秩父と金子兜太
時代は違えども、秩父の山・谷・風俗・習慣の空気を吸収し、
暴れ荒川れを見て育った者として、荒凡夫な生き方に合掌する。
そのむかし、秩父の農民は秩父困民党に結集し、組織を作り、
蜂起し農民運動として時の政府に立ち向かった。
兜太先生は、俳人として、生涯現役で俳句の道を歩まれた。
多くの遺作(俳句・文章・講演など)から、秩父と言う故郷が、
作品に影濃く現れています。
これ等の作品と秩父との結びつき思いを巡らせた。
俳句の街、皆野町・金子兜太句碑
私の好きな句
秩父山中にオオカミが生息していた。
狛犬の代わりに、オオカミが鎮座する。
秩父の社は、オオカミが見守っています。
三峯神社は、狛犬の代わりにオオカミが鎮座することで有名です。
秩父にはオオカミ信仰(神犬信仰)の神社が十数社あると言われ、
昨今は、三峯神社がいちばん有名ですが、発祥は両神神社という説もあります。
私が生まれた地にも、城峰神社、椋神社〈秩父事件集結地〉が有りますが、
何れの社にも、オオカミが鎮座します。
・ 曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 (兜太)
・ 兜太逝くアユのはらわた汁の味 (縄)
俳句界の大御所、句界はもとより
秩父山中にもたくさんの文化の影響をもたらした。
供養になれば思い綴りました。
合 掌