すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「かつこう」

2020-07-25 10:07:04 | 
 一か月前に小下沢林道を歩いた時には、関場峠に上がったら濃い霧が出ていた。霧の向こうで鳴くウグイスの声を聴きながら一人で歩いた(06/25)。4日前に友人と六号路を歩いた時も、それほど濃くはないが霧が出ていた。高山の広い迷いそうな尾根道でさえなければ、霧の中を歩くのは好きだ。
 金子光晴の「かつこう」を思い出す。

 しぐれた林の奥で
 かつこうがなく。

 うすやみのむかうで
 こだまがこたへる。

 すんなりした梢たちが
 しづかに霧のおりるのをきいてゐる。
 その霧が、しづくになつて枝から
 しとしとと落ちるのを。

 霧煙りにつづいてゐる路で、
 僕は、あゆみを止めてきく。
 さびしいかつこうの声を。

 みぢんからできた水の幕をへだてた
 永遠のはてからきこえる
 単調なそのくり返しを。

 僕の短い生涯の
 ながい時間をふりかへる。
 うとうとしかつた愛情と
 うらぎりの多かつた時を。

 別れたこひびとたちも
 ばらばらになつた友も
 みんな、この霧のなかに散つて
 霧のはてのどこかにゐるのだらう。

 いまはもう、さがしやうもない。
 はてからはてへ
 みつみつとこめる霧。
 とりかへせない淋しさだけが
 非常なはやさで流されてゐる。

 霧の大海のあつちこつちで、
 よびかはす心と心のやうに、
 かつこうがないてゐる。
 かつこうがないてゐる。

 これは生前には彼の詩集に入れられていない。金子光晴という縦横無尽自由自在の反骨の詩人の作品としては、自他ともにあまり高い評価は得ていないかもしれない。
 ややセンチメンタルではあるが、センチメンタルを好むぼくの気持ちにとても近い。残念ながらぼく自身はこのような、的確に過不足なく自分の気持ちを表現する言葉の能力を持たない。だが、自分が単なる一人の鑑賞者であって、共感者であって、それはそれでよいと思える。ぼくのきもちを、まさにその通りと感じられるように言葉にしてくれる、あるいは、自分の感情に気付かせてくれる先人がいるのだから。
 何度か触れている須賀敦子も、最近読んだブッシュ孝子もそのような大切な詩人だ。    
 なお、金子光晴はこれを50歳の頃、1945年ごろに書いている。もしかしたら、霧の中でばらばらに散ってしまった友人や恋人というのは、ぼくのような単なるセンチメンタリズムではなくて、戦争によるものかもしれない。

 今日はこれから久しぶりのコンサート。サントリーホールで東京交響楽団の演奏するベートーヴェンの交響曲第三番だ。少し怖いがわくわくする。
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ヒロシマ神話

2020-03-23 10:20:25 | 
 現代詩(戦後詩)を読み直している。というより、「読み始めている」と言った方が良いかもしれない。若い頃読んでいた時期があるが、理解できていたとは言い難い。今でも、よく理解できるとは言えない。だから、解りやすいものだけを読んでいる。それでも、歳をとって、理解できる範囲がいくらかは広がったかもしれない。
 以前はよく解らなかったのに、いまならいくらかは解る詩人・作品がある。ぼくがそれなりに時を過ごして、死にも近づいているからだろうか。
 その一人に、お恥ずかしいことながら、嵯峨信之さんがいる。
 「さん」付けで呼ぶのは、「お恥ずかしいことに」と書くのは、嵯峨さんには生前にずいぶんお世話になっているのだからだ。ただし、そのことは別途書くことにして、先に彼の作品を(わかりやすいものを)2、3紹介したい。
 
  

二度と消さないでくれ
わたしの中からお前の中へうつす小さな火を
それはこの世にただ一つしかない火だ
わたしと死との深い谷底から大きな鳥が舞い下りて拾いあげた
 のだ
その小さな火は
お前に何も求めない
だが零(ゼロ)のように空しさをもつてお前を庇い
あらゆるものからお前を拒むのだ
いま素裸のお前は
その火をかかげて階段に立つている
はてしれぬ二階へつづいている階段の上に


  旅の小さな仏たち

何も数えなくてもいい
指は五本ずつある
二つの手を合わせて同じものが十本
それを折りまげずに真つすぐにして 向い合せて
指の腹と腹 掌と掌とをぴつたりくつつけて両手を閉じる
そのなかに何を包むか
旅の小さな仏たち

その群れにまじつてたち去つて行くおまえに
ただ一度のさようならを云う
さようならと

註:奥様が無くなられたのちに発表された作品。手は作者の手ではなく亡くなった人の手だ。この作品はこうして引用していても涙が出てしまう。


  ヒロシマ神話

失われた時の頂きにかけのぼつて
何を見ようというのか
一瞬に透明な気体になつて消えた数百人の人間が空中を歩い
 ている

  (死はぼくたちに来なかつた)
  (一気に死を飛び越えて魂になつた)
  (われわれにもういちど人間のほんとうの死を与えよ)

そのなかのひとりの影が石段に焼きつけられている

  (わたしは何のために石に縛られているのか)
  (影をひき放されたわたしの肉体はどこへ消えたのか)
  (わたしは何を待たねばならぬのか)

それは火で刻印された二十世紀の神話だ
いつになつたら誰が来てその影を石から解き放つのだ
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復活

2020-03-08 10:20:53 | 
夜の雨ごとに
丘は少しずつ緑に傾いていく
昨日今日明日と続く
その変化が目に見えるわけではなく
しかし確実に何かが変わりつつあり
何かが来ようとしている

時が満ちれば大地はよみがえる
それは時が来るまで忘れられていただけで
しごく当然のことなのだが

その時が満ちるまでの
永い遠い 不安と恍惚の時

丘の頂に
年を経たコルク樫が一本
枝を半分枯らし
残りの半分で生きている
その根方に
麻袋をのせた木箱がひとつ
昨夜の雨に濡れたままおいてある

羊を飼う老人のように
ぼくはそこに腰を下ろし

風に目を細める
海からの風に焼かれ
沙漠からの風に削られた

褐色の皮膚のしみも窪んだ深い目も
ぼくはまだ持ってはいないが

海からの風は
雨の兆し
沙漠からの風は
晴れの兆し

やっと伸びはじめた草の中に
早くも花を咲かせようとしている
野生のニラの小さな六粒のつぼみ

はるか丘のふもとには
工場のコンクリートと鉄骨の残骸
その横に飛行場の跡
ひび割れた滑走路からも
芝草は芽吹き 伸び 広がり

その先はオリーブとオレンジの畑が
波うつ丘陵の向こうへ消えている

やがてユーカリの花が咲き
ミモザの花が咲き
野はいちめんの菜の花の黄に染まり

子供たちは手かごに
アザミの若芽を摘むだろう

そのあとふたたび過酷な季節が来ることを
ぼくは知っている
だが受け容れることができる

ぼくは何時 夕暮れに
杖にすがりつつ
戻る羊を数えるだろうか

(旧作)
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「母は遠しも」(続き)

2019-10-24 19:09:36 | 
 それでは、ぼくの大好きな夢二の詩ふたつ。

   かへらぬひと
 
 花をたづねてゆきしまま
 かへらぬひとのこひしさに
 岡にのぼりて名をよべど
 幾山河は白雲(しらくも)の
 かなしや山彦(こだま)かへりきぬ。

 先日挙げた「どんたく」の中の「日本のむすめ」という章に「宵待草」などと並んで入っている(「みしらぬ島」もここに入っている)。この詩については、十年ほど前に書いている。それをおおむね転記したい。

…「宵待草」を作曲した多忠亮(おおのただすけ)と、もう一人、山本芳樹という人が「花をたずねて」の題名で曲をつけている。多の曲は憂いに満ちた、転調を伴う優美なワルツだが、ぼくは悲しみを直截に歌い上げた山本曲のほうが好きで、時々歌っている。
 死んでしまった恋人を思う詩だ。
 「幾山河は 白雲の」は、恋人の名を呼んでも、山や川は白雲が立ち込めて、というのと、知らぬ気に・知らん顔で、というのの掛詞(かけことば)だ。
 「花を尋ねて 行き(逝き)しまま 帰らぬ人の 恋しさに」、死んでしまった、というのを、桜の花を尋ねて奥山に分け入ってしまった、と表現している(感じている)。
 万葉集の頃から、日本人は、愛する人が死んでしまった時、彼女(彼)は山に入っていってそこで暮らしている、と感じる感じ方があったようだ。
 十市皇女(とおちのひめみこ)が亡くなった時に高市皇子(たけちのみこ)が詠んだ、 

  山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく

というのも、柿本人麿が、妻に死なれたときに詠んだ、

  秋山の黄葉(もみじ)を茂み迷(まど)わせる妹を求めむ山道(やまじ)知らずも

というのも、同じ発想から書かれている(よそふ、は、風情を添える、飾る)。二つとも心に沁みる。
 つまりこの詩では夢二は白秋や牧水を越えて、古代からの日本人の感性に寄りそって書いているのだ。
 この歌に詠まれたといわれている女性は、笠井彦乃。十二歳下の画学生。先日紹介した短歌「青麦の~」も、彼女を歌っている。
 ここで、ちょっとすごいな、と思うことがある。
 夢二の詩は、大正六年に作曲されている。たぶん、その少し前に書かれたのだと思う。
 大正六年、夢二は最愛の女性、彦乃と京都で同棲し、北陸を旅行して回っている。翌年九月、彦乃は発病し、父親に連れ戻され、入院する。二人はその後会うことなく、彦乃は九年の一月に亡くなる。
 夢二の詩は、彼女の亡くなる前、どころか、発病する前に書かれている。
 優れた芸術が時に人間の運命を先取り・予見してしまう、一つの例だ。

   母

 ふるさとの山のあけくれ
 みどりの門(かど)に立ちぬれて
 いつまでもわれ待ちたまう
 母はかなしも

 幾山河遠く離(さか)りぬ
 ふるさとのみどりの門に
 いまもなおわれ待つらんか
 母はとおしも

 これはもう、説明は要らない。味わうだけで胸がいっぱいになる。小松耕輔(「芭蕉」「泊り船」「沙羅の木」など)が作曲して、日本歌曲中の名曲として今も歌われている。(表記は歌曲の方の表記。原典は旧仮名遣いと思われるが原典にはあたっていない。)(旧仮名って、良いですね。)
 夢二は明治十七年、岡山県生まれ。母は昭和三年、夢二が四十四歳の時に死去。夢二自身は昭和九年に五十歳になる直前に亡くなった。「竹久夢二歌曲集」がけっきょく見つからないので、この詩が何時つくられたのかは、わからない。

 ところで、ついでに少し。
 「宵待草」は、女性の心を歌ったものと一般に思われているが、もちろん女性の歌い手が女心を歌ってぜんぜん異論はないのだが、もともと夢二が書いたものだし、相手の女性もわかっているし(笠井彦乃とは出会う前)、約束した女がやってこないのを待ちわびている男心の歌として歌って良いのではなかろうか。
 女々しい? 「さくら貝の歌」も本来は男の歌だし、日本の男は女々しい一面を持っていて、それが魅力でもあるものですよ。
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「母は遠しも」

2019-10-22 22:37:35 | 
 今から二十年近く前(!)、「大正ロマンを歌う」というコンサートをしたことがある。その時に、夢二の詩(夢二自身は、「小唄」と呼んでいた)による歌曲6曲を歌った。
 夢二の詩や短歌は、絵よりも好きだ。というか、好んで口ずさんだり暗唱したりするものがいくつかある。
 …と、その前に、先日書いた(10/19)「まだ見ぬ島へ」について少し補足しておきたい。
 娘は膝に肘を置いて、手で顔を覆って、つまり体を折り曲げるようにして泣いている。この姿勢が、彼女の悲しみの深さを教えてくれる。彼女は、近隣の漁村の娘で何か悲しいことがあって泣いている、のではない。故郷に母や妹を残して何年も旅をした果てに、この海辺にたどり着いたのだ。その間に、様々な苦しみを味わってきたことだろう。
 娘は、「島に行きたい。そこでなら今までの自分を捨てて新しい自分になれるかもしれない」と、漠然とした希望に縋りついてここまでやってきた。ここまでくれば、遠くその島が見えるに違いない、と思ってきた。なのに、島影は見えない。だから絶望して泣いている。
 涙が枯れ果てた後に、彼女はそれでも仕方なく立ち上がって、再びこの地上の生活を続けることになるだろう…ぼくはひどくセンチメンタルなことを書いているかな。でも、人間は、慟哭することってあるよね。

 …それはさておき。
 夢二の詩や短歌は、先行する誰かに似ていることが多い。例えば詩集「どんたく」は北原白秋の「おもひで」の亜流だと言わざるを得ない。
 また例えば、ぼくの大好きな、かつ有名な、短歌二首、
 
 さらばさらば野越え山越え旅ゆかむかなしきひとは忘れてもまし

はあまりにも若山牧水の雰囲気に近いし、

 青麦の青きをわけてはるばると逢ひに来る子とおもへば哀し

は明星派的だろう。
 ただし、模倣的だからといって必ずしも元の作品より劣っているわけではないし、かえって読者の心に響くものであることもある。
 例えば、「どんたく」の巻頭の「歌時計」

 ゆめとうつつのさかひめの
 ほのかにしろき朝の床。
 かたへにははのあらぬとて
 歌時計(うたひどけい)のその唄が
 なぜこのやうに悲しかろ。

は白秋の「おもひで」の中の「歌ひ時計」:

 けふもけふとて気まぐれな、
 昼の日なかにわが涙。
 かけて忘れたそのころに
 銀の時計も目をさます。

 から直接の着想を得ていると思われるが、叙情的には夢二に軍配を上げる。冒頭の二行が夢二の方が好きだし、白秋は恋の悲しみを歌っているのに対して、夢二は母への思慕を歌っている。また、白秋は、目覚まし時計が思わぬ時に鳴る、という着想の面白さから出発しているのに対し、夢二のは朝鳴る目覚まし時計から自然に悲しみが湧いている。

 資質のことは「糸車」「紡車(いとぐるま)」ではもっと顕著だ。

 夢二の「紡車」:

 しろくねむたき春の昼
 しずかにめぐる紡車。
 をうなの指をでる糸は
 しろくかなしきゆめのいと
 をうなの唄ふその歌は
 とほくいとしきこひのうた。
 たゆまずめぐる紡車
 もつれてめぐる夢と歌。

 白秋の「糸車」はちょっと長いが、大変優れた、心地よい詩だから、厭わずに読んで欲しい。

 糸車、糸車、しづかにふかき手のつむぎ
 その糸車やはらかにめぐる夕(ゆうべ)ぞわりなけれ。
 金と赤との南瓜(たうなす)のふたつ転がる板の間に、
 「共同医館」の板の間に、
 ひとり坐りし留守番のその媼こそさみしけれ。

 耳もきこえず、目も見えず、かくて五月となりぬれば、
 微(ほの)かに匂ふ綿くづのそのほこりこそゆかしけれ。
 硝子戸棚に白骨のひとり立てるも珍らかに、
 水路のほとり月光の斜(ななめ)に射すもしをらしや。
 糸車、糸車、しづかに黙(もだ)す手の紡ぎ、
 その物思(ものおもひ)やはらかにめぐる夕べぞわりなけれ。

 …これはもう、詩の完成度から言ったら白秋の圧勝でしょう。ぼくはこれ大好きだ。でもよく考えると、技巧が巧みすぎるんだよね。
 時を夕方に設定し、糸車を回す媼を聾盲に設定して、感覚世界を匂いと手触りだけに限定した。場所を「共同医館」にしたのはそのあとで硝子戸棚に立つ骸骨を登場させるためで、かくして「おもひで」特有の、少年の哀歓と戦慄を余すところなく表現している…あまりに戦略的過ぎると思いませんか。
 夢二の「紡車」の方が素朴ですね。本歌取りをしたにしてはやや稚拙ではあるけれど。
 (まだ夢二の詩のいちばん好きな作品たちにまでたどり着いていない。したがって、続く。続くが多くて面目無い。タイトルについては、次回。)
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竹久夢二(閑話休題)

2019-10-19 21:12:50 | 
 フォーゲラーの関連で夢二について書こうと思って、今朝「竹久夢二歌曲集」を探したのだが、見つからない。あれを人に貸すはずがないから(関心を持つ人がぼくの周りにいないから)どこかにあるに違いないのだが、楽譜だから比較的見つけやすいはずなのだが、見つからない。
 最近こんなことが多すぎて参ってしまう。気落ちしてしまったので、もう少し気楽なことを書こう。

 夢二の絵の女性が、ぼくは好きではない。あの細長い輪郭の中に描かれる、あの大きな目が、長い鼻すじが、厚い唇が、品が無い、と思う。叙情的? 物憂さ? そういうものは、品がなければいけない。
 幸い夢二にはいくつか、手で顔を覆って(泣いて)いる女、後姿の女の絵がある。表情は見えない。「夢二の女性は好きではない」、と書いたが、顔の見えない女の絵は良い。前者には「ゐのり」「青春譜」「得度の日」「まだみぬ島へ」などがある。後者には「野火」「光れる水」「雀の子」などがある。
 「青春譜」は不思議な絵だ。中央の地面から生えた大きな手は何だろうか? 右奥の山は形が榛名山らしく思われる。赤一色の女は何を泣いて、黄一色の男は何を慰めているのだろうか?この絵を描いた同じ時期に夢二は榛名山麓に芸術家コロニーをつくろうと思い、ほどなく挫折している。
 この絵の鮮やかなシンプルな色彩の対比は表現主義の影響を感じさせる。ヤマ勘だけで言うが、これはコロニーの計画が挫折したことと関連があるだろう。フォーゲラーがヴォルプスヴェーデのコロニーの挫折の後に表現主義の絵を描いたように。

 だが中でもぼくがひどく心を惹かれる、あるいは、心を揺さぶられるのは、「まだみぬ島へ」だ。これは、日本図書センター発行、愛蔵版詩集シリーズ、というのの中の「どんたく」の中にモノクロで印刷されているものしか知らない。「どんたく」は、大正二年、実業之日本社発行の夢二の絵入り詩集(初刊の扉によれば「絵入り小唄集」)だ。挿絵のひとつが「まだみぬ島へ」だ。元はカラーなのか、もともとモノクロなのか知らない。しかし、手元にあるこの小さな絵は、ぼくの心を鷲掴みする。
 手前、海を見下ろす丘の上に、黒い着物を着て帯を締めた娘が左向きに腰を下ろし、左手で(右手も?)顔を覆っている。膝から下は斜面に隠れて見えない。娘の左側に渚が見下ろされ、あとは縦長の画面の下から2/3ぐらいまでは海だ。波打ち際と水平線近くに小さな波が広がる。比較的静かな海だ。島影は見えない。添えられた詩はあまり良い詩とは思わないが、その一節に、
 うしなひしむかしのわれのかなしさに
 われはなくなり
とある。
 そういう感情を持ったことのない人は、この絵に心を惹かれることはないかもしれない。でも、そういう思いを抱いたことのある人なら、一目見るなり思うはずだ。
 「この娘はわたしだ。この娘の悲しみはわたしの悲しみだ」と。

 夢二の詩について書くつもりだったのに、絵について書いただけで終わってしまった。

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「わたしの/いずみは」

2019-01-08 21:10:05 | 
 以前にも書いた須賀敦子の詩集(18/03/25)をときどき読み直している。そのたびに改めて、シンプルな言葉の中に心を打つ表現に感嘆する。ぼくの今の気持ち、ぼくのある時の気持ちにぴったりな。というよりも、ぼくの心の中に形を持たないままにあったのは、こんな気持ちだったのだ、と気づかせてくれるような。クリスチャンであるかないかに関わりなく、だれでもがある時感じるかもしれない気持ちの動き。
 良い詩は、時に希望を、時に慰めを、時にもう少しのあいだ生きる勇気を与えてくれる。
 以下もその一つ。

わたしの
いづみは
きふに
うたはなくなってしまった。
なゝいろのつめたいしぶきを
きらきらと
朝の陽のなかに
まきちらし
ねむりからさめたばかりの
わたしの髪に
かほりをあたへ
わたしのからだに
仔鹿のちからと
よろこびを
あたへてくれた

わたしの いづみは
きふに
うたはなくなってしまった。

いづみよ
だれが
おまへを
のみほしてしまったといふのか。

いづみよ
それとも
おまへは
もう
わたしのところにかへってこないといふのか。

紫の
夕ぐれのひかりのなかで
きふに
涸れてしまった
わたしの
いづみのよこにすはり

わたしはたゞ
しづかにすゝりなく。

うたっておくれ
もう いちどで いゝのだから。
そのうたが
わたしの いのちをうばっても
いゝのだから。
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「地球」

2018-12-23 20:45:15 | 
 若い頃、一昨日のように冬の陽だまりの山歩きをしていて、幻のように空に浮かんだ昼の月を見て書いた詩。そのときぼくには、その白く美しい月が、人が住まなくなった後の地球のように、そして自分がいま立っている陽の暖かな大地の方が、幻影のように思えたのだ。

  地球         

青空に
地球が白く浮かんでいる

あれはすでに亡んだ星だから
乾ききった骨のように軽い

ぼくたちはかげろうの立つ落葉樹林に
冬芽の薄紫をさがし
枯れ草の間に
ちいさな青いイヌノフグリをさがす

空は光に満ちて澄み
ここの陽射しは明るい
ぼくたちの体は
陽に解けていきそうに希薄だ

あそこに地球が浮かんでいる
今はもうほんとうは亡んでしまった
ぼくたちの地球

ここにぼくたちが立っている
今はもうほんとうは亡んでしまった
ぼくたちの意識と肉体

こう感じているのは束の間だけ残った
ぼくたちの思いのかけらで
このおだやかな陽射しも林も草も
亡びる前に思い浮かべたものの
消え去るまでの残像で

青空に
乾いた骨が浮かんでいる
人間から解放されて
白く軽く浮かんだ地球

池の岸にイヌノフグリの咲いていた
冬の終わりの一日のまま

 …これも昔、月の地平から上る地球の写真の美しさに息を呑んだことがある。ぼくと同じように感じた人は多いのじゃないだろうか。
 「これはなんとしても護らなければならない」と。
 初めて宇宙から地球を見たガガーリンは、「地球は青かった」と空から送信してきた。今は空にいる彼は、「かつて地球は青かった」と思っているかも知れない。
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「老いた時への祈り」

2018-06-05 20:41:00 | 
 友人がヘッセの「人は成熟するにつれて若くなる」というエッセイ集を挙げていた。
 ぼくは、理想の老いと死はヘッセが小説「ガラス玉演技」で描いている「音楽名人」のそれだと思っているが、上記のエッセイは、今から20年ほど前に題名にひかれて買ってはみたものの、面白いとは思わなかった。
 あの頃ぼくは50歳になったばかりだったから、いま読めば違う感想を持つだろうか。
 一方で、「音楽名人」の老いとはまったく正反対だと言ってもいいと思うが、下記のような詩にも心を惹かれている。

 ウイリアム・バトラー・イエーツの詩の引用です。

…自分が賢い老人にならないように、
だれもほめそやす老人にならぬように
どうか守ってほしい。
ああ、ひとつの唄のために
阿呆みたいになれない自分など
なんの値打ちがあろう!

お願いだ――いまさら流行の言葉もなくて
ただ率直に祈りを繰り返すが――
どうかこの私を
老いぼれて死ぬかもしれんその時も
阿呆で熱狂的なものでいさせてくれ。
   「老いた時への祈り」(加島祥造訳)
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水底吹笛

2018-05-11 21:51:50 | 
 朝日新聞夕刊の「…をたどって」シリーズで、去年の4月に亡くなった詩人の大岡信を取り上げている(「大岡信をたどって」)。そろそろ終わりそうな気がするので、その前にぼくの大好きな詩を一つ挙げておきたい。
 大岡の初期の詩というと「春のために」が名高いが、あれも大変美しい詩だが、手放しの恋愛賛歌なので、今のぼくの気持ちからはやや遠い。「水底吹笛」の、あの柔らかで透明なナルシズムと感傷は、青春特有のものではあろうが、今でもぼくの心をゆする。

「水底吹笛」
   三月幻想詩
ひょうひょうとふえをふこうよ
くちびるをあおくぬらしてふえをふこうよ
みなそこにすわればすなはほろほろくずれ
ゆきなずむみずにゆれるはきんぎょぐさ
からみあうみどりをわけてつとはしる
ひめますのかげ――
ひょうひょうとあれらにふえをきかそうよ
みあげれば
みずのおもてにゆれゆれる
やよいのそらの かなしさ あおさ
しんしんとみみにはみずもしみいって
むかしみたすいしょうきゅうのつめたいゆめが 
きょうもぼくらをなかすのだが
うっすらともれてくるひにいのろうよ
がらすざいくのゆめでもいい あたえてくれと
うしなったむすうののぞみのはかなさが 
とげられたわずかなのぞみのむなしさが
あすののぞみもむなしかろうと
ふえにひそんでうたっているが
ひめますのまあるいひとみをみつめながら
ひとときのみどりのゆめをすなにうつし
ひょうひょうとふえをふこうよ
くちびるをさあおにぬらしふえをふこうよ

 …いかがだろうか。
 シャンソン関係の方は茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」以外はあまりご存じないかもしれないが、日本の現代詩にも美しい作品がいっぱいある。
 関心を持たれたら、その茨木のり子の「詩の心を読む」(岩波ジュニア新書)を手始めに手に取ってほしい。
 (これには、大岡信の作品としては、17/07/09 「おお ヴェネーツィア」で一部引用した「地名論」が取り上げられている。)
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自分の言葉

2018-05-08 23:16:10 | 
 今日は朝から、T.S.エリオットの「灰の水曜日」の第一の詩の冒頭部分が頭から離れない。というか、頭の中でリピートされている。

この人の才、あの人の器をうらやんで
ふたたび振返ることは望まないから
ふたたび振返ることは
振り返ることは望まないから
才能や器量を追い求め、あくせくあがくことはもうしない
(年老いた鷲が翼を広げたところで何になろう)
日頃世に君臨した力の消失を
嘆いたところで何になろう…

 むろんぼくはカトリック教徒ではないから、このフレーズが、および「灰の水曜日」の全体が、近似的であるとはいっても、ぼくの気持ちにぴったり当てはまるわけではない。
 それでも、その時々、自分の気持ちを代弁する言葉がふっと思い浮かぶのは便利なものだしうれしいものだ。
 先日(5/3)の「言葉なき歌」もそうだ。
 でも、もしかしたら、これは問題なのかもしれない。
 自分の言葉で何とか表現する苦労、自分の中からぴったりした言葉を引っ張り出す努力、をしないで済んでしまうのだから。
 これらは近似であって、ぼくの心そのものではない。
 でも、苦労や努力をしても自分の表現ができるわけではないんだよね、なかなか。自分の心の声をつぶやいているように見えても、だれでも思うような類型的な現代的な言葉をなぞっているだけ、っていうのがすごく多い気がする。
 それならば、詩歌という膨大なカードケースの中から自分の気持ちにかなった一枚を取り出す方がずっといい。
 ぼくの日常の喜怒哀楽なんてちっぽけなものよりは、はるかに豊饒で、しかも文化という時空を超えた広がりにつながっているのだから。
 まあ、自分の言葉で気持ちを表現する努力もしてみようとは思うが。
(冒頭のエリオットのフレーズはぼくにとっては、無念の言葉ではなく、慰謝の言葉だ。念のため。)
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アイ・ソー・ザ・ライト/わたしが歌いに来た歌は

2018-03-28 21:16:59 | 
 「アイ・ソー・ザ・ライト」は発表当時まったくヒットしなかったそうだが、今ではたいへんスタンダードな曲になっている。先日の発表会でも歌った人がいた。
 全くヒットしなかったのも当然かな、とおもわれる、完全に直球の、神への賛歌だ。
 「自分は罪の中に生きていたのに、救い主のおかげで光を見ることができた」という内容は、かの有名な「アメイジング・グレイス」とよく似ている。
 これを日本語でやられたらぼくは共感するわけがないと思うのだが、英語だから直接的に感じないのだろうか。
 素朴で力強い歌で、「アメイジング…」より好きだ(あちらも嫌いではないが)。
 ただ、あまりに直接的なので、ここに歌詞を載せるのはやめておく。

 …ところで、三日前に宗教的な詩作品に触れたときに、いちばん重要な詩人を挙げるのを忘れていた。それは、インドの、ラビンドラナート・タゴールだ。
 タゴールの詩は、引用したいものがいっぱいあるが、このブログは歌手の方が何人か読んでくれているかもしれないので、ここでは「ギタンジャリ(歌の捧げもの)」から、歌を題材にした一編を森本達雄の訳でのせておく。こちらは、「アイ・ソー…」よりは抵抗なく読んでもらえると思う。

「わたしが歌いに来た歌は 今日まで まだ歌われずにいます。
 わたしは 楽器の弦を緊めたり 弛めたりして、毎日を過ごしてきました。
 調子はととのわず、歌詞(ことば)もまだよくは並んでおりません――ただ わたしの胸のうちに 歌いたい欲求の悶えがあるばかり。
 花はいまだに開かず、風のみが 嘆息(ためいき)をつきながら吹きぬけてゆく。
 わたしはまだ あのかたのお顔を拝したことも お声を聴いたこともありません――ただ 表通りを行く あのかたの静かな足音を耳にしたことがあるだけです。
 床に敷物をのべているうちに 長い一日も過ぎ去った――けれども、まだランプに灯が入らないので、あのかたを家にお迎えすることはできません。
 わたしは あのかたにお逢いできるという 期待のうちに暮らしていますが、出会いの時はまだ来ない。」
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須賀敦子詩集

2018-03-25 11:07:09 | 
 昨日のブログを読んで、ぼくが非宗教的な人間だと思われたかもしれないが、必ずしもそうではない。神や霊魂の存在を最初から出発点にしてしかものを考えようとしない態度に反対しているだけだ。そうすると宗教を権威としてそれに盲従してしまうことになる。
 ぼくは信仰に基づいて書かれたと思われる文学作品のいくつかを繰り返し読むことがある。例えば、T.S.エリオットの「灰の水曜日」とか、R.M.リルケの「時禱集」とかだ。同じリルケの「ドゥイノの悲歌」は、神どころか天使などというものを重要な主題にしたものだが、難しくてわからないながら、繰り返し読む。
 この一冊も、繰り返し読むことになる本だと思う。
 須賀敦子の詩集「主よ 一羽の鳩のために」が出版された。
 ぼくは新刊の単行本は原則として買わないのだが、これも比較的薄い詩集であるし、わかりやすい言葉で書かれているし、本屋さんで軽く立ち読みしてしまおう、と思ったのだが、読んでいるうちに、「いやいや、これは繰り返し読み味わうことになるに違いない」と思い、買ってしまった。
 出たばかりの本を引用してはいけないのだろうが、このブログは営利を目的としていないし、本のPRにもなるかもしれないので、2編だけ紹介してみる。
 (ぼくも、時々、祈ることはある。何に向かって? たぶん、そらに向かって)

 (あゝ/とうとう)
 あゝ
 とうとう
 おまへは
 また
 やってきた
 無限のひかりと
 草を焦がす熱と
 水底の静けさの晝(まひる)をつれて。
 私はふたたび
 すべてを
 しっかりと
 両手に にぎりしめ
 菩提樹の香に咽せながら
 燃えさかる
 大地に
 うっとりと
 立つ。


 (これほど空があをくて)
 これほど空があをくて
 ミモザが
 黄のひかりを まきちらし
 くろい みどりの 葉のあひだに
 オレンヂが 紅く もえる朝は
 たゞ 両手を
 まっすぐにさしあげて
 踊りくるふほか
 なんとも しかたないのだ――。
 ひくゝ たかく
 うたひながら
 いのりつゞけるほか
 なんとも しかたないのだ――。
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デジャ・ヴュ

2018-03-17 14:17:50 | 
またいつか会えますね?

こうしてあなたと話しているぼくは
束の間の統一体にすぎず
いずれ形も意識も失うにしても
それが幾種類かの粒子によって構成された
ある一定の遺伝子の組み合わせだとすれば
いつかふたたび
そのような組み合わせが生ずるかもしれません

この宇宙が亡んだあと
いくつめかの宇宙の
こことよく似た星の上で

その時たまたまあなたが
やはりあなたである可能性は
ひどく少ないものかもしれませんが
時が無限でさえあれば
ゼロではないはずです

その時ぼくたちは
お互いに気付くでしょうか
そして思い出すでしょうか
向こうの山の上に湧いた
真っ白な雲の耀きと
その耀きのなかを帆翔している
二羽のノスリのことを

  * * *

いつか会ったことがありますね?

わずか数十年間の記憶をたどってみても
どこにもあなたを見つけることはできません
でもたしかに いつか遥かな時間の向こうで
ここにこうして坐って
畦道を走りまわる子供たちの歓声を
聞いていたことがあるはずです

あなたの傍らにいるとこんなに懐かしい
それなのにわけもなく胸が詰まるのは
十年前とか物心つく頃とかでなく
向こうの山の生まれる前
この星が生まれる前からの
今が幾度目かの出会いだからに
ちがいありません

あなたのその
考え事をする時 眉間にしわを寄せる癖を
ぼくは確かに 前から知っています

こうしてここに坐っていたぼくたちは
そのあと どうなったのでしょう
あれから
何千億年かが経ったのでしょうか
あなたが時々
遠くを見るような顔をするのは
それからあとのぼくたちのことを
思い出そうとしているのではありませんか?

 手紙(1)に書かれていた(3月14日の記事)、ぼくなりの輪廻転生観を、それからおよそ7年後に詩にしたものです。ただし、この時点で対象になっているのは、すでに、別の女性です(その彼女とはその後30数年間、手も握らずに、大切な友人として年に一度か二度会ってお酒を飲んで話をする仲が続いています)。
 これはずっと以前にブログに載せたことがありますが、再録しておきます。ついでに書きますが、日本で「デジャヴ」というのは、発音の間違いです。フランス語のuの字は、「ウ」と読まずに「ユ」と読むので。直してほしいものです。
 一般的な輪廻転生観については、反論ないし疑問を、また別に書きます。

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丘ノウエ

2017-07-19 22:21:37 | 
オレタチハ
イナクナロウジャナイカ

カクセンソー トカ
オンダンカ トカ
ソンナンジャナク
タトエバ マクガオリテ
アルヒキュウニ
ヒトリノコラズイナクナルホウホウヲ
カンガエヨウジャナイカ

オレタチガスガタヲケシテシマッタラ
コノホシノソラトウミハ
オレタチガアラワレルマエノ フカイアオニ
モドルニチガイナイ

ソレヲミラレナイノハザンネンダガ
ソンナノハタイシタコトジャナイ

ヒトリノコラズキュウニイナクナル 
ソンナホウホウガミツカルマデノアイダ 
トリアエズ ココニスワッテ
ユメノヨウナヒルノツキヲミアゲナガラ

クサノフエデモナラシテミヨウ 
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