創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

使われなかった教科書

2017-07-31 04:24:59 | Weblog

 おはようございます。

 パソコン事情雑学事典の各章のはじめに書かれた箇条書きは完売しました。この本は私の本としては売れました。中村師匠が富士通のSE教育に売ってくれたからでしょう。当時、富士通は管理職相手の研修維持に苦労していたようです。私がいた1980年代に始まったこの教育制度を続けるほど余裕がなくなったのかもしれません。

 中村師匠は経営研修所改革を社長にアドバイスしていたのでしょう。担当の課長さんと私を東京のお気に入り会員クラブに招待しました。このように当時は中村師匠が懇意にしていたご友人や元部下をこのクラブで私に紹介してくれました。とても勉強になりました。

 経営研修所は富士工場にあったMシリーズのために作った工場敷地の中にありました。鳴り物入りで始められた初期の頃、部長クラスをここに缶詰にしていました。部門から部長を外し、大丈夫だと教える余裕はなくなり、課長研修や一般社員の各種研修を始めていたようです。

 この部門は最先端の専門書を自ら著者を探し出版していました。研修に利用していたのでしょう。私はたくさんいただきました。ほとんどは良すぎて、面白い本の反面、到底売れそうにない本に感じました。好き物相手の本と言うことです。私は面白く感じました。

 相手の課長さんは経営方針に不満があり、自分が望む本を出版したい、富士通で無理なら独立し、電子出版の会社を今始めたいと考えていることが分かりました。芸術関係に憧憬が深く、そのような好みから中村師匠と昔から懇意にしていたようです。オーディオ機器はハード的に進んでいたから思っていたのかもしれません。

 私が業界最前線の話を書く、経営研修所はそれを教科書として使い、何か新しいビジネスを始めると決まりました。中村師匠は、広く教育は必要になっている、新しいビジネスを始めるときであり、経営研修所をその母体として新しい会社を作ることを社長に提案すると言っていたように覚えています。

 そして私が書き始めたのが、COMDEX訪問記でした。名前は売れそうなオンラインネットワークコンピューティングとしました。

 今日はここまでにします。

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目的志向の図像化

2017-07-30 04:26:17 | Weblog

 おはようございます。

 さて私がこの図像を作る目的は何か。提案書を書く目的は何かです。今の私に目標はありません。悪く言えばアランケイ博士の物まねをしたいだけ、知識があるのを自慢したいだけ、ブログ村の多くの作者と同じ。だから図像はできないのだと悟りました。目標を仮置きして描けるほどオブジェクト指向は簡単ではないのです。従って図像はできませんでした。1ページの提案書など逆立ちしてもできないようです。済みません。

 さて、このまま違うテーマか、本に移ってもいいのですが、尻切れトンボ。まとめが必要です。オブジェクト指向の私の考えを短く断言口調でまとめます。偏見でしょうし、単なる論。気を付けてください。これはアランケイ博士がコンピュータに対するご自身の理想を表すオブジェクトで生まれた概念です。当然ながら、この定義も間違っているかもしれません。

 博士が一番大事にしたかったのはメッセージ通信。他のたくさんの大事な概念はそれを実現する手段にすぎません。全ての概念がその後のコンピュータの発展に貢献しました。この概念ゆえに、オブジェクト指向は人間そのものの考え方です。日本人に最適なのです。最初に言葉ありき、との誰かの言葉を思い出しました。

 分かりやすい視認性のために、集合論が基本です。集合の性質や機能の継承をモジュール構造の基本にしています。これも人間社会では普通です。DNAだろうと、残念ながら遺産だろうと子は親を継承せざるを得ません。

 そして多態性を処理する理想のシステムを目指しました。これも言語の必然です。子供のユーザーやノビスの人から見たら当たり前のこと。子供は部品の材質や構造など気にしません。犬の木のおもちゃも縫いぐるみも秋田犬も家のジャックラッセルもワンワンです。すなわちそれを多態性と難しく学者さんは言っただけ。

 私など子供の時から、今のヨイヨイになればなおさら、すべてあれ、それをよこせと言います。お金もお肉もです。これこそオブジェクト指向であり、多態性であり、メッセージ。誰でもなるでしょう。

 一度購入した本は図書室や資料棚で分かり易く並べて再利用するのが当たり前だのクラッカー。資料棚や机の上を整理整頓しない先生が多いから、あたり前のクラス概念があり難くなります。トヨタの3か4か5のSで良い。クラス概念は集合論そのもの。カテゴリー理論など不要です。量子化も不要。

 今日はここまでにします。

 追記です。マッキントッシュ、Windows、UNIXが普及した今日の世界ではSmalltalkが目指した本来のオブジェクト指向は全ての言語の道しるべ。日本語の構造に起因する好機はもうありません。南無大師金剛遍照。

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日本語は素晴らしい

2017-07-29 04:15:11 | Weblog

 おはようございます。

 私もボケました。オブジェクト指向は大きすぎる概念です。1枚の図像を持った提案書にはできそうもありません。今日は想い出したことを書き、イメージ化はペンディングです。すみません。

 富士通の小型機にいた頃、情報システムの技術者の多くがシステム開発や操作や維持や検証を容易にするため、一度作ったプログラムやノウハウを再利用できるようにしたいと考えていたと言っても過言ではありません。阿保の私も、システムの天才、中村洋四郎さんもその一人でした。富士通の言語処理プログラム課長さんはベンチャー起業し成功しました。

 アランケイ博士が、衝撃的な論文をIEEEのコンピュータ誌に公開し、世界中の情報分野の研究者や技術者に衝撃を与えたと思います。先立つ長い研究がXeroxパロアルト研究所を中心に全米の先端大学で行われていたでしょう。MITなどで私が見た研究もその一部のようでした。私は夢のコンピュータになる、コンピュータを特殊な世界の商品から、子供がユーザーの主役になると思いました。そのモデルがSmalltalkとダイナブックでした。その結果は今のスマホなら情けないですが。

 今のノートブックPCのようなダイナブックの言語およびシステムがSmalltalkでした。情報システムの技術者の夢を実現する研究だと私は考えました。誰もがでしょう。しかし本体屋の富士通では無理。シャープなら可能かもと思いました。Smalltalkの波長に軽薄短小の会社は合っていると思いました。

 SmalltalkやDynaBookに関係した論文を漁り、私は日本語優位と認識しました。操作対象を指示し、操作を指定する順は日本語の目的語と他動詞の順序と同じだと。主語がない文章の文法は明確ではない、日本語は曖昧な、文法のない、いい加減な言語だと、日本人を貶めていたのは日本人の似非専門家。ドイツ語ベースのヨーロッパ言語の学者や思想家の物まねや論文が好きな日本人。戦前戦後の日本の言語研究者は皆日本語が嫌いのようでした。お天道様に恥ずかしい奴。

 日本語は世界に二つとない、頭をよくする、短く意味を伝えられる言語だと私は信じていました。日本語の特徴を生かしたシステム開発をしたいと、大人になりそこなった若者は考えていました。なにせ、ガキの頃、後に東大先生の医者になった2人の叔父と、役者になれず、東宝で映画や遊技場を企画した叔父と夏休みは遊びの口喧嘩。物理的には抑え込まれても口なら負けていませんでした。日本語の利点を自然とマスターしていたのかも。主語を定義しない論理は再利用が容易、人間は状況を基に考えている、そば屋で、私は天ぷらそばと言えば、天ぷら蕎麦を食べたいこと、自分は蕎麦ではないからです。

 今日は私がSmalltalkに惚れ込んだなれそめの概観だけでした。図像は難しくてできませんでした。明日もかも。今日はここまでにします。

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オブジェクト指向の四項目

2017-07-28 04:25:48 | 小論文

 おはようございます。

 最後の章の後半の4項目をタイプしながら文章を読みました。良いことが書かれていそうだと思いました。我ながら、恥ずかしながら、オブジェクト指向の技術も狙いも効果も短く分かりやすくまとめられていると思いました。楽しい仕事をできていた昔を思い出し、若返ったように感じています。ブログを書くのはあり難い。以下に転記します。

・オブジェクト指向技術は、論理的なコンピュータソフトウェアの抽象的な世界を、具体的な世界に写像します。

・オブジェクト指向は、プログラムを再利用できる部品にしてプログラムの生産性を向上します。

・オブジェクト指向のデータベースは、構造を単純化し、見たい角度から情報をとらえています。

・分散処理もオブジェクト指向の重要な目的の1つです。LANに広く存在する資源を有効に活用できます。

 私が気ままに書いているこのブログは、実践論と経験論が多く、私が勧める4項目の箇条書きの例題を説明するときもあります。今回の本の紹介シリーズでは良いまとめになっている章の箇条書きがあるときに例題に採用してきました。

 今回はなかなか良い箇条書きの説明だと思いました。でも、koderaが勧める四項目箇条書きとはまだ違う形式です。目的語が先頭でなく、オブジェクト志向ではない箇条書き。ざっとメモを書くとこのような箇条書きができるのが普通です。まずはこれで良いのです。でも、入試で評価される小論文に書き直し易いと思いますので、興味があれば、皆さんが小論化に挑戦してください。

 今回のように、良い4項目ができたと思った場合、2つの道があります。箇条書きをそのまま使う場合です。並べ替えるだけで良い案ができるでしょう。小論文は簡単と言うことです。もう一つの道、私が勧める道です。目的語が先頭の、体言止めで終わる、字数も同程度の4項目に変換してから、並べ替え、小論に使う道です。使いまわしが容易な、役立つ箇条書きになるでしょう。

 最初に書いた4項目から、直接イメージ図表にするのは難しいかもしれません。イメージ化は難しいのです。今回はこの本の最後の箇条書きです。直接イメージ図像を書いて、そのイメージにぴったりの提案文を書きたくなりました。これが会社時代の手法でしたので。でも、イメージ図像はできないかもしれません。別のテーマを私が次に書いたら、ボケたと言うこと、先に謝っておきます。

 今日はここまでにします。

 

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霞が関だより

2017-07-27 04:31:39 | Weblog

 おはようございます。

 日本企業の基本は稟議、下からの提案です。失敗すれば、下が責任を負いかねません。意思決定責任がアメリカと大違いです。承認者は守られているのかも。承認には事前説明があります。それが根回しです。日本企業に勝つために根回しをシステム化する研究をAIのアメリカの研究者が始めました。今なら忖度と言われかねないシステムです。でも忖度は大事です。問題になるのが不思議です。

 AIや認知工学や言語処理を研究していた人は、色々な研究、例えば未来学や会社組織や意志決定や人間工学の研究に移った人もいました。AIの研究開発が上手く行かないため、市場やユーザーからお金を集められません。日本を研究する施策もあり、一部はグループウェア研究を始めました。AIより上手く行きそうでした。

 Notesは人気になり、一時は日本でも流行し、シャープも営業に導入しました。調べましたが利用者次第のメールシステムに過ぎないと思いました。根回しのシステム化なら日本は有利のはず。要求条件が分かります。会社組織のシステム化で良いわけです。私が中村師匠に口説かれて富士通に迷い込んだシステムです。

 しかしアメリカの偉い研究者も日本の会社組織や学校組織が分かりません。グループウェアはニーズがないと、今のスマホの程度に落ち着きました。日本の大学の先生は流行りの研究に追随するため、流行らなくなりました。独自研究をすれば良かったのに、日本人は物まねが好きな村が好きな人が多いようです。

 日本の先生は村が好きな理由は、日本人は農耕民族、狩猟民族でないからと言われていますが、起業し難い環境があるからです。事業化に失敗しても大学に戻れません。第五世代コンピュータの研究プロジェクトも研究のための研究でした、電総研やNTTなどの研究者が大学教授になりました。アメリカに勝ち世界をリードするなど関係なし、研究者が勉強できただけでした。稟議決裁を日本がシステム化すれば、安い補助金で先端研究でき、日本方式を世界に広められたかも。でも今からでは遅すぎ、勝負あったです。

 第五世代の関係者で物まねが嫌いだったのはトロンの先生。でも根回しが下手だったのは皮肉です。アメリカの抗議でお金を貰えませんでした。トロン以上に容易だった日本独自の根回しのシステム化は議論もなし。だって実践者は日本中です。日本の意思決定は独特です。そういえば根回しを提案した私は、似非天皇から簡単すぎる、出て行け、自社でやれ、と言われました。重要性が分からないのが研究者の特性でしょう。

 今日はここまでにします。

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成功体験が失敗の原因

2017-07-26 04:24:49 | Weblog

 おはようございます。

 当時、日本政府の助成策が上手くいっていたのか、日本の電子情報産業は右肩上がりで成長を続けました。アメリカのメインフレームメーカは白雪姫と小人BUNCHIと揶揄されていました。世界初の商業計算機を開発した会社やオンライン利用では抜群の実績があった会社や科学計算で世界一の性能を誇っていた会社も次第に淘汰され、昔ベンチャーからスタートした事務用計算機のIBMの天下が明らかになってきました。淘汰された会社の方が伝統がありました。私が岩井さんの下でアメリカ進出の小型機を検討していた頃でした。

 通産省は3匹目のドジョウを狙い、第五世代コンピュータの勉強会がスタートしました。2匹目のドジョウのIBM互換路線を離れ、Prologのロジックプログラミング路線を全面に採用することが前提だったのか、ロボットの井上博允先生も勉強会にいましたが、私が設立準備会設立の直前にシャープに移り、委員として参加した時にはいませんでした。知能ロボットはできないと思ったよう。私は5世代の路線に反対した数少ない一人でした。トロンの先生も反対。嫌な奴は出て行けと5世代のトップに言われました。5世代のトップは電総研の天皇でしたから。

 アメリカ政府は5世代コンピュータ計画に脅威を感じていたと思います。MITの図書館にも私の名前もある調査レポートがあります。報告書は英訳されて今も検索できるようです。日本人はコンピュータ開発でインチキしている、談合だ、日本産のパソコンOSは阻止し、米国製OSを世界標準にしよう、と考えたはず。アメリカの政策担当者は頭が良い、やる気もあります。オープンな世界にはオープンな安価な自国製ネットワーク提供がベストと、考えたのでしょう。インターネットを商業利用化して自由に使わせたのでしょう。

 ネットワークはオープン化、OSのコピーライトは権利化に、が戦略になったのでしょう。上はメインフレームOSの、下はパソコンのMS-DOSや内部仕様のコピーライトが厳しくなりました。日本メーカはコピーライトを厳格に証明できる開発体制が不慣れでした。今でもかも。アメリカの開発者からコピーライトを買うことになりました。

 コピーライトの問題を解消し、互換OSを開発できると言うアメリカ企業はたくさんありました。でも結局、全て沈没。日本メーカーの投資も無駄になりました。互換機ビジネスなどせこい考え方です。独自の、創造性あふれるシステム開発に賭けるべきだったのでしょう。トロンも候補の一つでした。

 各社が独自の統合データベースシステム開発を目指さなかった、各社が親方日の丸を信じすぎた、似非天皇が好きだった欧州のロジックプログラミングの導入などしょせん無理筋、と私は考えていたし、今でも信じています。2回の成功体験が邪魔をしたのです。

 今日はここまでにします。

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システム化技術の紹介

2017-07-25 04:16:47 | Weblog

 こんにちは。

 やっと第6章。終りの章になりました。この章の題名は、パソコンのシステム化技術、そのはじめに8項目の箇条書きがありました。色々な話を書いたのかと思って読みました。私が好きな2つのテーマに絞って説明していました。節の説明は懐かしく感じられ、色々なエピソードが蘇ってきました。私のボケ予防にブログは最適のようです。

 一番大事なシステム化技術はグループウェアとオブジェクト指向の二つの用語と考えていて、最も好きだったことを思い出しました。この2つの機能を最後の章のテーマにしたのでしょう。これが本書の結論だったのか。今日はまずグループウェアについてコメントします。先頭から4項目の箇条書き。以下に紹介します。

・ハードウェアの制約のために実用化できなかったシステム技術が、パソコンの進歩で開花しました。

・グループウェアは、部門の情報共有化をコンピュータで支援する考え方です。

・グループウェアは、グループの協調作業を支援するシステムです。このほかにもさまざまな補完機能が必要です。

・統合文書処理は、文書内の情報と文書外の情報を関連づける機能に最大の特徴があります。

 グループウェアと入力し、ネットで検索してください。ウィキだけでも、歴史や分類や商品情報を得られます。グループウェアについて思う所をレポートにまとめよ、という大学の課題なら、それらを読んでまとめることは容易です。厚いほど熱心とされ、数ページが良いからです。でも、会社で評価される提案書は大変、1ページ程度に持論にまとめることが必要だからです。

 ここから私の持論です。ネットでは珍しい情報かもしれません。グループウェアは皮肉な誕生の歴史があるように思えます。この技術がアメリカで研究され始めた経緯をまず思い出しました。まず始まった時の日本とアメリカの情報市場の関係です。

 Japan az No.1と言われた第5世代コンピュータ開発が始まったころ、人工知能や認知工学やAIの研究者は行き詰まりを感じていたはず。今と同じような人工知能の大ブームが冷めたころでしたので。私の学生時代、アメリカの研究機関や大学が2001年宇宙の旅の実現に夢を持って挑戦しました。しばらく大予算がついて盛んに研究されたのに、成果は微々たるものだったと言えるでしょう。もっともそれは先端研究の常でしょう。

 一方、日本の電子情報産業は夢多き時代でした。私も夢を見たひとりでした。私が岩井さんの下でアメリカ進出の小型機を検討していた時期。自動車と同じようにアメリカに進出できると思っていました。メインフレームは無理。オフコンなら可能だと思ったわけです。

 何故アメリカはアジアのモンキーに勝てないのか、30年前、ペコペコにしたはずなのに、ベンチャー企業は日本詣でしている、などなど商務省のお偉いさんは不満だったはず。第五世代コンピュータ開発まで日本のお偉いさんの楽勝ムードは続いていたのでは。

今日はここまでにします。

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馬鹿とハサミの使い方

2017-07-24 04:32:26 | Weblog

 おはようございます。

 ソフト研の初顔合わせの会で、所長が、貴方を望んだのは私ではない、上から押し付けられた、と若手のいる前で言いました。彼は何でそんな言わずもがなのことを言ったのか分かりません。私は彼の言葉でますますやる気が失せ、静かにしていようと考え方が固くなっただけでした。

 人は煽てて使えば、木に登る。私はアホ。でも、お前に騙されて木に登るほどお人よしではないよ。私は自分では馬鹿を使うのは上手くなったと思っていました。前事業部長のお蔭で。巧言令色鮮し仁、馬鹿こそ実践のみだからです。

 それなら私を彼に推薦したのは、後の任天堂会長、当時のシャープ副社長かな。副社長も祭り上げられ、当時は仕事なし。社長がアホだから、私など仕方なし。所長と妥協、ひたすらゴマすりしよう。後数年だ。せっかく副社長の許可を頂き、編集長が徹夜で編集中の本に集中しよう。出版できないと大変だから。社長と所長の好みにして、シャープの新しい研究開発計画に迎合し、マルチメディア技術用語をたくさん採用しました。所長に下問された質問の答えを校正して使ったから簡単に書けました。

 なお、ザウルスで、その後3度ほどお呼びがかかりそうな時がありました。一度目が惜しかった。直属の上司が長かった、私にワープロやファクシミリを企画させた事業部長、後の常務の依頼。シャープの携帯電話成功の最大の功労者だった人の下、他社と協業する話でした。上手く行きそうなときに、突然、その常務がある事件の責任を取らされ、退職金をたくさんもらい、会社を辞めました。私とは無関係の話でしたが、終戦業務が大変でした。当然、携帯端末協業計画は胡散霧消。これ以上記事にできません。

 当時のシャープの窓際で本を書くのは、出版ならなおさら、女子大の非常勤講師はさらに、大変でした。今は知りませんが。良くできたと友人は褒めてくれました。私の能力ゆえでなく、中村師匠と後の任天堂の名会長になった元シャープの副社長のお陰でした。南無大師金剛遍照。やっと次から本の紹介に戻れます。

 今日はここまでにします。

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新しい窓際で完成

2017-07-23 04:22:16 | Weblog

 おはようございます。

 定年まで長いものに巻かれよう。もう7年ほどだから、女子大講師とシャープの窓際で生きぬこう、それだけでは物足りないかも、パソコン事情雑学事典を教科書にして、富士通の若手SE研修をしたい、理想の開発組織を生涯の目的に頑張っている中村洋四郎師匠のお手伝いをしようと思っていました。

 所が雑学事典の完成の直前の3月末に、突然、ソフトウェア研究所の第1か第2の研究部長職、技師長か部長に任命されました。部長か技師長か、興味がなかったため忘れました。なお、この研究所は新設の部署でした。副所長が私の部下も管理してくれると言ってくれましたが、所長も副所長も家族は関西、不在が多く、私が若手の提案書や伝票に承認印を押すことになりました。

 研究所全体からして、はぐれ者の寄せ集めのような人ばかり。私はまた人を見る勉強ができました。記事に書いた事業部長と同じような類の人や、扱い辛い研究所育ちの若者や、技術に誇りのある経験者など、その内の数名の若手と私はお付き合いする、指導する立場。彼らに好きにやらせました。席でも打ち合わせでも、寝たふりでした。

 新しい常務は肝心のビジネスを知らない、付き合いが上手い人。あの事業部長の右腕だった人。本質的に似たタイプの関西人。彼は研究者を技術者にして、マルチメディアを基幹ビジネスにしたいと考えていたはず。私は空気のような話が好きな人と思っていました。

 今思うと、若手は管理が嫌いというより、はじき出された被害者でした。私は使えない部長でした。できそうな若手ほど退職してゆきました。昔の富士通を見ているよう。しかし、トップから末端まで、システム開発や販売の難しさが分かっていない人が多かった。

 ですから私には研究所全員が子供に見えました。仕事をする点でです。過去に指導されておらず、発達障害でした。トップがですから、仕方なし。本当に若手が可哀想でした。辞めた彼らはどうなったのか全く知りません。南無大師金剛遍照。

 会社が技術本部のコンピュータ研究所長を新しいソフトウェア研究所の所長にし、技術研究開発のトップを兼務させ、常務に任命した理由の考察です。情報システムやコンピュータの研究者を広く全事業部の商品開発に振り向けよう、と考えたのかも。先進技術動向の解説依頼はたびたび下問されました。

 適応制御や知識処理やAIやロボットのノウハウを白物家電や液晶テレビに振り向け、それらの工場作りをさせようと考えたのかも。一理も、二理もある考え方ですが、研究と開発と営業と管理のバランスが大事です。経理に偏った、数字で分かる、偏った考え方になったと私は思いました。

 陰で所長や副所長に批判されても、現実には問題がないように、マルチメディアの用語を章の名前に採用しました。そして副社長に承認を頂き、出版しました。やれやれでした。やっと5章のマルチメディアの用語の理由が書けました。

  今日はここまでにします。

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ロケットにもお世話様

2017-07-22 04:38:55 | Weblog

 おはようございます。

 シャープのロケットと異名のあった元副社長は誰でも支援するのが好きでした。一番有名になった人はソフトバンクの孫さんです。ロケットさんも孫さんも大金持ちになりました。私の所属していた一番上の電卓博士はロケットさんと私が付き合うのは嫌がっていたようです。理由はいろいろ考えられますが、真面目な人はロケット打ち上げの水物商売が好きでないのはしょうがないと、私は割り切ってお付き合いさせていただき、二人に大変にお世話になりました。

 ロケットさんの所に社内外から怪しい人がお願いに来ている、気を付けろ、と社内の複数が言っていました。ロケットさんの好き嫌いが人によってはっきりしていました。でも私はシャープが不案内、ロケットさんには本当に色々お世話になりました。高級ホテルで何度も食事をご馳走にもなりました。色々社会勉強もできました。

 確かにロケットさんに上手く取り入る怪しい人がたくさんいました。社内にも社外にもです。ロケットさんのかばん持ちの一人は液晶のアホの後の社長。すぐに首になりました。ロケットさんが東京支社長になったら、本社の社長のかばん持ちになりました。

 私は執筆や大学の非常勤の稟議書立案では大変苛められました。二度と社長決裁書をあげるなとも。私は一度貰った決裁書を使いまわししたから大丈夫でした。彼は古いタイプの大阪商売人だったのでは。短気な坊ちゃんのような私とは合わないだけでしょう。

 私が何時も騙され易いアホでした。私が迷惑をかけられたロケットさんの関係者はその他に少なくとも4人いました。固有名詞は言えませんが、次の一人は、シャープの中央研究所からコンピュータ事業部に異動した、ここ数日のこのブログの主題にしていた人です。

 でも、私にとって彼の実害はそれほどありません。ブログに書けるのですから。残念だったのは理想の研究開発の組織が創れなかったこと。その分自分は勉強になりました。いろいろ経験したからです。本当の困ったちゃんの話は命も危ないので書けません。

  今日はここまでにします。

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