次の対談が掲載されていた。
その中で西部氏が小林よしのりと訣別した旨の発言をしていたりと、なかなか見逃せない記事が多い。
(西部・小林の訣別はこの記事以外にままだ情報が出ていないようだ。)

論座のこういう姿勢は評価されてしかるべきだと思う。
ひとつ、「正論」や「諸君!」もこういう試みをやってはどうだろうか。
そうすれば、長い間、図書館だけで読むのを済ませていた「諸君!」を再び買い始めるかもしれない(笑)

同じ号に掲載されていた藤原正彦さんと記者の質問形式の記事は
藤原氏に喰ってかかるような質問の仕方で
戦後民主主義全面肯定・戦前全否定という立場から質問していたので
藤原シンパとしては不快だったが本人に直接逢って批判するという記事は論座以外には載っていないと思う。

同時に今まで一方的に保守論壇から叩かれていたきらいがあったが、
近号では「正論」や「諸君!」に対する批判記事も多くなった。
と言っても的外れな批判記事が多いことは否めない。

一方、中吊り倶楽部では宮崎哲弥が川端幹人の左翼的言動を諌めるやり取りが何度もあって楽しい。
しかし、小生、宮崎哲弥の思想的立場が一向につかめない。
たかじん委員会を見る限りでは親米保守という気もするし、
サイゾーでの連載では宮台真司と仲が良いようだし。
いつぞや、「敵対勢力に対抗するためには敵の陣地に入り込み中から撹乱させることが得策」という旨の発言をしていたので根は宮台に近いのかもしれない。

ところで、今号の中吊り倶楽部で宮崎氏は「格差の拡大と小泉構造改革の因果関係は証明出来ていない」とし、
今、格差が広がっているように感じるのは
景気が上向きになりつつも末端までに行き届いていないから起こる現象で
「一時的なもの」と断言して、川端幹人から小泉のシンパだとかなんとか揶揄されていた。
果たして、構造改革と格差拡大は無関係なのだろうか?


最後に。
二月号に載った渡邉恒雄・讀賣新聞主筆と若宮啓文・朝日新聞論説主幹の対談記事が完全収録されて緊急出版された。
小泉首相の靖国神社参拝批判で一致したことで、大きな話題となった対談記事である。
「大きな話題」になったのは言うまでも無く保守派と思われていた渡邉氏が首相の靖国参拝に反対したことにある。
じじつ、評論家の多くが「意外だった」「まさかあのナベツネが」というコメントをしていた。
ニュース23でも特集企画が組まれ、
筑紫哲也が渡邉氏と対談し、「驚きました」などと言っていた。

が、私に言わせれば渡邉氏の軍隊嫌いは有名だし、
靖国神社参拝批判を明言したのは最近だとしても殊更驚くことではない。
おそらく、驚いている連中は渡邉氏が元共産党員だということも知らないのではないか。
一般人ならそんなこと知らなくて当然だが、
苟も評論家やジャーナリストならば常識として知っておいて欲しかった。
私にとっては言論界においてもこの対談記事が「大きな話題」となったことが意外であった。

新ゴーマニズム宣言 第231章

2006-05-11 02:00:18 | 書評・雑誌
今回は格差社会批判の内容。
気になった箇所を二三指摘したいと思う。

まづ、格差社会の実情を指摘する文脈で以下のような記述があった。

上流の子供たちはには「人間っていいな」という差別替え歌が流行っているという。

♪いいな、いいな人間っていいなー
 冷たいお風呂に、腐ったご飯、
 子供の帰りを待たないオヤジ
 僕も帰ろう、おうちがないよ
 デンデンでんぐりがえしで骨折った


この替え歌は格差社会がもたらしたということらしいのだが、
まだ格差社会が問題視されていない十年前、
私が小学生の頃、歌詞は幾分違えどこの替え歌はあった。
無論、私は上流階級の人間ではない。
子供はどんな時代にもこのよなブラックユーモアを含んだ替え歌を作り出すもので
少なくともこの替え歌の例は格差社会の進行と関係無い。

もう一つ。

朝から晩までワイドショーとニュース番組が、同じ映像を洪水のように流している。
それが「世論」を作っているんじゃないか!
「情報」なしに「世論」は形成されない。


若者たちの間で「空気の読めないやつ」というのが馬鹿にされる傾向にあるらしい。
テレビも論壇も変わりゃしない。
空気を読んで商売しているだけだ。


テレビは世論を作るのか、それとも世論の「空気を読んで」いるのか。
一体、どちらなのだろうか。
この箇所を見る限りテレビは一方で能動的で一方で受動的だと取れる。
これを言い出したら卵が先か鶏が先かの議論になるかもしれないけども、
私は輿論をつくるのはテレビだと思う。
報道に関してはそれほど「空気を読むんで」いないだろう。
仮に「空気を読んで」いるのならば
ニュース23はあのような低レヴェルな反日報道はしないと思う。
その点、昨今の朝日新聞も大衆に迎合しないという意味では立派なのかもしれない。
産経新聞など以前は少数派で「空気を読んで」いなかったけれど、
今や多数派になりつつある。
といってもどちらも商売でやっていることには変わりないが。

それと、人間関係において空気の読めない者が馬鹿にされるのは当たり前ではないか。
「空気を読む」という言葉が使われるようになったのは最近だとしても、
集団の和を乱す行為をする者が嫌われるのは、殊に日本においては昔からそうである。
「時代の空気」に逆らうことはあってよいし、
むしろ、評論家などはそうであるべきだが、
その場の「空気が読めない」者が批判されても仕方が無いと思う。
つまり、マスコミが大衆に迎合するのと「空気を読む」のは意味が違う。
前者は言論態度で後者は処世術だ。
(空気を読むが全て括弧附きなのはそういう理由)


以上、格差社会批判の論旨には賛成しつつも疑問点を指摘した次第。

山本夏彦・著『誰か「戦前」を知らないか』

2006-04-27 00:17:38 | 書評・雑誌
山本夏彦さんの『誰か「戦前」を知らないか』を読み終えた。
形式は「室内」の二十代の女性社員との対談。
私は戦前に関しての歴史的な考証を踏まえた内容を期待していたのだが、
ほとんど、山本さんの思い出話と薀蓄話をという内容。

かといって楽しめなかったということではない。
山本さんと女性社員との掛け合いがリズム良く、
また、教養溢れる山本さんの語りが興味深かかった。
あくまでも山本夏彦さんが見た「戦前」であるけれど、
「戦前」の一端を知るには良い本だと思う。

本書の初めの方で「お尋ね者史観」という言葉が出てくるが、
いかにも山本夏彦さんらしい。

あなた方は戦前という時代はまっ暗だったって習ったでしょう。
「戦前戦中まっ暗史観」は社会主義者が言いふらしたんです。
社会主義者は戦争中は牢屋にいた、転向して牢屋にいない者も常に「特高」に監視されていた。
彼らにしてみれば、ざぞまっ暗だったでしょう。
転向しなかった主義者は戦争が終った途端にアメリカ軍によって解放され、凱旋将軍のように迎えられました。
短期間ではあるが「読売新聞」を乗っとりました。
労働者は唯々として従いました。(中略)
「日教組」はその巨大な組合の一つです。(中略)
彼らは日清日露の戦役まで侵略戦争だと教えました。
戦艦陸奥、長門の名も事典から抹消しました。
僕はそれを「お尋ね者史観」と呼んでいます。


ところで、山本さんは
「戦前、選挙権を欲しがった婦人は日本中で百人か千人だった(大意)」
と語っている。
この箇所は小林よしのりさんの『戦争論3』にも引用されている。
小林さんは少し前に、保阪正康の『あの戦争は何だったのか』を
史料価値のない裏づけ無しの匿名の証言があると批判していたが、
この山本さんの選挙権云々の証言も裏づけ無しではないか。

まぁ、こういう内容ばかりではなくて目次にある小見出しを掲げると、
大正(ご遠慮)デモクラシー、活動写真、郵便局、牛鍋の時代、ライスカレー、寿司そば、
ラーメン、教科書、女学校、きもの、ふみ書きふり、洋行、菊竹六鼓と桐生悠々

・・・などで殆どが方の力を抜いて読める内容。(最後に「桐生悠々」があるところがツボ)

あとがきで山本さんはこう述べている。

江戸の町人はまじめな話を眞顔でするのを野暮と恥じた。
すべてを茶にした。私はよき聞き手を得てまじめをかくすことを得た。


仰る通り野暮はありませんでした。

【書評】『沖で待つ』

2006-04-11 00:45:59 | 書評・雑誌
文藝春秋に掲載されていた芥川賞受賞作、
『沖で待つ』(絲山秋子・著)を今更ながら読んだ。

なんというか爽快な読後感。
私は普段、政治主義に堕した論文ばかり読んでいて、
小説はほとんど読まないのだけれど一気に読めた。
内容や表現が難しくないというものあるのだろうが、
逆に云えば読者を読ませる文体なのだと思う。

とにかくこの作品は可笑しかった。
面白いというよ「可笑しみ」があった。

特にこの主人公(及川)と太っちゃんの会話の箇所は声を出して笑ってしまった。


「パソコンって、壊そうと思って壊れるもの?ハンマーで破壊するの?」
「あー、なんもわかってねえな。HDDていうのはね、パソコンの中の弁当箱みたいなパッケージにディスクが入ってるの」
「データをごみ箱に入れれば済むんじゃなくて?」
「残るんだよ。官憲が見ればすぐばれる」
官憲って。



突然、官憲(笑)
不意打ちだった。
最後の“官憲って”というのは主人公と同時に作者自身のツッコミだろう。

少し不思議で可笑しい小説を読みたいのなら、『沖で待つ』を是非どうぞ。

『正論』四月号 「福田恆存・三島由紀夫の「戦後」」

2006-04-05 23:22:19 | 書評・雑誌
『正論』で今号から「福田恆存・三島由紀夫の「戦後」」という連載が始まった。
筆者は評論家で拓殖大学客員教授の遠藤浩一さん。

福田先生や三島由紀夫についての考察も去ることながら、
同時に遠藤さん自身の意見が述べられている箇所にも多く感銘を受けた。

少し引用する。

あるいは、昨今流行の女系天皇容認論も、
所詮「戦後」といふ異常な時代ならでの徒花ではないのか。
女帝容認論者たちと議論して感じるのは、畏れを知らぬ人々だなといふことである。
彼らは、皇統をいかに守り抜くかといふ巨きな問題を、
己の現実感覚といふ卑小なものに押し込める愚を犯してゐる。(中略)
彼らが依つて立つ現実は、たかだか六十年そこそこの間に醸成されたものでしかない。


これは本論とは脇道にそれた論だが大いに同意するところだ。

それにしても、福田先生の御写真はもっと良いものを使えばいいのに。


今号の「ゴーマニズム宣言」(06.2.22)

2006-02-14 00:58:11 | 書評・雑誌
今号の「SAPIO」誌上のゴーマニズム宣言はライブドア事件を通しての小泉政権批判でした。
(タイトルは「『ホリエモンの犯罪』の真犯人」)

堀江被告や新自由主義に関する批判は遺憾ながら(笑)小林さんと意見が一致してしまいました。

その中でも気になった主張や見解を異とする箇所についてここで論いたいと思います。(青字が引用箇所)

朝の報道ワイドショーを見ていると、ある小説家が「ホリエモンは、渋滞している高速道路の路側帯を走り抜けるドライバーみたいなものだ」と言っていた。

この「ある小説家」とは石田衣良さんですね。
私も朝の出宅まえに偶然このワイドショー(スパモニ)を見ていました。
以前まで石田衣良さんに好感を持っていなかったのですが、
この発言を聴いてなかなか巧い喩えをするものだと感心させられました。
さすが小説家(笑)

若者が反体制に憧れるのは昔からのことである。
だが、昔と違うのは、今は反体制=反権力とならないところだ。
今の若者は自民党という「権力」には「反」にならない。
「日本の常識・モラル・美徳」という「体制」に「反」になるのだ。
それならば今の小泉自民党は、若者より先に「反体制」になっていたのである。


なるほど。
どうやら私は若者ではないらしい(笑)
ただ、私の思想形態や言説は体制的であるけども、
権力に関しては反権力でも親権力でもありません。
なぜなら「権力」それ自体は悪でも善でも無いと思うからです。
ただ、正しく行使されるのを希望するというだけです。
そして、注目したいのは「小泉自民党」という表現。
今の自民党は本来の自民党ではないということを暗に示しているのでしょう。
いえ、今の自民党にも反小泉勢力は大勢居ます。
その点、私はまだ民主党より自民党に希望を棄てていません。

そして、次の引用箇所に注目。

民主党とて「日本的価値に反体制」である点では同じだ。(中略)
今や共産党こそが昔ながらの日本の美徳を守ることを主張している。
ねじれが凄い。


民主党も前原民主党と言った方が良いでしょうね。
ただ、菅直人が党首だった頃の民主党も前原代表と違った意味で「日本的価値に反体制」だったことは言うまでもありません。
で、私がいちばん強調したのは「今や共産党こそが昔ながらの日本の美徳を守ることを主張している。」という箇所です。
これこそ、今の小泉自民党の本質を語っています。
私が以前、『真の保守とは・・・今後の日本のゆくへ(2)』において
「小泉首相が掲げる改革とはこの自由主義改革であり、こんにちの世界でもっとも進歩主義的な理念を掲げていると言えるでしょう。」
と述べた事はここで生きてくるわけです。
早い話が小泉自民党は超革新政党だということです。
本来革新政党であったはずの共産党が保守的な言説を主張することはこれで合点がいくのではないでしょうか。

あまりにも無情だから、わしが擁護してあげるのだ。
ホリエモンは小泉・竹中に踊らされ、切り捨てられただけだと!


ここの箇所は意見がまったく違います。
むしろ、ホリエモンの方が小泉・竹中・武部を利用したと思います。
勿論、小泉・竹中・武部もそう思っていたに違いありません。
要は利害が一致したということだけで、
私は小林さんのように堀江氏を擁護する気は毛頭ありません。

まぁ、それ以外はほとんど同意の内容でした。
久し振りに「よくぞ書いてくれた小林よしのり!」という感じでした。
まぁ、彼の経済観は少々アヤシイところもあるようですが、それは私にも言えること。
今後、精進してまいりたいと思います。

『国家の品格』 藤原正彦・著

2006-01-11 00:23:44 | 書評・雑誌
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106101416/jasutojiten-22/ref%3Dnosim/250-9206425-4567401#product-details

 人を殺してはいけない論理的理由なんて何ひとつない。
私に一時間くれれば、人を殺しても良い理由を五十ぐらいは発見出来ます。
人を殺してはいけない理由も同じくらい見つけられます。論理的というだけなら、良い理由も悪い理由もいくらでもある。
 人を殺してはいけないのは、「駄目だから駄目」ということに尽きます。
「以上、終わり」です。論理ではありません。
このように、もっとも明らかのように見えることですら、論理的に説明できないのです。

論理ですべてを貫くというのは欧米の思想です。
論理で説明できない部分をしっかり教える、というのが日本の国柄であり、またそこに我が国民の高い道徳の源泉があったのです。

・合理性を追求して荒廃した先進諸国
・論理の限界を論的に説明する
・日本は「普通の国」になどなるべきでない
・はかなさと美を尊ぶ国民性
・日本は世界で唯一の「情緒の文明」
・自由よりも「形」、平等よりも「惻隠」
・いじめをなくしたければ「卑怯」を教えよ

週刊新潮の広告より



著者の藤原正彦さんは数学者。
藤原さんは欧米主義、近代合理主義、共産主義、資本主義にも与せず武士道精神によって日本のあるべき姿を説く。

また、私にとってはゆとり教育や株式(金融)教育、小学校での英語教育批判が痛快でした。

エッセイ調に書いてあるので難しい本は苦手という方にもオススメしたい一冊です。

昭和・平成 日本「黒幕」列伝

2005-11-08 23:02:14 | 書評・雑誌
今日、本屋でこんな本を買いました。
正式なタイトルは『時代を動かした闇の怪物たち 昭和・平成 日本「黒幕」列伝』


器量のでかさ・・・・・・これは任侠の世界での慣用句としても知られているが、
男にしてみたら、最上級のほめ言葉である。(略)
“黒幕”たちは一様に、器量の大きな連中だ。
もちろん、社会的には明らかに悪である者もいる。
断罪されて糾弾された者もいる。
彼らの犯した悪によって被害をこうむった者からすれば、
黒幕だろうとなんだろうと、そんな存在は不快でしかないだろう。
だが、被害者の痛みを考慮に入れても、世の男たちにとって、“黒幕”という言葉は常に魅力的に響く。
そこに器量のでかさを感じ取るからだ。

Introduction(まえがき)より



読んでみたけど、これがなかなか面白い。
児玉誉士夫、笹川良一、小佐野賢治・・・
列挙された名前に思わず( ̄ー ̄)ニヤリッ

すると、その中に安岡正篤先生のお名前も。
(この本にも書いてあるけど)この方は黒幕というより、陰の指南役という感じですね。
大東亜戦争終結の天皇詔書(いわゆる玉音放送の文)に朱を入れたり、
「平成」という元号の決定に関わったことで有名。

あと、元・陸軍大本営参謀でのちに伊藤忠商事の会長になった
瀬島龍三氏も紹介されていました。
この人は以前、『平成日本のよふけ』という番組に出ていたなぁ。
この本によると、
昭和天皇は戦後も蠢く旧軍幹部を嫌っていて、この瀬島氏もそのひとりだったという。
うーん・・・。ドス黒い人だなぁ(笑)

さらに、利権で有名な食肉業界のドン、浅田満氏の名も・・・。
最近は色々なタブーが剥がれ落ちてきたようですね。

安部譲二さんのインタビューも読み応えあり。
日本で最も恐ろしい黒幕を教えてくれます。

日本の裏歴史が知りたい人は是非ともお薦め。