すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

雨と霧

2020-06-25 10:57:13 | 山歩き
 去年の台風19号以来ずっと、おそらく高尾周辺で唯一、いまだに通行止めになっている、小下沢林道のことが春の花の時期から気になっていた。小下沢林道は花を楽しむ人たちによく知られた静かな道で(友人の植物写真家の姉崎一馬さんと先日電話で話した時も、「若い頃よく写真撮りに行ったよ」と言っていた)、北高尾山稜からのエスケープルートとしても便利な道だ(った)。
 ネットにいくつか最近の通行の記事が出ていたが、「車はダメだが徒歩なら問題ない」というのと、「荒れ放題で手が付けられないようだ。危険個所も多い」という記事と両方ある。
 昨日、自分の目で様子を見に行ってみることにした。通行止めだが、行けるところまで行って、危険なら引き返せばよい。
 大下でバスを降りて歩き始めたら小雨が降ってきた。ここを今日歩くのはぼくともう一人いくらか年下らしく思われる温厚な男性だけらしい。情報を交換しながら、前後して歩く。花はほとんど終わっていて、ハルジオンとドクダミぐらいしか見られない。雨がやや強くなってきて、傘をさして歩く。雨の森もすがすがしく気持ちが良い(20/05/19「雨の森」) 。
 ところどころ崩れてはいるが、とくに危険なところはない。40分ほどで作業小屋の立つ広場に着いた。ここで景信山に登る道が左手に(これも通行禁止になっている)、北高尾山稜に登る道が右手に分岐する。男性は、「雨が強くなると嫌だからここから引き返します」という。ぼくは、「林道終点の関場峠まで行ってみます」、と言って別れる。
 10分ほども進んだところに、「浩宮殿下御誕生記念植林地」という大きな石碑がある。石碑自体は無事だが、その前は土石流の堆積した広い荒れ地になっている。波立つ海のよう。「現天皇なんだから、補修してさしあげたら良いのにな」と思う。
 その先は、両側が高い崖になった道や草深い道。途中から雨は小降りになったが、道の崩壊はひどくなってきた。関場峠まで20分ぐらいのところで林道は大きく抉れて、長さ20mぐらいに渡って靴一つ分ぐらいの幅の縁をヘツらねばならなくなっている。小雨だからよいが、本降りならば足元から崩れるかもしれない。川までは2mくらいだが、緊張し、息をひそめて渡る。その先で道は完全に消失し、踏み跡を辿って川原に降りなければならない。幸い、誰かが目印の大きなケルンを積んでくれている。水量が多ければ渡れないかもしれない。再び踏み跡を見つけて林道の続きに戻る。
 峠の10分ほど手前で、左手の沢側の斜面でぼくの通ったすぐ後にガサガサと茂みが騒ぎ、バキバキと枝の折れる音がした。恐る恐る振り返る。何も見えないが、ひょっとして熊だろうか?二週間ほど前に、友人が山梨の櫛形山で熊に遭遇している。あわてず、でも足は速める。林道終点が見えた!
 関場峠に上がると、急に霧が立ち込めてきた。視界30mくらいだろうか。人っ子一人いない。細い尾根の上で道は一本道で迷う心配はない。ちょっと幻想的だ。峠から堂所山までは、今日はぼく一人しか通っていないようで、蜘蛛の巣が顔に懸かる。トレッキングポールを出して払いながら登る。霧の中でしきりにウグイスが鳴いている。金子光晴の詩「かっこう」を思い出す。大好きな詩だ。
 とちゅう、モミジイチゴの大群落を見つけた。南高尾山稜にも群落があって毎年楽しみにしているのだが、こっちのがはるかにデカい。やや時期は遅いし、粒も小さいが、自然の恵み、歩きながら摘んで食べた。
 堂所山のベンチでお昼にした。ここは陣馬-高尾の縦走路からほんの少し外れている。誰もいない。霧に包まれておにぎりを食べていると、ぼく一人残して世界からは誰もいなくなってしまったような、不思議な気がしてくる。だから不安、と言うのでなく、それはそれで良いという、かえって安心感のような。
 縦走路に出たらさすがに人に会った。雨と霧と汗で体が冷えたので、陣馬山に向かわずに相模湖に降りた。
 夕方までは持つかな、と思って行ったのだが、雨と霧でかえって気持ち良い山歩きをした。東京は暑かったようだ。

参考所要時間:大下バス停スタート 8:30、広場 9:12、関場峠 10:29、休、堂所山 11:25、昼食、スタート11:50、明王峠 12:20、大沢小屋跡 13:00、貝沢経由相模湖駅着 13:58
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「老人と海」 | トップ | 週末の高尾山・城山 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

山歩き」カテゴリの最新記事