すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

高木椋太君に

2020-05-06 16:23:58 | つぶやき
 そうか…君はもうこの世界のどこにもいないのか…
 友人から連絡を受けても信じられない思いだった。今は報道もされているが、やはり実感は湧かない。でも、君のあの伸びやかな抒情的な歌が、穏やかな明るい話し声が、もう聞かれないのだと思うと呆然としてしまう。ぼくの胸に、というよりは、この世界の一部に取り返しのつかない欠落ができてしまったようだ。
 君は暗い感情を抱えた人(例えばぼくのような)をもほっと安心させてしまうような、不機嫌な気分の人をも微笑ませてしまうような、優しい歌声と優しい心の持ち主だった。
 ぼくの働いていた店でのライヴで、君が感情の込み上げて来るあまり胸を詰まらせながら歌うのを何度も見てきた。その後のはにかんだような微笑みがまた君の魅力のひとつでもあった。
 アマチュアのぼくのコンサートにも何度か友情出演していただいたし、保土谷の林の中の古い一軒家にも来てもらったよね。
 あれは目黒に越してくる前だから大震災の直前、真冬だったと思う。風通しのひどく良い寒い部屋で、音楽について熱く語り合った…
 …のは良いのだが、たまたまLGBTについてのような話になって、ぼくは自分では気が付かなかったが、君に何かきつい言い方をしてしまったらしい。あとで、同席していた友人に「椋太君、すこしショックだったようだよ」と聞いた。その後会ったときにも君は何でもないようにふるまっていたが。
 君は誰をも傷つけることのない、心の優しい人だった。しばしば人を傷つけることのあるぼくがこうしていて、君の方がこの世界からいなくなってしまった…というのは、感傷だろうか?
 ぼくは死後の転生とか、魂の永遠性とかを信じない。だから、きみがどこかでぼくたちを見守っている、というような感じ方はしない。君の不在は絶対的だ。ぼくたちが記憶している限りにおいて、君は記憶の中にいる。だから君の笑顔と歌声を忘れないでいよう。
 だがそんなふうに考えるぼくでも、やはり一つだけ古風な言い方をしたい。
 君は4月2日に発病して6日に入院し、5月2日に他界したという。一か月の闘病生活は苦しかったに違いない。
 今は安らかに眠れ。

 君の歌の中で、「ユー・レイズ・ミー・アップ」も「兵士の別れ」も「シー」も「鏡の中のつばめ」もほかの曲もみんな好きだが、ぼくはやはり「入り江にて」がいちばん好きだ。何度もリクエストをしたよね。あれは外房の鵜原あたりだろうか? 最後の一節だけをここに書いておこう。

  もう二度と 来ることはない
  あなたのいない この入り江に
  あの日のような きれいな夕焼け
  茜色の恋の思い出

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