昭和30年代初期ダンスホール「アリアケ」は大阪宗右衛門町の道頓堀近くにあり青春時代のメッカのような存在でした。なにしろ独身で会社に寝泊りする身分ですから夜ともなれば、誰に拘束されることなく、自由の身でした。惜しむらくは時間はあれど入社したてで金が無い。
ですから、前述のように日曜出勤をして金を握るやいなや「アリアケ」に駆けつけるのでした。
入場するチケットを買いホールのドアを開けるや否や、ぐあーんと聞こえてくるスイングする音楽、ドア一枚で別天地が広がるこの瞬間が一番好きでした。
そして好みのダンサーを物色してダンスを踊るこの瞬間もまた格別です。
12月この時期はクリスマスを間近にして胸をときめかす時期です。
これは場所、方法は違っても現在も変わらぬ心境でしょう。
そして、15分ごとに違ったバンドが演奏を始めます、雰囲気が変わり、またいっそう情熱をかき立てます。
資金が豊富な時はラストの蛍の光を演奏するまで踊り続けます。
こんなことが吾が青春時代の一齣ですから「アリアケ」は特別印象深い場所です。
ですから、前述のように日曜出勤をして金を握るやいなや「アリアケ」に駆けつけるのでした。
入場するチケットを買いホールのドアを開けるや否や、ぐあーんと聞こえてくるスイングする音楽、ドア一枚で別天地が広がるこの瞬間が一番好きでした。
そして好みのダンサーを物色してダンスを踊るこの瞬間もまた格別です。
12月この時期はクリスマスを間近にして胸をときめかす時期です。
これは場所、方法は違っても現在も変わらぬ心境でしょう。
そして、15分ごとに違ったバンドが演奏を始めます、雰囲気が変わり、またいっそう情熱をかき立てます。
資金が豊富な時はラストの蛍の光を演奏するまで踊り続けます。
こんなことが吾が青春時代の一齣ですから「アリアケ」は特別印象深い場所です。
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