すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

自然教育園・初夏

2020-06-21 22:02:44 | 自然・季節
 前回行ったのは3月27日だ。(入園証の)リボンを返す時「明日から臨時閉園になります。二週間程度と思いますが、申し訳ありません」と言われた。昨日はほぼ3か月ぶりの訪問になってしまった。受付の女性もこんなに長くなるとは思いもしなかったろう(再開は6月1日だったが)。
 おととい丸一日降った雨のおかげで、森はしっとりと潤って、でも蒸し暑くはなく、むしろ涼しいくらいの爽やかさだ。この時期あまり花は咲いていないが、ゆっくりと歩くこと自体を楽しむ。何でもないことがすごく嬉しいのは、やはり長い蟄居の副産物だ。
 ドクダミだけは行く先々で咲いている。濃くなった緑の茂みの中で、白い十字形の花(本当は、総苞片)は静かで良い感じだ。あまり密集していなければ、の話だが、ここのは比較的つつましくて好ましい。
 ヤブレガサ(破れ傘)の頭状花がもう半分黒く変色して残っている、これは春先に葉が傘状に開き始めた頃に摘んで天ぷらにして食べると美味なのだ。
 トラノオは、虎というよりは真っ白い子猫のしっぽのようでかわいい。
 池のほとりにはピンクのブラシ状のチダケサシと強い橙色の六弁の真ん中だけ筋状に色の薄いノカンゾウと紫のクサフジが咲いている。
 クサフジはフジに似てさらに可憐なマメ科の花だ。チダケサシ(乳茸刺し)は変な名前だが、長野の方で乳茸というキノコを収穫する時にこの草に差す習慣があるのだそうだ。なぜかは知らないが。
 ノカンゾウは春先に摘んで酢味噌和えにすると、ほのかな甘みがあって美味だ(教育園のを摘むわけにはいかないが)。ユウスゲやニッコウキスゲもそうだが、この仲間は一日だけしか咲かないのだそうだ。次の日に同じところで見つけても、それは昨日とは違う花だ。
 園の一番奥の武蔵野植物園では、小さな池に小さな黄色の五弁の水草、アサザが咲いていた。地下茎が泥の中を這い、水面に葉と花を浮かせる。これも可憐な花だ。
 ぐるっと回って戻る途中の水路沿いにアジサイとガクアジサイがたくさん咲いていた。先日大磯で見たガクアジサイは深く鮮やかな青色だったが、ここのは真っ白だ。青いのは土壌の酸性が強いからだが、家に帰って調べたら、白いのにはアントシアニンという色素がないのだそうだ。どちらも美しい。
 ついでに調べたら、クサフジも春先には食べられるのだそうだ。これは知らなかった。
 白金台駅の近くの八百屋の店先にすごく大きくて美味しそうなアメリカンチェリーを見つけた。佐藤錦にはなかなか手が出ないが、これなら大丈夫。山のように買って家に帰って氷水で洗ってワシワシ食べた。
 なんだか、食べる話が主になってしまった。
コメント (2)
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