地震、津波のメカニズム解説
生涯学習の一環として出席しました。
陸前高田に残った奇跡の一本松、復興の原点
今回の地震が如何に大きかったかを示した長方体
巨大なエネルギーが三陸沖を襲った。
地球が裂けるメカニズム
青森から千葉まで現地を回って8000km
大阪市立大学・原口強先生。
津波の被害地図を作った
現地踏破ありのまま報告。
被災地の自冶体に無償≪津波被害地図≫を提供。
復興に役立てて,地図を通して大津波の被害の事実を正確に受け止め次ぎへの
”安全な町作りに役立てて”もらいたい・・・・と、言っていました。
講座を聞き終えて
震災から1年が過ぎた。
復急から復興への時期にさしかかった今。
震災当時は町会や赤十字社を通して義援金をおくった。
仕事をとうして被災者の足になればと自転車を現地に届けた。
≪頑張ろう日本、心は一つ≫などのメッセイジをおくった。
これからも義援金もおくろう。買い物は東北の商品を買おう。メッセージをおくり続けよう。
≪絆≫は、国民にとって、一人ひとりと結ばれた、被災地と共有する赤い糸。
頑張れ日本、頑張れ東北。
皆で支えあう。
生き残った人の辛い叫びも今は絆に繋がれて前向きに歩んで居る事にホッとした気持ちになりました。
復興はこれから長い道のりです。
遠い所からでも側面支援は幾らでも出来ます。
続けましょうね~!
彼らが普通の生活に戻れる日を願って~!
義妹は宮城出身、多くの親族を亡くしました。
実家(既に空き家でしたが)も流されました。
津波直後に地元新聞社が撮った写真集を見せて貰いましたが、壮絶なものでした。
跡形も無くなった地元の写真を義妹は昨日も眺めていたと思うと胸が詰まります。
≫この会場は200円、私が行くところは5000円、一人だけ付録がいるからそれはそれで我慢できるでしょうが大変なことを請け負ったものだと反省しています。
ここは葛飾区が一枚間で居ますので、費用はともかくとして、
多くの方が、起きた震災を広く深く知ってもらいたいと言う考えの基に開かれました。
☆ その昔 貞観地震 激地震
先生が言っていた。
7~10年の間に大きな地震が来るだろう。
日本列島は火山帯の上に形成された国、裂けてと売れない宿命の上にある。いま活動期の中にあると言っておられた。
過去にも大地震があった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9E%E8%A6%B3%E5%9C%B0%E9%9C%87
全くそのとおり。
≫権力争いばかりしている国民の代表。
分らないだらけで一年も過ぎてしまった
よく≪現場を見ないものは語る事なかれ!!≫
まさしくソノトオリだと想います。
東北大震災の現場をTVでは見ました。
現場に経って肉眼で、未だ見てない。語る資格なし⇒そのとおり。
少しでも生の声、少しでも現場に近かずこうと申し込みしました。
残された、瓦礫の山と、基礎コンクリートの四角の升目を現場で見たならば
全く違った感覚が生まれることでしょう。
この会場は200円、私が行くところは5000円、一人だけ付録がいるからそれはそれで我慢できるでしょうが大変なことを請け負ったものだと反省しています。
震災後1年経過見れば見るほど猛烈なエネルギーが発散されたことにびっくりです。
思い出してもゾッとする数日間。
無我夢中で過ごした数日間。
二度と来てほしくない大地震と津波。
二度と起こしてはならない原発事故。
遅々として進まない復興計画。
見通しの立たない除染と元の生活。
危機管理が全く出来てない日本国政府。
我が家も生活に不便はないが、一年経っても修理も出来てない。
何が何だかさっぱり分らない国のの方針。
権力争いばかりしている国民の代表。
分らないだらけで一年も過ぎてしまった。
私も今日の記事の冒頭でふれたんですが
自分の町の人口が 現在分かっている震災の犠牲者とほぼ同じ数です。
町中の人が一人残らず 消えてしまったんだと思うと言葉がありません。
どんこさんの仰ってる 自衛隊の撮ったビデオ
みました。
家族の死にも遭ったことのない若者が遺体の捜索をしている姿には
涙が出ました。
行方不明の方が 早くご家族のもとに還れたらいいですね。
このところ新聞もテレビも総力を上げて
特集を組んでいますね。
震災直後にプロの報道機関とは別に
いろんな方がビデオを回し、生々しい惨状を記録したものがまとめられてきています。
自衛隊など救出機関も専門の立場から
克明な記録を残してくれています。
こう言う画像はこれからの地震や津波のメカニズムの解明にきっと役立つことでしょう。
政府の対策会議等の議事録が作成されていないお粗末さは論外として
縄文人さんのように学習の機会を捉え
災害に備える知識や知恵を学び取ることは
大いに真似しなければなりませんね。