すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

望郷と日本人

2018-04-19 23:20:26 | 音楽の楽しみー歌
 アルジェリアの地中海沿岸の町にフランス語の科学技術通訳の仕事で赴任していた時の話。
 某大企業の日本人宿舎にいたのだが、派遣の通訳とは違って、社員の皆さんは、「ここは地の果てアルジェリア」と本気で思っている。娯楽もないし、町は危険だし(当時はそんなことはなかったのだが)、早く日本に帰りたくてたまらない。誰かの着任とか帰国とか、何かと理由を考えて宴会をするのだが、宴会の最後には必ず、全員で肩を組んで、「北国の春」を歌う。歌っているうちに何人もが泣き出して、涙の大合唱になるのが毎度のことだった。
 「北国の春」は名曲だと思うが、一流企業の大の大人が、みんなでおいおい泣く、望郷の思いここに極まれり、という感じ。
 日本人は、心優しく、かつ弱い。
 アルジェリアは地球の裏側だが、国内で移動する場合を考えると、アメリカやロシアに比べ、移動距離は短い。帰ろうと思えば帰りやすくもある。仕事先や住むところは決まっている場合が多いし、生活はある程度保証されている。何人かで一緒に出発することも多い。
 西部やシベリアへ、たった一人で出かける、生きて帰れるかどうかもわからない、というのとは全然違う。
 それに、日本では、家族や同郷の人達に見送られて、励ましの声をかけられて、というのが多かったのではないだろうか。
 帰ろうと思えば帰れるケースも多い。
 「帰ろかな 帰るのよそうかな」(北島三郎「帰ろかな」)というのは、その例だ。
 加藤登紀子の「帰りたい帰れない」も、帰れない、と言っているが、これは自分の心の中の決心の問題であって、実際に帰ることのできない状況にあるのではない。
 日本の望郷の歌は、心に沁みる良い歌がすごく多いのだが、比較的おだやかな、甘い歌が多いのではないだろうか。
 もう一つ、故郷に「あの娘」が待っている、という歌詞が非常に多いのも特徴だろう。
 「帰ろかな」も、「北国の春」もそうだが、「ふるさと」(五木ひろし)、「別れの一本杉」(春日八郎)、「チャンチキおけさ」(三波春夫)、「望郷酒場」(千昌夫)、「望郷じょんがら」(細川たかし)…いくらでも挙げられると思う。(例が古くて申し訳ないがお年寄りと懐メロを歌っているので、主に関心がそのあたりにある。)
 したがって、望郷の歌と慕情の歌との境界線があいまいである。そして、たいていの場合、「あの娘」は二番になって出てくるのも顕著だと思う。最初からは言わない、日本人のつつましさだろうか。

 …さて、この調子で書いていくといくらでも書けそうだが、少し飽きても来たので、最後にぼくの大好きな望郷の歌を挙げて、ひとまず終わりにしたい。
 越谷達之助作曲の日本歌曲「やわらかに柳あおめる」。石川啄木の短歌に曲をつけたものとしては、同じ越谷の「初恋」の方が圧倒的に有名だが、こちらは勝るとも劣らない名曲だ。

やわらかに柳あおめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
ああーあーーーあー あーーーあー あーーあー あーーーあー
北上の岸辺よ
ああーあーーーあー あーーーあー あーーあー あーーーあー
北上の岸辺よ

 優しく歌われる主部の後、母音唱法で夢見るように、かつ嘆息のように反復して歌われて、ピアノの間奏・後奏が岸辺に寄せるさざ波のように続く。一度だけ、ライヴで聴いたことがある。目をつむって聴くべき歌だ。
 楽譜はあるが、残念ながらYouTubeには入っていない(新井満作曲のものとは別物)。
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