今年は丑年・年男
牛に纏わる田舎時代のエピソード
今年は丑年、我も牛年【年男】とて、
幼少、少年期(10歳頃~18歳)に出会った様々の牛に纏わる物語です。
農耕牛として、一心に育てられ、人間と共に農耕、運搬などに大活躍し農家にとっては
家族同様の存在でした。少年期に目に映った牛について綴ってみたい。
日経新聞「私の履歴書」を毎日読んでいます。
日本の政治・経済・文化に多大に貢献された方々の最後となるべき筆運びであろう。
人間は年重ねると幼少期や故郷が懐かしく人生を振り返ると言う。
年齢に不足はない、薄皮を剥がすように一枚一枚丹念に昔を綴ってみたい。
此処から500m入ると故郷の実家。 奥の尖った山は百名山の両神山。
生れ故郷の実家です
すでにこの家はナシすぐ前に新築移転。
→先2mから牛小屋でした。
典型的な農家の作りで、玄関を入ると土間があり、
右手が牛小屋でした。
昔の生れた実家はこんな間取りでした。
玄関を入ると土間、右は土間に続いて牛小屋でした。
農家は①大地を耕すことと、②山林の手入れ、③牛馬、家畜を飼育すること、
④蚕を飼育して繭の生産することに分けられていたように思われる。
牛はどちらかと言えば草食動物、草を刈って餌を与えるのが大変でした。
朝露の切れないうちに野や山に赴き野草を刈って、籠に入れ背負い家まで運んだ。
日曜日は、学校が休みですから朝起きるとの山に出かけて牛の餌である草を刈り集め家まで運んだ。
わが家は父親が若くして亡くなったのでこれらの労働は、
子供達(兄・姉・私)の双肩にかかっていた。
最初に他家から子牛を買い求め、我が家で肥育することとなった。
親から離れ子牛は、親と離れ離れになり三日3晩鳴いていた。
今思うと目に涙を垂らし、声が枯れるまで・・・・。
それが4日~1週間すると餌をたくさん食べるようになりわが家に懐いて元気になり
大きくなり農耕牛として畑で働くようになった。
写真はネットからお借りしました。↓
他家で親子の生活をしていた。
縁あって我が家へ買われてくる
次回は牛と農耕について
コメ欄は閉めています。