ワンちゃんの忠誠心
飼い主の言うがまま・・ビックリ、微動だにしなかった!!
市川のさくら堤の、河津サクラの下で見かけた光景でした。
2月の初旬、市川さくら堤に河津サクラを見に行った時の事です。
桜が満開気分よし、ベンチに腰掛けて懐に忍ばていた缶ビールを飲み始めたときでした。
25前後のA子さんがワンチャンと散歩、ベンチ付近で何か盛んに会話していた。
A子さんは、ワンちゃんから10メートルばかし離れ、立ったり座ったりワンちゃんの様子を見ながら
指図し写真撮影無中でした。
私がこの時驚いたことは、ワンちゃんの姿勢や仕草が見事なまで動かない態度を続けた。
私が缶ビールを飲み始めた時からで、飲み終えても未だ話しかけたり撮影に余念がなかった。
この間5~8分は経ったであろうか?ご覧の様な2匹のワンちゃんが寄り添い身動きせず
A子さんの言うなりに従って全く微動だにしなかった。(上の写真)
私は、犬の飼育は全くなく躾等は知らないが、人間の言うがまま、初めて
ワンちゃんの動作を間近に見てビックリした。
此のワンちゃんの様子を見て「忠犬ハチコウ物語」を脳裏に浮んだ。
ワンちゃんは、人間にここまで忠誠心であられるのか!?
忠犬ハチ公物語
2018、9、渋谷に出かけた時、忠犬ハチ公像
忠犬ハチ公は、東京・渋谷駅まで飼い主の帰りを出迎えに行き、飼い主の
死去後も約10年にわたって通い続けた犬である。
犬種は秋田犬で、名前はハチ、ハチ公の愛称でも呼ばれていた。
渋谷駅ハチ公口前にはハチの銅像が設置されており、この「忠犬ハチ公像」は渋谷のシンボルともなっている。
世界的にもその筋で知られた名所として有名です。
ハチの飼い主は東京都渋谷区松濤一丁目に住んでいた東京帝国大学教授・上野英三郎あった。
彼は大変な愛犬家であり、出かける時には渋谷駅までハチを伴うことも多かった。しかしながら
ハチを飼い始めた翌年にあたる1925年(大正14年)に上野氏は急死した。
上野英三郎の死後も渋谷駅前で亡くなった飼い主の帰りを毎日待ち続けたハチの姿は、新聞記事に掲載され、
人々に感銘を与えたことから「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった。
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「若沖」伊藤若沖
2021/01/17掲載
日経新聞、「私の履歴書」・辻 惟雄・美術史家・その1-
・・・・資産家の御曹司が、アメリカからやってきて、
京都や東京の古美術商を回って、伊藤若沖の絵を捜し歩いていると言う。
浮世絵をはじめ江戸絵画の逸品が海外へ流出して、
日本の美術を研究しているものにとっては胸の痛い事態である。
紫陽花双鶏図
未だ見たこともない絵画が外国へ行くとは、ある画廊筋から御曹司が買い付けに
契約を結んだという情報をキャッチ・・・・・・・。(連載しに一節)
「紫陽花双鶏図(あじさいそうけいず)」& 「雪芦鴛鴦(せつろえんおうず)」
であることが分かった。
絵画や絵に疎い筆者とてどんなものか、ちょいと
見たくなるのは人間の常と言うものであろう。youtubeを探索するとありました。
絵に疎い筆者ですが、紫陽花双鶏図を見ますと、これが絵画と驚くやら
覗いておくと何かの時に参考になるかもしれません。
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明けましておめでとうございます。
コロナ禍や青空眩し初日の出 (縄)
庭の水仙
わが家の 門松
文机パソコン開き賀状書く (縄)
open
お越し下されありがとうございます。
最近の家には煙突なし、
どうしよう!?サンタさんは周辺を彷徨っていました。
我が家と隣り合わせてセブンイレブン。
サンタさんが、大きな袋を背負って寒い中をアッチに行ったりコッチに来たり彷徨っていた。
寒い中を右往左往・・・「どうしたの!?」「煙突が見渡らないんです・・」
案内すると、玄関から入り万歳した。
コロナ禍やサンタが街にやって来た (縄)
サンタクロースは、キリスト教圏における伝説の人物。
よく知られている造形では、赤い衣装を着た老人で、トナカイのそりに乗り、クリスマスイブの夜に子供に
プレゼントを渡して回るとされる子供たちにとっては夢の世界。
小さい頃、寝るとき枕の先に靴下を置いて寝た。サンタさんがお土産を置いて行ってくれると・・これを信じて・・、
靴下はペッタンコ何も入っていなかった。
儚い幼い時代の夢物語一巻の終り。
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特攻隊員は志願して死んでいった。
特別操縦見習士官(略して特操と云う。)特攻隊員
太平洋戦争の終結までにフィリピンおよび沖縄の航空作戦で特攻隊員として
戦死した特操出身者は第1期、第2期あわせて約280名とされ、特操第1期出身者のうち
特攻以外も含めた戦死者は668名が記録されている。
菊薫る11月8日(日)菊花展と共に、
碑文に読みふけ、若くして国の為に散った人に思いをはせた。
建立場所 東京都江戸川区東小岩2-24 善養寺 趣旨(英霊) 大東亜戦争における特操戦没者の慰霊顕彰 同 特操同期の顕彰 碑文 第二次世界大戦も末期の昭和十八年七月当時の帝国陸軍は、特別操縦見習士官(略して特操と云う。)の制度を発足させ全国の高等専門学校以上の学生に対し、入隊時より見習士官の待遇を与え、航空機操縦者を中心とする航空将校の短期養成を図り、不利な戦局の挽回を図った。 祖国の危機を救うべく奮起して、これに応じた学徒は、一期から四期まで七千名に及んだ。 厳しい訓練に耐えて実戦に参加した者の中から多く戦死者を出したが、特に特攻作戦に当っては、その主力となって、南海の空に散華した者も多い。 爾来星霜五十年今や世人の大半は、特操の何たるかを知らず。生存する同志の齢も既に古稀をこえた。 時にかつての同期の現住職特操顕彰の粗志を同期に諮り、その協賛を得てここに特操顕彰の碑を建立する。 即ち日本一を誇る天下の名松の松頼を日夜に聞く所、戦死者及びその後の物故諸霊の冥福を祈り、現在の同志諸君には過ぎし日の青春の熟誠に生きた日々を追憶するよすがとするものである 維持平成5年11月14日 三十五世大僧正名取盛雄 特操四期生有志一同 建立 偶成 星住山人 青春残照晴茫洋 戦唱地堕是処遥 松籟爆音既不知 自髭徒撫件汐腸 |
境内を巡り見ると、
大僧正・名取盛雄氏の名前の碑が目につきます。
氏は名主で、当時ニッポン放送に番組を持ち
週に何日か電波でお目に掛かっていたことを記憶しています。
参考資料
特別操縦見習士官
世に言う「特攻隊員」として聞こえが良いが
要は人間爆弾であった。これらの資料は、ほんの一片に過ぎないので、
これを契機としもう少し資料を読み深めたいと思います。
第二次大戦のことで、年齢的に制約されます。、
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小品盆栽
小品盆栽は草花である菊を樹として仕立てます。
他の盆栽と違い約1年で完成させ、短期間で年代感や風味、美しさを表現します。
大菊に吾は小菊を愛すかな 正岡子規
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影向(ようご)菊花咲く、美しき庭苑
菊を作って想うこと(達人)
物事に凝って、それが夢中で好きになれば、おそらくそのものの説明など不要である。
だから、菊づくりのどこが楽しいかといって、私にはそれを万人にわかるように説明することはできないし、また百万言ついやしても趣味の本質など、それに手を染めた人でなければ到底理解することはできまい。
趣味にも二様あり、世間に珍しいもの、非凡なものを集めたり眺めたりして悦に入る型に対し、菊づくりなどは、もっとも平凡普遍のなかに極意を発見することの楽しみではなかろうか 。
花には数々の種類があって、それぞれに美しいのだが、菊ほど古くから親まれ愛された花はない。
秋を代表する名花であり、また日本皇室の紋章に用いられていることから伝統的にある種のイメージを与えている。
季節的にも、人々の詩心を誘う秋の花ということで、句歌にうたわれ花道でも天地を占めている。
(菊作り達人の言葉)
菊作り菊見るときは後の月 (詠人知らず)
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水道工事穴掘り&薬液注入作業
クレーン車、くい打ち機、薬液注入機など
我が家の3F,パソ部屋から見た工事の概要です。
我が家の玄関前は大型機械搬入、通行止めで作業員の多くが出入りしごった返しています。
① 地下7mほど穴を掘る5m×1mの長方形
② 穴掘り作業
③ 地下凝固剤、薬液注入作業
10/23(金) 風雨に関係なく作業が続いています。
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