すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

妙(たえ)なる五月

2020-05-05 12:29:57 | 音楽の楽しみー歌
  うるわしくも美しい五月に
  すべてのつぼみがほころびそめると
  ぼくの心のなかにも
  恋が咲き出でた

  うるわしくも美しい五月に
  すべての鳥がうたい出すと
  ぼくもあのひとに打ち明けた
  ぼくの心のひそかな想いを

 この歳になって恋の告白、じゃないですよ。
 家に閉じこもっていて意欲がわかないので、思いついて歌を聴きなおしている。意欲を掻き立てなくても聴くのはできる。バリトンのCDをけっこう持っていて、以前から好きなのも、どんなだったか忘れていたものも、ぼつぼつ聴いている。
 これは、ロベルト・シューマン作曲、歌曲集「詩人の恋」の第一曲「うるわしくも美しい五月に」。詩はハインリッヒ・ハイネ、詩集「歌の本」より。訳詞は音楽評論家の喜多尾道冬。
 この歌は高校の選択音楽で習ったことがある。
 演奏時間1分30秒ぐらいのごく短く、だが、春の陶然とした喜びに共感できる曲だ。
 上行するアルペジオの前奏が4小節。有節形式で一つの節がわずか8小節。ゆったりとおだやかな歌い出しが2小節。その旋律が繰り返されたのち、後半4小節は16分音符と付点4分音符の弾むような音型がクレッシェンドしながら上行して、最後から二つ目の音で頂点に達し、半音下がって広がりを保ったまま収まる。3小節のアルペジオの間奏があって第二節。4小節のアルペジオの後奏。たったこれだけで五月という季節の喜び、詩人のあこがれと胸の思いの高まりを過不足なく表現し得ている。
 シューマンの歌曲集にはシューベルトのようなドラマ性は希薄だが、練達の筆でさっと描いて見せる水彩画のような美しさがある。

 中学三年の時にハイネの詩に夢中になったことがある(同級の女の子に夢中になったせいである)。じつは今読み直すと、「なんじゃ、こりゃあ」なものが多いのだが、中には思い出の中のきれいなリボンのような、なかなか懐かしい良いものもあって、嬉しくなる。
 その頃愛読した岩波文庫版の井上正蔵訳「歌の本」では、こうなっている。

  つぼみひらく
  妙なる五月
  こころにも
  恋ほころびぬ

  鳥うたう
  妙なる五月
  よきひとに
  おもいかたりぬ

 なお、高校の音楽で習った歌詞は、正確ではないかもしれないが、下記のよう。

  うるわし五月の
  花みな咲くとき
  私の胸も
  思いに燃える

  うるわし五月の
  鳥みな歌えば
  愛しい人に
  思いを告げた

 どれもみな良い。最後のは、いまでも歌える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「浅き春に寄せて」

2019-05-28 22:24:56 | 音楽の楽しみー歌
 きのう曲名だけ挙げた「浅き春に寄せて」の歌詞を書いておきたい。
 詩は太平洋戦争の直前に夭折した立原道造のもので、作曲は「水色のワルツ」でよく知られた高木東六。他にもいろいろな人が曲をつけているようで、いくつかがYoutubeにあるが、全部だめ。肝心の高木東六のものは無いようだ。ぼくは鮫島由美子が歌ったCDを持っている。
 発声の先生のところで練習して発表会にも出したのだが、ほかでは歌う機会がない(伴奏をしてもらうのがなかなか困難。いきなり「お客様も歌えます」に持って行くわけにもいかないし)。
 家でときどきメロディーだけ弾きながら口ずさんでいる。原調はB♭mだが、♭5つは弾くのが困難なので、Amで歌う。
 高木東六にはほかにも立原道造の詩に作曲をした「夢見たものは」がある。曲想は全く違うが、どちらも大好きだ。
 
  浅き春に寄せて

今は 二月 たったそれだけ
あたりには もう春がきこえている 
だけれども たったそれだけ
昔むかしの 約束はもうのこらない

今は 二月 たった一度だけ
夢のなかに ささやいて ひとはいない 
だけれども たった一度だけ
そのひとは 私のために ほほえんだ

そう 花は またひらくであろう
そして鳥は かわらずに啼いて
人びとは春のなかに 笑みかわすだろう

今は 二月 雪の面(も)につづいた 
私の みだれた足跡 それだけ
たったそれだけ 私には
私には

 (立原の原詩は旧かな遣い。旧かなはたいへん味わいのある美しい表記法だと思うが、ここでは高木の曲に合わせて新かなに変更している。また、最後の「私には」の繰り返しは原詩にはない。)
 立原は、高校時代に、中原中也とともに大好きだった(その前は、バイロン、ハイネ)。
立原の詩だから、この歌の「私」は本当は男性だと考えるのが自然だ。立原は自分自身の感情を詩にしたのであって、女性の感情を表現しようとしたものとは思えないので。
 もちろん、女性の歌として歌ってもいっこうに構わないのだが。
 楽譜は、全音楽譜出版の「日本名歌110曲集」の2巻にあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「霧と話した」

2019-05-27 19:55:11 | 音楽の楽しみー歌
 マンドリンを弾きながら「宵待草」と「霧と話した」の練習をしている。
 「宵待草」は先日老人クラブでリクエストされて練習していたのだが、「霧と…」は一昨日から急に歌いたくなった。
 中田喜直作曲の日本歌曲の名曲で、女性コーラスなどでも歌われることが多い。男性が歌っている例は少ないと思う。ぼくの手元には米良美一のCDがあるが、さすがに彼の歌唱はなかなか良い(「母の唄」というCDだが、この頃の彼は良かったのではないか。いまは、ちょっとね)。
 男が歌ってはなかなか様にならない、感情を表現するのが難しい歌だと思う(女性が歌っても実は難しい)。
 ゆったりとした抒情あふれるメロディーで、一か所音が高く飛ぶところがあるが、他は技術的には難しくない。でも、簡単に歌えてしまうようでも、聴くもの(例えばぼく)の心を攫む表現にはならない。
 歌詞、メロディ-ともにセンチメンタルなものだが、急にこれが歌いたくなったというのは、三日前、ぼくとしてはかなり頑張った、その反動が来ているのだろう。
 かなり頑張ったり、行動的になったり、攻撃的になったりすると、その後リバウンドが来ることがしばしばある。心が、バランスを取ろうとしているのだろう。それは、良いことだと思う。そういう時は、気の済むまでセンチメンタルになっていいのだ。
 何といってもぼくは、男性というものが嫌で嫌で、自分の中の男性性-攻撃性や怒りや暴力性がたまらなく嫌で、20年近くを女性装で過ごしてしまったくらいなのだから。

 さて、「霧と話した」(鎌田忠良作詞)

わたしの頬は ぬれやすい
わたしの頬が さむいとき
あの日あなたが かいたのは
なんの文字だか しらないが
そこはいまでも いたむまま

そこはいまでも いたむまま
霧でぬれた ちいさい頬
そこはすこし つめたいが
ふたりはいつも 霧のなか
霧と一緒に 恋をした

霧と一緒に 恋をした
みえないあなたに だかれてた 
だけどそれらが かわいたとき
あなたは あなたなんかじゃない
わたしはやっぱり 泣きました

わたしの頬は ぬれやすい
わたしの頬が さむいとき
あの日あなたが かいたのは
なんの文字だか しらないが
そこはいまでも いたむまま

 三連目の「それら」はちょっと日本語として良くないと思うが、まあ仕方がない。
 「宵待草」もこれも、マンドリンで弾くのは比較的容易だ。もっとも、ピアノと違い、ぼくは前奏・間奏・後奏ともトップのメロディーを弾くだけだが。
 これが同じようなセンチメンタルな曲でやはり大好きな「さくら貝の歌」や「浅き春に寄せて」だと、ぼくの腕ではとても弾けない。

 こうした歌をうたっていると、自分が少し優しくなれるような気がする。歌の気分に浸っていると、ぼくの生きなかった別の生を少しのあいだでも味わえるような気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「のだめカンタービレ」

2019-04-15 22:01:56 | 音楽の楽しみー歌
 家族が長い風邪をひいていて、ぼくも実は先週は風邪気味だったのだが、おととい青空に誘われて渡良瀬遊水地をレンタサイクルで飛ばしてしまったので、その時は気分爽快だったのだが、昨日今日と頭痛と寒気がしている。風邪をひいたらとにかくたくさん寝ることにしていて、たっぷり寝たから今日は昨日よりはいいようだ。
 寝ている合間に、レンタルDVDでTVドラマの「のだめ…」を見た。と言っても、続編を含めると全部で1000分ぐらいあるようで、昨日と今日でその半分ほど、ヨーロッパに旅立つ前までを見た(約8時間!)。
 コミックはだいぶ前に読んでいるのだが、笑いを取ろうとしてバカ話にしているところが多くて、そのために登場人物たちの人物造形もかなりハチャメチャで違和感は相当あるのだが、彼らの音楽に向かう姿勢は悪くない。
 TVドラマ版は、原作の人物造形や笑いを忠実に再現しようとしているので、その部分は、映像になっているだけ余計に気持ちが悪いのだが、音楽そのものが聴けるので、オケの稽古や演奏会のシーンは大変楽しい。
 ドラマは幸いに、原作コミックよりはずっと長く、演奏のシーンを追ってくれているようだ(これがなければドラマの価値が無くなってしまうものね)。
 かなりよく知られた名曲が多いので、それが出て来るだけでもうれしいし、改めて聴くとクラシックの名曲って本当に美しいものだ。
 ベートーヴェンの交響曲第7番も第5番「英雄」もブラームスの第1番もラフマニノフのピアノ協奏曲第2番もガーシュインの「パリのアメリカ人」もCDは持っていて何度も聞いているのだが、ベト7はNHKカルチャーで楽譜を読む作品研究の講座まで受講したのだが(実はよく分からなかったが)、演奏している映像を見ながら聴くのはまた格別の喜びだ。
 ドラマではもちろん音楽は断片的に使われているので、映像を見た後でまたCDを聴きなおすのも良いだろう。
 (ところで「のだめ」にはモーツアルトの「オーボエ協奏曲」や「2台のピアノのためのソナタ」もあるのだが、ぼくには、どうもモーツアルトとバッハはぴんと来ないのだ。音楽は所詮素人なので、個人的には、という話なのだが、ベートーヴェン以降でないと、悲しみや苦悩が、つまり音楽に深さが、出てこないように思う。)
 (これも余談だが、Eテレの日曜日の夜の「クラシック音楽館」も視聴するのはたいへん楽しい。9時から11時までと、やや遅いので毎回は見ないが。)
 明日からはもう少し日常に戻りたいので、残りの半分、ヨーロッパ編以降、はすぐには見られないかもしれないが、楽しみとして取っておくことにしよう。今のところまだ出てきていないドヴォルザークの「新世界」やベートーヴェンの「合唱付き」やラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」なども、演奏場面を見るのが楽しみだ。
 付け足し:人物造形がかなりひどいと書いたが、シュトレーゼマンはあまりにひどい。コミックではまだしも気品や風格みたいなものを感じられるが、ドラマの方は単なる変態エロジジイだ。

 ぼくは音楽については、表現する側ではなくて、どんどん、観賞する側になってきているが、それで良い。ぼくに表現することができる音楽よりも、観賞することができる音楽の方が、はるかに、比較にならないくらい、美しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「美しいドーンの岸辺」

2019-03-17 22:23:19 | 音楽の楽しみー歌
 志(こころざし)の衰えている日には、イギリス民謡がぼくの慰めだ。そういえば、民謡ではなくて比較的最近の歌だが、「心が歌を忘れてすべてが辛くても~」という歌もあったな。あれはアイルランドだ。
 アイルランドにも「柳の苑生」とか「なつかしき愛の歌」とか「ダニー・ボーイ」とか「春の日の花と輝く」とか「庭の千草」とか、心に沁みる美しい歌がいっぱいあるが、こういう日にはぼくの好みはどちらかというとスコットランド民謡だ。「故郷の空」とか「つりがね草」とか「アニー・ローリー」とか「アフトンの流れ」とか。
中でも大好きなのが、「ロッホ・ローモンド」と「美しいドーンの岸辺」だ。
 これらを、ぼくのへたくそなマンドリンであっても、弾きながら歌っていると(本人は)たいへん気持ちよく、憂いが和らぎ、心が安らぐ。
 「美しいドーンの岸辺」は、ウイリアム・コールの「イギリス民謡集」に楽譜と歌詞が載っている。作詞は「蛍の光」を書いた詩人ロバート・バーンズで、作曲は1788年にチャールズ・ミラーによってなされたとされている(バーンズは有名な詩人だが、ミラーの方はどういう人か知らない)。
 ソ・ラ・シ・レ・ミの五音音階で、曲調も「蛍の光」に似ている。ただし、こちらは女性の失恋の歌だ。

美しいドーン川の岸辺よ、なぞえ(斜面)よ
なぜおまえはそんなにあざやかに花咲くことができるの?
なぜさえずることができるの 小鳥たちよ
私はこんなに悲しみに沈んでいるのに
花咲く野ばらの上で歌う鳥よ
お前は私の心を引き裂くの
過ぎ去った喜びを思い出させるから
二度と戻らない喜びを

美しいドーンの岸辺をたびたびそぞろ歩いたものよ
絡み合った野ばらとスイカズラをさがして
鳥たちはみな恋の歌をうたい
私も浅はかにも私の恋を歌ったわ
甘い香りあふれるバラの木から
幸せいっぱいにバラの花を摘んだのに
不実な恋人は私のバラを盗んで
私には刺だけを残していったの

 へたくそな訳なので美しさが伝わらないと思うが、残念だ。
 悲しい詞なのに、いわゆるヨナ抜き(長)音階に特有の伸びやかな明るいメロディーだ。五音音階は癒しの音階だ。
 ソプラノの波多野睦美がつのだたかしのリュートの伴奏で歌ったCD(「サリー・ガーデン」)がある。ぼくの子守唄代わりの一枚でもある。残念ながら、YouTube にはないようだ。
 ネットで調べたら、ドーン川の本当に美しい写真が見つかった。いつかスコットランドを訪れて、ローモンド湖とドーン川を尋ねてみたいものだと思ったこともあるが、いまから英語の勉強をし直すのは面倒くさい気がする。
 ぼくの願望はあまり強くはない。歌って気が晴れていればそれでいいかも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夜と霧」

2019-01-18 11:09:34 | 音楽の楽しみー歌
 昨日のついでに、ナチスドイツによるユダヤ人迫害を歌った、ジャン・フェラの歌。

彼らは二十人、百人、いや、何千人だった。
装甲された列車の中で、裸で震えていた。
爪を打ちつけて夜を引き裂いていた。
彼らは二十人、百人、いや、何千人だった。
  自分では人間のつもりでいたが、もう数でしかなかった。
  とっくの昔に彼らの運命のサイは投げられていた。
  上げた腕が再び下ろされると後にはもう影しか残っていない。
  彼らは二度と、夏にめぐり合うことはなかった。

逃避行は長く、単調だった。
あと一日、せめて一時間、生き延びること。
車輪はどれだけ回転し、止まり、また回ったか。
絶え間なく、わずかな希望を蒸発させながら。
  彼らはジャン・ピエール、ナターシャ、あるいはサミュエルという名だった。
  ある者はイエスに、あるいはイェホバやヴィシュヌに祈った。
  祈らない者もいた。でも何を信仰しようと彼らの願いはひとつ
  もうひざまずいたまま生きたくはないということだった。

旅の終わりに着かない者もいた。
生き残って戻ってきた者も幸せになれたろうか?
彼らは忘れようと努めた。そして驚くのだった、その年齢で
腕の血管がすっかり青く膨れ上がってしまったことに。
  胸壁の上でドイツ兵たちが見張っていた。
  月は口をつぐんだ、君たちが遠くを見ながら
  外を見ながら口をつぐんだように。 
  君たちの肉はやつらの警察犬には柔らかだった。

今、人々はぼくに言う、「もうそんなことに耳を貸すものはいない。  
恋の歌だけ歌っていたほうが良い」と
「血は歴史に組み込まれるとすぐに乾いてしまうのだ」と。
「(そんな歌を歌うために)ギターを手にしても何にもならない」と。
  でも、誰がぼくを思いとどまらせることができよう。
  いま、夏が再びめぐって来て、影は消えて人になったが、
  ぼくは必要ならばいくらでも言葉を紡ごう
  君たちが誰だったかを、いつか子供たちに知らせるために。

  君たちは二十人、百人、いや、何千人だった。
  装甲された列車の中で、裸で震えていた。
  爪を打ちつけて夜を引き裂いていた。
  君たちは二十人、百人、いや、何千人だった。

 日本でも、これくらいの歌が書かれて、それが大ヒットするくらいの文化的な下地があればよいのにね。それこそ、「恋の歌だけ」じゃなく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「インシャッラー」

2019-01-17 22:44:11 | 音楽の楽しみー歌
 友人からアダモの歌「インシャッラー」の意味について訊かれた。よく知られている日本語訳で勘違いしている人が多いと思うので、書いておきたい。
 まず、ぼくの直訳から。

夜空に浮かぶオリオン座を見た。
月がかかって(アラブの)旗のように見えた。
ぼくは四行詩でその輝きを
世界に向かって歌おうと思った。
でも、エルサレムを
岩の上のヒナゲシの花を見たとき
そしてその上にかがみ込んだとき
ぼくにはレクイエムが聞こえたのだ。
  地上の平和をつぶやく
  粗末な礼拝堂よ
  お前には見えないのか
  「危険・国境」の炎の文字が。
    道は泉に続いている。
    桶を満たしたいだろうが
    行くな マリー・マドレーヌ。
    彼らにはお前の体は
    水一杯にも値しない。
    インシャッラー インシャッラー
    インシャッラー インシャッラー

オリーブの木は自分の影を
優しい妻や恋人を思って泣く。
彼女は敵地に捕らわれ
瓦礫の下で眠るのだ。
  有刺鉄線の刺の上で
  蝶がバラを見ている。
  人々はあまりに能天気で
  ぼくが話しかけてもそっぽを向くだけ。
    地獄の神か天の神か知らないが
    お前は居心地の良さそうなところにしかいない。
    このイスラエルの地で
    子供たちは震えているのに。
    インシャッラー インシャッラー
    インシャッラー インシャッラー

嵐の中で女が倒れる。
血は明日には洗い流されるだろう。
道は女たちの勇気によってつくられる。
舗石ひとつに一人の女。
  そう ぼくは見た エルサレムよ。
  岩の上のヒナゲシの花よ。
  そしてその上にかがみこむと
  常にレクイエムが聞こえる。
    祀られるべき霊廟を持たない
    六百万の魂のためのレクイエム。
    その魂が 流れる砂の上に
    六百万本の樹を茂らせたのだ。
    インシャッラー インシャッラー 
    インシャッラー インシャッラー

 非常に強い語調で書かれているのに驚かれるかもしれない。ぼくの訳の語調が強いのではなく、アダモの元の詞が強いのだ。
 そして、これは反戦歌ではない。完全にイスラエル側に立った、いわば戦意高揚歌なのだ。そのため、中東戦争の時にはアラブ各国で放送禁止になったと聞く。
 「インシャッラー」はアラブ語で「アッラーの神の御心のままに」という意味だが、アラブ諸国でさえ、むしろ「わたしのせいではない。成るようにしかならない」という意味で使われる。例えばぼくの体験。アルジェリアを旅行していて、長距離バスを待っている。定刻になっても、何時まで経っても来ない。窓口に訊きに行くと係員が「インシャッラー」。ホテルで風呂のお湯が出ない。フロントに行くと「インシャッラー」。
 ぼくもシャンソンを始めたときにこの歌を習ったことがあるが、先生に「このインシャッラーはもっと祈りの気持ちを込めて歌いなさい」と言われた。とんでもない。イスラエル人がインシャッラーと祈るわけがない。アダモはこ こで皮肉を込めて、あるいは批判を込めてこの言葉を繰り返している。
あまりに一方的な歌だと思う。歌うのならそうと知ったうえで歌ってもらいたいものだ。
 ついでにいくつか補足:
「六百万」は、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺の数。それだけの犠牲の上にイスラエルは建国されたのだと言っている。
「マリー・マドレーヌ」は、イスラエルでは一般的な名前。ここで、マグダラのマリアを喚起しているかどうかはわからない。
 水の少ない中近東やアフリカを旅すると、水桶を頭に載せた女たちや子供たちをよく見かける。水汲みは彼女らの日常生活を支える大事な仕事だ。ここでは、敵に捕まったら簡単に犯されて殺されてしまうよ、と言っている。 
 I Sなどに関するニュースを耳にすると、これがぴったりであるような気がしてしまうが、あれはイスラムの中でも原理主義的過激派の一部であって、イスラム一般ではないと信じている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォイス・トレーニング

2018-12-20 20:42:31 | 音楽の楽しみー歌
 半年ぶりに先生のところに行った。「人前で歌うのをやめたし、歌うのを楽しむというだけなら、もう自己流でいいかな」と思っていたのだが、この頃ちゃんと練習しなかったせいか、自分の声がどんどん出なくなってきているのが自分でわかった。このまま衰えていってしまうのは、まだちょっと残念な気がした。
 先日、広瀬敏郎さんにお会いした時に、「練習してますか? 5日練習しないと声は落ちますよ。続けた方がいいですよ」と言われたのが心に懸かってもいた。
 今は、フルパワーでの練習が、少ししにくい環境で暮らしている。以前、保土ヶ谷の林の中の一軒家に住んでいた時は、声は出し放題にしていたのだが。(林の中、と言ってもお隣さんはいるわけで、何時だったかバス停で会ったときに、「ご迷惑をおかけしていませんか?」と訊いたら、ケラケラと笑って、「あら、いいのよ。犬の散歩に行くから」と言われた。「そうか、ぼくが練習を始めると犬の散歩なのか」と思った。)
 今の所は、小さい防音室を作ってもらったはずなのに、構造上ドアはスライド式ではなく開き戸で、したがって上下に隙間があって、ご近所よりは家族に気を使わねばならない。隙間テープをびっしり張っているが、それでも気になる。ぼくだけそういう部屋を作ってもらっているのだけでもありがたい限りなのだが。
 というわけで、いつの間にかだんだん声を出すのが少なくなっている。ある日、自分の声が響きが豊かではなく、固く痩せてしまっていることに気づく。またすぐ嗄れもする。 
 先生のところで声を出してみたら、うちで出すのよりはずっと楽に出る。ぼくの先生はご自身は声楽家ではないが、素晴らしい音感の持ち主で、生徒の声をひとつひとつ正しい出し方の方へ誘導してくれる。
 また、先生はいわゆる“褒めて伸ばす”タイプで、今日も「全然落ちてないよ」と言ってくれるが、その言葉とは裏腹に、今日は特に丁寧に根気よく直される。これだけ根気よく直されるということは、実際にはかなり落ちているということだ。
 それでも、先生のところでなら声が出る、ということは、まだ、声を出すための筋肉自体が衰えてしまった段階までは行っていなくて、その筋肉をコントロールして声を出すやり方を忘れてしまっている、ということだろう。まだ、間に合うかもしれない。
 「曲を出してごらん」と言われたが、いまさらオペラのアリアやフランス歌曲を練習しても仕方がないので、ニューミュージック系の「時代」と「いい日旅立ち」と「群青」と「島唄」を見てもらった。前の二つは、とても声が出しにくい。あとの二つの方が、ずっと楽に歌える。先生にもそう言われるし、それは自分でもはっきりとそう感じる。前の二つは、気持ちを入れようとすると、息を無意識にコントロールして押さえてしまおうとするのだろう。
 半年ぶり、でなく、月一回ぐらいは見てもらって、前の二つもちゃんと思う存分に体を使って、しかも優しさをこめて、歌えるようになりたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「枯葉」

2018-12-16 23:00:39 | 音楽の楽しみー歌
 久し振りにロシア歌謡を聴いて、「あ、いいなあ」と思った。歌い手の力によるところが大きいと思うが。
 昨夜、デュモンに山之内重美さんのライヴを聴きに行った。
 さすが、女優だけあって、歌の演技力が素晴らしい。もともと、ドラマティックな、パセティックなと言ってもいい声の持ち主なのだが、その声を駆使して「郵便馬車の御者だった頃」も「赤い月」も「長い道(悲しき天使)」も、そしてもちろん「鶴」も、そのほかの歌も歌われる。そしてその歌の持つドラマが、彼女の抑揚と表情と身振りで余すところなく表現される。素晴らしかった。
 ぼくもロシアの歌に近かった時期があるのだが、ぼくに関心があったのは日本でロシア民謡と言われている一群の歌と、帝政ロシア時代に都市や農村で歌われていた「ロシア・ロマンス」というジャンルのものが主で、ソ連時代の歌はオクジャワのものぐらいしか自分では勉強しなかった。それもごく浅く。昨夜、山之内さんの歌を久し振りに聞いて、改めて新鮮な発見をした思いだった。
 自分でもう一度勉強する気はないから、また彼女の歌を聴きに行くことにしよう。お話ができたのもうれしかったし、大変に美しい花のお裾分けもいただいた。

 ところで、お客さんから「枯葉」というリクエストが出ていたが、レパートリーにしている人はいなかったようだ。「ぼくも昔フランス語で歌っていたなあ」と懐かしかった。もうぼくは、ライトを浴びて人前で歌うことからは降りてしまったが。
 以下に、樋口悟の直訳を書いておきたい。

思い出してほしい
二人が愛し合っていたあの幸せの日々を
あの頃 人生はもっと美しく
太陽はもっと燃えていた
枯葉がシャベルで集められる
ねえ ぼくは忘れてはいないよ
枯葉がシャベルで集められる
思い出と悔恨もまた
そして北風がそれを
忘却の冷たい夜へと運び去る
ねえ ぼくは忘れてはいないよ
君の歌っていたあの歌を
 *ぼくたち二人のことのようなあの歌
  君はぼくを愛していた
  ぼくは君を愛していた
  二人は固く結ばれて生きていた
  ぼくを愛していた君と
  君を愛していたぼくと
  でも 人生は愛し合う二人を引き裂く
  ゆっくりと 音も立てずに
  そして海は消してゆく 砂の上の
  別れた恋人たちの足跡を

枯葉がシャベルで集められる
思い出と悔恨もまた
でも ぼくの静かな変わらぬ愛は
いつも微笑んで 人生に感謝する
ぼくはあんなに君を愛した 君はあんなに美しかった
どうして君は 忘れて欲しいなんていうの?
あの頃 人生はもっと美しく
太陽はもっと燃えていた
君はぼくの生涯のいちばん優しい恋人だった
でも今のぼくには 後悔しか残されていない
そして 君の歌ったあの歌を
いつまでもいつまでも ぼくは聴くだろう
 *ぼくたち二人のことのようなあの歌
  君はぼくを愛していた
  ぼくは君を愛していた
  二人は固く結ばれて生きていた
  ぼくを愛していた君と
  君を愛していたぼくと
  でも 人生は愛し合う二人を引き裂く
  ゆっくりと 音も立てずに
  そして海は消してゆく 砂の上の
  別れた恋人たちの足跡を
(作詞:ジャック・プレヴェール、作曲:ジョセフ・コスマ)

 ふつう歌われている岩谷時子訳の「枯葉」(あれは遠い思い出~)は、シンプルで美しく、シャンソンの日本語歌詞としては大変良いものだが、一般的にシャンソンを日本語の歌詞にするととても情緒的にセンチメンタルなものになってしまうことが多いので、直訳を掲げることは意味があると考えている。
 日本語で普通歌われるのは、一番とルフランだけしかないし。
 よく見ると、一番で使われた歌詞が、二番でところどころ繰り返されている。メロディーもそれに合わせて低く変えられている。
 シドレ シドレ シレドラ → ♯ソラシ ♯ソラシ ♯ソシラ♯ファ 
 シレド シレド シレドラ → ♯ソシラ ♯ソシラ ♯ソシラ♯ファ のように。
 そして、この繰り返しと低い音への変更が、ハラハラと散り行く落ち葉のさまを見事に表現している。たいへん凝った造りの曲だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「パリの公園」

2018-12-03 10:56:18 | 音楽の楽しみー歌
ビュット・ショーモンで子供時代を過ごした
家が貧しかったので、ヴァカンスもそこで
立ち入り禁止の芝生を横目で見ていた
草の間に痩せたヒナギクが咲いていた
 パリの公園は芝生と摘んではいけない花と
 銅像の下で退屈している子供で一杯
 銅像の下でね

リュクサンブールで青春を過ごした
はじめての恋とはじめての過ち!
ある学生が私を夢中にさせた
17歳の私にもういちど戻れたら!
 パリの公園はスズメと恋人たちでいっぱい
 そこが我が家のつもりでいるねぐらのない恋人たち
 そこが我が家だとね

モンソーである実業家が
ルネサンス風の館をくれた
友達と宝石と毛皮に囲まれて
ベッドから公園の緑を眺めた
 パリの公園は恋を求める老紳士で一杯
 毎日は食事もできない美しい娘を相手に
 毎日は食事もね

チュイルリーが私の最後の居場所
すっかり年を取って歩くのもやっと
ここでさまよい歩くのは私でなく私の影
昔の素晴らしい日々を空しく求めながら
 パリの公園は子供とスズメと銅像と 
 恋人たちと失われた夢で一杯 
 永遠に失われたね

 …昨日神代植物公園を歩いていて、ふと古いシャンソンを思い出した。コラ・ヴォケールの歌ったものだ。歌詞の内容は通俗的なものだが、コラの、声を張り上げない、語り掛けるような、甘みのある、ややとつとつとした感じがする歌唱が、主人公の哀しみをよく表現している。ぼくの好きな歌のひとつだ。まだぼくは歩き回れるから、この哀しみはすこし遠いが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の光

2018-11-09 08:49:28 | 音楽の楽しみー歌
 3日前のことだが、仕事をやめてからおよそ8か月半ぶりに、デュモンに行った。雨が降っていて、天気予報は本降りだったが、2月末にやめるときに「半年たったらいちど顔を出します」と言っていたし、顔を出すなら広瀬敏郎さんの歌が聴きたいと思っていた。先月の予定だったが、用事ができて行かれなかったのだ。
 中にいた間は見慣れたことなので実感がなかったが、改めて客として座ってみると、デュモンは落ち着いたインテリアの、ゆったりとくつろぐことのできる、趣味の良い居心地の良い店だ。ぼくの代わりに入ったスタッフのMayumiさんが明るくきびきびと動いていて、ぼくの頃よりもずっと良くなったように思う(これは、読者の誰かに「そんなことないですよ。悟さんは…」と言ってもらうことを期待していない。念のため)。
 広瀬さんの歌は素晴らしかった。特に最後の2曲、「アンコーラ」と「ナポリへの涙」。素晴らしい声の伸びと細部まで心を込めた表現力。また聴きたい。「ナポリへの涙」はいつか僕が好きだと言っていたのを覚えてくれていて、最後に歌ってくれたのだ。
 …ところで、広瀬さんの歌だけでなく、スタッフの歌も二人の前歌さんもオーナーの日野さんの弾き語りも含めて、改めて感じたことがある。
 それは、「ああ、ぼくは歌をやめて良かった。もっと早くやめればもっと良かった」ということだ。
 ぼくは、彼らの持っている、歌い手になる条件を、ほとんど何も持っていない。
 ここで、「歌をやめる」とは、スポットライトを浴びてお金を払って聴いてくれる客に向かって一人で歌う、あるいは、プロを目指す、ことをやめる、という意味であって、人前で(団欒の場で)歌うこと、あるいは家で一人で歌うこと、全部を意味しない。歌が嫌いになることを意味しない。
 歌の才能がない、ということは、もちろん、音程が、リズム感が、声量が、ということだけを意味しない。歌手は、パフォーマーだ。楽曲の解釈が、表現の仕方が、仕草や表情や声の出し引きや息づかいや、もっと言うなら、汗のかき方や目線の動かし方やピアニストとのアイコンタクトや躊躇いかたや当惑の仕方や…すべて含めて自然にこなしていくのが才能だ。
 そして何よりも、歌と歌の間の話術。お客とのコミュニケーション、というか、駆け引き。
 ぼくはほとんどそういう才能がなかったし、一生懸命そういうことを身に着けようという意識もなかった。
 そういうことを試みようとしたことがないわけではない。20年位前、フランスから帰ってきたころは、そういう関心が自分にもあった。だが結局、夢中にはなれなかった。ここのところ何年かは、ライトを浴びて歌うのが気が重く、なるべく避けていた。日野さんはそれに気が付いていたかもしれないが。
 歌い手には、人とのかかわりが苦手であっては、なることはできない。人とのかかわりに積極的な関心がなければ、なることはできない(これは芸術の二大分野、美術と音楽、の大きな違いだと思う)。
 (この話がなぜ「秋の光」なのかは、明日書くことにしよう。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「飛べ」

2018-11-02 21:33:11 | 音楽の楽しみー歌
 ぼくはずいぶん前にシャンソンから降りてしまったけれど、いまでも繰り返し心にかかる歌はいくつかある。そのひとつがこれ。歳取った最近ますます気になっている。10年くらい前に直訳を紹介したことがあるが、昨日もひっぱり出していたら誤訳に気が付いたので、ついでに手直しをしてみた。
 1995年にセリーヌ・ディオンが出してフランスでは爆発的な大ヒットとなったアルバム「D‘eux」の中にあった。あのすごい声量のディオンがささやき声だけで歌っている、異色の曲。作詞作曲は、J.J.ゴールドマン。

飛べ飛べ 小さな翼
優しいお前 私の燕
遥か遠くに 心晴れやかに飛び去れ
ここには何も お前を引き止めるものは無いから

空と大気に帰れ
私たちを離れ 大地を離れ
哀しみの衣を脱ぎ捨て
別の世界に帰れ

 飛べ飛べ 私の妹
 私の天使 私の苦しみ
 体を捨て 私たちを残し
 やっと お前の悩みの終わる時

 彼方の岸へ帰れ
 花々と笑いのあふれる岸へ
 あこがれ続けた岸へ
 子供の頃のおまえの命へ

  飛べ飛べ 私の愛
  この世の愛は重すぎ
  心を安らげるものは何も無いから
  最後の旅へ飛びたて

  疲れ果てたこの世での時を捨て
  飛べ もうそうしてもいいのだ
  息吹になれ 鳩になれ
  今 飛び立つために

   飛べ飛べ 小さな炎
   私の天使 私の魂
   哀しみの肌を脱ぎ捨て
   もういちど光に出会え
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふるさとの山

2018-05-31 10:47:50 | 音楽の楽しみー歌
 ぼくは甲府盆地の東北部、いまの甲州市塩山というところで生まれ、5年生の終わりまで過ごした。ブドウや桃の産地で、当時のあのあたりとしてはかなり広いブドウ畑を持っていて、父はワインを造っていた。
 棚掛けの葡萄畑は、棚をブドウの重みに耐えてぴんと張るように、畑をぐるりと囲んで斜めの支柱を立てる。現在はどこもコンクリートの柱になっているようだが、当時は丸太を使っていた。柱はなるべく寝かせて建てる方がテンションは得られるので、子供でも楽によじ登ることができた。青々とした葉っぱのあいだから身を乗り出して棚の上にまたがるのが大好きだった。ぼくは、屋根の上とか塔の上とかとにかく高いところが好きだった。そこに立つと、ぼくの知っている世界の周囲に、まだ知らない世界がどこまでも広がっていて、あこがれを胸に覚えた。
 棚の上に座ると、ぼくの周囲には同じように緑の棚が斜面に沿って少し傾きながらずっと広がっていて、その向こうに甲府盆地が、さらにその周囲には盆地を取り囲む山々が連なっていた(それが南アルプスや奥秩父や御坂山塊だということは、後になってから知った)。そしてその中に周囲の山から一つだけ高く、富士山が見えた。
 それが、ぼくの慣れ親しんだふるさとの山だ。

 古賀力さんが亡くなった。
 古賀さんの功績と言えば、シャルル・トレネやジャン・フェラやジョルジュ・ブラッサンスやレオ・フェレを日本のシャンソン愛好家たちの財産にした、ということにあるだろうが、ぼくが第一に挙げたいのは、かれの“字余り訳詞”だ。
 以前に書いた(「訳詩について」4/13)が、日本語は西欧語に比べて音節の構造がシンプルなので、音符に日本語の音節を単純にのせていくと、歌に盛り込める内容自体がシンプルなものになってしまう。だから日本では短詩形に直截な叙情や叙景を盛り込む文学が発達した。
 シャンソンを日本語に訳詞しようとすると、中身が単純なものになってしまうという困難が付きまとう。だから、常套的な恋の歌が多くなる。
 古賀さんは、この困難を乗り越えるために、元の歌の1音にたくさんの日本語の音節を詰め込むことを試みた。これは、メロディーの美しさやリズムの明快さを損ないかねないので、リスキーな作業だ。
 彼はそのリスクを乗り越えただけでなく、その作業を通じて独特の歌の世界を作り上げた。シャンソンを好きな者ならだれもが知る彼のあの語りかけるような味わいのある、ペーソスとユーモアを帯びた歌唱はそうして生まれたものだ。
 「シャンソンはフランスの演歌だ」というのが、歌い手にもお客にも通念になっているようだが、それは全然違う。日本人が勝手に演歌のようにして取り込んでいるだけのことだ。
 古賀さんの訳詩は、そして歌唱は、シャンソンが演歌のようであることを嫌った。そして演歌とは全く違った文化であることを示した。少なくともシャンソンが演歌になだれ込んで呑み込まれてしまうのを阻む防波堤の役割を果たした。
 これも彼の独特の訳詩にかける情熱の功績だと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

望郷と日本人

2018-04-19 23:20:26 | 音楽の楽しみー歌
 アルジェリアの地中海沿岸の町にフランス語の科学技術通訳の仕事で赴任していた時の話。
 某大企業の日本人宿舎にいたのだが、派遣の通訳とは違って、社員の皆さんは、「ここは地の果てアルジェリア」と本気で思っている。娯楽もないし、町は危険だし(当時はそんなことはなかったのだが)、早く日本に帰りたくてたまらない。誰かの着任とか帰国とか、何かと理由を考えて宴会をするのだが、宴会の最後には必ず、全員で肩を組んで、「北国の春」を歌う。歌っているうちに何人もが泣き出して、涙の大合唱になるのが毎度のことだった。
 「北国の春」は名曲だと思うが、一流企業の大の大人が、みんなでおいおい泣く、望郷の思いここに極まれり、という感じ。
 日本人は、心優しく、かつ弱い。
 アルジェリアは地球の裏側だが、国内で移動する場合を考えると、アメリカやロシアに比べ、移動距離は短い。帰ろうと思えば帰りやすくもある。仕事先や住むところは決まっている場合が多いし、生活はある程度保証されている。何人かで一緒に出発することも多い。
 西部やシベリアへ、たった一人で出かける、生きて帰れるかどうかもわからない、というのとは全然違う。
 それに、日本では、家族や同郷の人達に見送られて、励ましの声をかけられて、というのが多かったのではないだろうか。
 帰ろうと思えば帰れるケースも多い。
 「帰ろかな 帰るのよそうかな」(北島三郎「帰ろかな」)というのは、その例だ。
 加藤登紀子の「帰りたい帰れない」も、帰れない、と言っているが、これは自分の心の中の決心の問題であって、実際に帰ることのできない状況にあるのではない。
 日本の望郷の歌は、心に沁みる良い歌がすごく多いのだが、比較的おだやかな、甘い歌が多いのではないだろうか。
 もう一つ、故郷に「あの娘」が待っている、という歌詞が非常に多いのも特徴だろう。
 「帰ろかな」も、「北国の春」もそうだが、「ふるさと」(五木ひろし)、「別れの一本杉」(春日八郎)、「チャンチキおけさ」(三波春夫)、「望郷酒場」(千昌夫)、「望郷じょんがら」(細川たかし)…いくらでも挙げられると思う。(例が古くて申し訳ないがお年寄りと懐メロを歌っているので、主に関心がそのあたりにある。)
 したがって、望郷の歌と慕情の歌との境界線があいまいである。そして、たいていの場合、「あの娘」は二番になって出てくるのも顕著だと思う。最初からは言わない、日本人のつつましさだろうか。

 …さて、この調子で書いていくといくらでも書けそうだが、少し飽きても来たので、最後にぼくの大好きな望郷の歌を挙げて、ひとまず終わりにしたい。
 越谷達之助作曲の日本歌曲「やわらかに柳あおめる」。石川啄木の短歌に曲をつけたものとしては、同じ越谷の「初恋」の方が圧倒的に有名だが、こちらは勝るとも劣らない名曲だ。

やわらかに柳あおめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
ああーあーーーあー あーーーあー あーーあー あーーーあー
北上の岸辺よ
ああーあーーーあー あーーーあー あーーあー あーーーあー
北上の岸辺よ

 優しく歌われる主部の後、母音唱法で夢見るように、かつ嘆息のように反復して歌われて、ピアノの間奏・後奏が岸辺に寄せるさざ波のように続く。一度だけ、ライヴで聴いたことがある。目をつむって聴くべき歌だ。
 楽譜はあるが、残念ながらYouTubeには入っていない(新井満作曲のものとは別物)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

望郷の歌(2)

2018-04-17 22:16:45 | 音楽の楽しみー歌
 望郷というのは、遠くしかも長期間離れている故郷を思うのだから、当然のことながら、移動を前提とする。移動は、罪を犯して故郷にいられなくなった、というような個人的事情によるものもあるが、多くの場合、社会現象でもある。
 アメリカで言えば、西部開拓と、これに伴う大陸横断鉄道の建設とか、ゴールドラッシュとか。南北戦争後は、北部工業地帯への労働力の集中とか。
(南北戦争における重要な争点である奴隷解放は、ただ単にヒューマニズムではなく、北部での安価な大量の労働力の供給という面もあった。政治はしばしば、経済からの(資本からの)要請に応えるために、耳に心地よい言葉を発明する。「より自由なライフスタイルを選択する可能性」と現日本政府が言っている「働き方改革」というのもそれだ。お上の言うことには用心しなければいけない。)
 そのあとは、開拓者たちが住み着いた土地からの、その子孫たちの東部や西部の都市への移住もある。
 個人の仕事探しの旅も、罪を犯しての旅も、こうした社会現象の中で起こった出来事が多いだろう。
 望郷の歌は、そのような社会現象の中で生まれ、歌い継がれる。

 日本で言えば、明治維新後の大移動。また、明治時代には、学業や仕事のために長距離を移動することは多かった。江戸で生まれた夏目漱石は松山へ、次いで熊本へ赴任しているし、その熊本で生まれた犬童球渓は音楽教師として新潟に赴任し、望郷の思いから「旅愁」や「故郷の廃家」の美しい日本語訳を生み出した。
 戦前の、大陸や南方への移動、戦後の大移動、それから、集団就職や出稼ぎ。(「金の卵」も「マイホーム」も、上に書いた、耳ざわりの良い言葉の中だ。)ここでも、そのような社会現象の中で歌が生まれ、歌い継がれる。

 …と前置きをしたうえで、日本の望郷の歌の中でまず挙げるとすれば、「新相馬節」の一番だろうか。
 一般に、民謡は地元の人々が、地元の良さを歌うもの(お国自慢)が圧倒的に多いので、普通は望郷の歌にはならない。また、各節がばらばらに作られて後でまとめられるケースが多いので、内容は一貫していない。 新相馬節もあとの方は恋の歌詞が多い。にもかかわらず一番先に挙げたのは、言うまでもなく、東日本大震災と福島第一の原発事故の後、この一番の歌詞が究極の胸せまる哀切の歌になってしまったからだ。

ハァーアー
遥か彼方は 相馬の空かョー
ナンダコーラヨート
(ハァ チョーイチョーイ)
相馬恋しや 懐かしや
ナンダコーラヨート
(ハァ チョーイチョーイ)

 鈴木正夫の、また三橋美智也の美しい声が、その哀切を深める。でも、この二人だけでなく、この歌は誰が歌っても、相馬や福島を離れた人が歌ったらなおさら、そうでない人が歌ってもやはり、聴くものは、また、共に歌うものは、この歌に哀切と共感を覚えるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする