一か月前に小下沢林道を歩いた時には、関場峠に上がったら濃い霧が出ていた。霧の向こうで鳴くウグイスの声を聴きながら一人で歩いた(06/25)。4日前に友人と六号路を歩いた時も、それほど濃くはないが霧が出ていた。高山の広い迷いそうな尾根道でさえなければ、霧の中を歩くのは好きだ。
金子光晴の「かつこう」を思い出す。
しぐれた林の奥で
かつこうがなく。
うすやみのむかうで
こだまがこたへる。
すんなりした梢たちが
しづかに霧のおりるのをきいてゐる。
その霧が、しづくになつて枝から
しとしとと落ちるのを。
霧煙りにつづいてゐる路で、
僕は、あゆみを止めてきく。
さびしいかつこうの声を。
みぢんからできた水の幕をへだてた
永遠のはてからきこえる
単調なそのくり返しを。
僕の短い生涯の
ながい時間をふりかへる。
うとうとしかつた愛情と
うらぎりの多かつた時を。
別れたこひびとたちも
ばらばらになつた友も
みんな、この霧のなかに散つて
霧のはてのどこかにゐるのだらう。
いまはもう、さがしやうもない。
はてからはてへ
みつみつとこめる霧。
とりかへせない淋しさだけが
非常なはやさで流されてゐる。
霧の大海のあつちこつちで、
よびかはす心と心のやうに、
かつこうがないてゐる。
かつこうがないてゐる。
これは生前には彼の詩集に入れられていない。金子光晴という縦横無尽自由自在の反骨の詩人の作品としては、自他ともにあまり高い評価は得ていないかもしれない。
ややセンチメンタルではあるが、センチメンタルを好むぼくの気持ちにとても近い。残念ながらぼく自身はこのような、的確に過不足なく自分の気持ちを表現する言葉の能力を持たない。だが、自分が単なる一人の鑑賞者であって、共感者であって、それはそれでよいと思える。ぼくのきもちを、まさにその通りと感じられるように言葉にしてくれる、あるいは、自分の感情に気付かせてくれる先人がいるのだから。
何度か触れている須賀敦子も、最近読んだブッシュ孝子もそのような大切な詩人だ。
なお、金子光晴はこれを50歳の頃、1945年ごろに書いている。もしかしたら、霧の中でばらばらに散ってしまった友人や恋人というのは、ぼくのような単なるセンチメンタリズムではなくて、戦争によるものかもしれない。
今日はこれから久しぶりのコンサート。サントリーホールで東京交響楽団の演奏するベートーヴェンの交響曲第三番だ。少し怖いがわくわくする。
金子光晴の「かつこう」を思い出す。
しぐれた林の奥で
かつこうがなく。
うすやみのむかうで
こだまがこたへる。
すんなりした梢たちが
しづかに霧のおりるのをきいてゐる。
その霧が、しづくになつて枝から
しとしとと落ちるのを。
霧煙りにつづいてゐる路で、
僕は、あゆみを止めてきく。
さびしいかつこうの声を。
みぢんからできた水の幕をへだてた
永遠のはてからきこえる
単調なそのくり返しを。
僕の短い生涯の
ながい時間をふりかへる。
うとうとしかつた愛情と
うらぎりの多かつた時を。
別れたこひびとたちも
ばらばらになつた友も
みんな、この霧のなかに散つて
霧のはてのどこかにゐるのだらう。
いまはもう、さがしやうもない。
はてからはてへ
みつみつとこめる霧。
とりかへせない淋しさだけが
非常なはやさで流されてゐる。
霧の大海のあつちこつちで、
よびかはす心と心のやうに、
かつこうがないてゐる。
かつこうがないてゐる。
これは生前には彼の詩集に入れられていない。金子光晴という縦横無尽自由自在の反骨の詩人の作品としては、自他ともにあまり高い評価は得ていないかもしれない。
ややセンチメンタルではあるが、センチメンタルを好むぼくの気持ちにとても近い。残念ながらぼく自身はこのような、的確に過不足なく自分の気持ちを表現する言葉の能力を持たない。だが、自分が単なる一人の鑑賞者であって、共感者であって、それはそれでよいと思える。ぼくのきもちを、まさにその通りと感じられるように言葉にしてくれる、あるいは、自分の感情に気付かせてくれる先人がいるのだから。
何度か触れている須賀敦子も、最近読んだブッシュ孝子もそのような大切な詩人だ。
なお、金子光晴はこれを50歳の頃、1945年ごろに書いている。もしかしたら、霧の中でばらばらに散ってしまった友人や恋人というのは、ぼくのような単なるセンチメンタリズムではなくて、戦争によるものかもしれない。
今日はこれから久しぶりのコンサート。サントリーホールで東京交響楽団の演奏するベートーヴェンの交響曲第三番だ。少し怖いがわくわくする。