すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「余生」について

2018-03-04 20:37:50 | 無いアタマを絞る
 はがきとFBで退職のお知らせを送ったら、たくさんの人から手紙、はがき、メール、FBでのメッセージをいただきました。ありがとうございます。
 中で、ぼくの使った「余生」という言葉に違和感・抵抗感を持たれた方がかなりいらしたようです。
 ここで少しだけ補足をさせていただきます。
 ぼくは、はがきとそれを転記したFBの中で余生という言葉を、諦めや落胆を持ってではなく、かなり積極的なニュアンスで使っていたはずです。
 「余生というのは、人生で一番充実した、実りの時間でありうるものと思っています。そしてまだこれから始まる時間です」と書いています。
 ここに、消極ではなく、積極を読み取ってもらわなくては困ります。
 たぶん、そうではなくて、余生という言葉の表面的なイメージのみを重ねられてしまったのではないでしょうか。
 人生というもの特にその後半部分、というか、最後の方、のとらえ方は、そしてその過ごし方は、人さまざまです。
 シャンソンとかを歌っている人たちの中には、ライヴで「わたしたち、今が青春のまっ盛りよ」とか、「今年の目標は燃えるような恋をすることです」などといってお客様に受けている人がたくさんいるので、余生、みたいな言葉に抵抗があるのかもしれません。
 自分が年を取ったことを素直に認め、そしてそれを楽しもうではありませんか。
 体力が落ちて疲れやすくなっても、ゆっくりじっくり楽しめることはいっぱいあるはずです。
 生きる喜びは、燃えるような恋をしなくても、友情や社会貢献の中で、十分に、一層豊かに味わえるはずです。
 テレビのC Mにそそのかされたような、通俗的な思い込みさえ捨てられれば。
 
 少し飛躍しますが、人間は、精神の、そして行動の本当の自由を得るためには、職業と生殖から離れなければならない、と考えています。子供は、とりあえずこの二つから離れていますが、親の保護下にあり、思考能力も経験も十分についておらず、部分的にしか自由であるとは言えません。
 仕事をやめたあとが、大事です。
 経験を積んでいる。じっくり考える力もついている。自分の行動を自分で選べる。何かをするために使える時間もある。
 仕事をやめた後の、社会との、人との関わり方が大事です。
 だから、だれでも、仕事は早めにやめるべきです。そこから先、真に充実した人生を過ごすために。
 ぼくは、ものすごく試行錯誤を繰り返して生きてきてしまったので、早めにやめたとは言えないけれど、ワクワクするのはこれからです。 
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