すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

舞岡散策

2020-05-27 21:53:52 | 自然・季節
 一昨日、いつもの山の仲間二人と舞岡谷戸に行った。4月6日、夜に緊急事態宣言が出た日の昼、「いよいよ出そうだから山に行っておかなくちゃ」と思って高尾山・城山にソロで行って以来だから、四十九日目の復活だ。と言っても、今回はほんのピクニックだ。同行のうちの一人は、以前、三十年以上前、舞岡で田んぼをやっていた時の仲間でもある。その友人が何日か前に電話をくれて、「横浜駅あたりでご飯でも食べない?」というから、「食べ物屋で対面はまだ嫌だから、舞岡でビールでも飲まない?」と提案したら、「ああ、良いね。懐かしいね」ということになったのだ。
 地下鉄舞岡駅で11時に待ち合わせて、コンビニでビールと食べ物を買う。田んぼと小川に挟まれた道を歩き、舞岡八幡に「疫病が収まりますように」、とお参りをする。道端にはおおきなムラサキツメクサや青いニワゼキショウが咲いている。ふつうは青いツユクサの白い色の花もある。外出自粛の間に春の花はほぼ終わって季節は初夏に向かっている。
 八幡の裏手に回り、畑の横のぐちゃぐちゃしたところを抜けて尾根道に上がる。田んぼ仲間は、この道は知らなかったようだ。人はほとんどいない(ここのあたりは、去年別の友人と歩いた時に書いたから省略する(19/04/10 ))。
 尾根を道なりにずっと進むと駅からゆっくり歩いて小一時間ほどで、右手に明治学院大学のキャンパスが見えてくる。そこで道標に従って左に折れると、谷戸を見下ろす丘の上のとても気持ちの良い広場に出る。木立に囲まれた日当たりの良い草地だ。二つあるテーブルの片方が空いていたのでそこに横並びに座ってお昼にする。大きな桜の木陰で、頭上にサクランボが黒く実っている(食べても美味しくはないが)。
 三人で歩くのは一月末以来なので、話すことがいっぱいあって、ついついそっちに顔を向けそうになって、「あ、いけない」、と前を向きなおす。当然ながらコロナの話、山の情報、舞岡で田んぼをやっていたころの思い出話…友人の一人が歴史マニアなので、いつの間にか「古事記」や天皇制の話なんかになる。
 その友人がザックからウイスキーを取り出して、「もう少し、もう少し」と言いながらコップに注ぐのを切り上げさせて、もう少し歩くことにする。草地の端の下り口の傍らにニワゼキショウの珍しい赤い花が群生していた。ここから急な道を下ると、ぼくたちが昔田んぼを始めた場所だ。今はすぐ下手に大きな池を作るのに伴って放棄されて、アシの原に戻っている。その横の、作業の後いつもバーベキューをした空地には東屋が立って、休憩場所と小さな案内所になっている。季節になると夢中で実を食べた桑の木ももうない。
 友人がしきりに懐かしがって「青春だったねえ」と言うが、実際にはアラフォーだった。
 田んぼ作業のことを書き始めると長くなるからここでは省略。ウグイスの声を聴きながら谷戸のてっぺんまでゆっくり登って、別の尾根を下って、こどもたちが「お弁当の木」と名前を付けた懐かしい木の傍らを通って帰路に就いた。
 今は谷戸全体が公園になっていて、入り口に駐車場がある。その傍らには大きな鋭い刺のカラタチの垣根があった。北原白秋・山田耕作の歌曲と、島倉千代子の歌謡曲を同時に思い出した。
 小川沿いの帰り道には、スイカズラの金銀の花、ウツギの小粒のいっぱいの花、ユキノシタのひっそりとした花が咲き、水路にはキショウブが美しかった。 
 駅に戻ったら3時。およそ4時間の散策。家に帰ったら思ったより疲れていた。気を付けていたつもりでも、自粛で体が鈍っている。次回は、軽いハイキングから再開しよう。
コメント
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