すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

何度目かの「はじめの一歩」

2022-10-04 10:07:58 | 山歩き

 春先から、膝を少し痛めていた。膝を痛めるなんてことは若い頃から何度もしているので、騙し騙し山歩きを続けていたのだが、8月の末に安達太良に行ってから、「このままではいかん。山が歩けなくなったら生き甲斐が無くなってしまう」と思い、近くの整形外科のリハビリに通って、体重を膝に掛けないで筋肉をつける方法などを教えてもらっていた。ぼくはけっこう太い太腿とふくらはぎを持っていて、自分では「山できたえた筋肉」と思っていたのだが、いつの間にか単なるお肉になっていたようだ。コロナ禍で体育館に通うのも止めてしまっていたからなあ。
 「数カ月かかるかなあ」と覚悟していたのだが、思いのほか回復が早く、昨日、5週間ぶりに恐る恐る試し歩きに行った。はじめは高尾山だ。高尾山は、こういう時に便利だ。去年春、手術の後も高尾山に行った。もっともあの時ははじめの一歩は舞岡で、二歩目が高尾山だったが。
 琵琶滝から病院坂、四号路を経て、後からくる人全員に道を譲って、1h30のコースを2h30かけて登った。急いではいけない。膝を痛める原因はたいていは大股でドシドシ歩くことにあるのだから。一歩一歩ゆっくり歩くのも楽しい。
 涼しくて気持ちよかったが、山頂から富士も丹沢山塊もぼんやり霞んでしか見えなかった。
 山頂の人出を避けて、六号路下山口のベンチでお昼を食べ、三号路を下った。
 去年の春は、歩きながらつい「♪ぼくらはみんな生きている」と口ずさんでいたが、昨日は西行法師の名高い短歌

 年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山

を思い出していた。
 膝を痛めて回復して高尾山に来て、「歳を取ってまた来られるとは思わなかった。生きていてよかったなあ」とはあまりに大げさすぎるが、歳を取るとそう感じることは時々ある。それは良いことだ。この歌はむしろ、今年大病や大手術をした友人たちに捧げよう。

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