創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

特許の課題を忘れず

2017-09-30 04:10:08 | Weblog

 おはようございます。

 説明順が逆になりましたが、プロジェクトがすべき4つ目のブレーンストーミングの課題が終わり、3つ目の課題に戻ります。即ち特許戦略の必要性の事例を説明します。何故この当たり前のことを本にわざわざ書いたのか、お分かりいただきたく、私とシャープの恥を初めて公にします。

 プロジェクト当時、全文検索システムは世界に2例ありました。プロジェクトが始まり、大型UNIXと全文検索システムの販売をシステム販売の名門の大手商社にお願いしました。ここは欧州とアメリカに経験豊かな専門調査員がいて、売れそうなシステムを見つけると、日本に報告していました。この商社から2社のベンチャーを教えてもらいました。

 仲良くなったのは技術が得意な営業部長。長年データエントリーやOCRや分散処理コンピュータを輸入販売し、サポートをしていました。経験や考え方が私と似ていました。私と同年代、取り締まり候補の一人。私たちのデモを見て、これは凄い、世界一だと言いました。売りたいが、専売で、と言い、参考に2社の資料をくれました。デモも見せてくれました。私は事業部長にこの会社を代理店にお願いしました。答えが貰えないのはシャープの常。

 商社の社長は根っからの営業畑、技術は分からんチンと彼は言っていました。その通りに彼の長年の競争相手を取締役に任命。怒った彼は故郷に戻る道を選択。草刈り代わりに烏骨鶏を飼育。それが増え、卵を販売。畑と釣りが趣味。おかず代はほとんどゼロ。おまけに在職中から株に投資。バブルで大儲け。退職後の5年ほど後に会った時、彼から話を聞きました。彼は村上水軍の末裔、先祖は海賊。さすがです。瀬戸内海の1つの島は代々の財産です。

 商社販売はタイミングが悪く没。シャープは子会社でサンを販売。人員不足。私たちのUNIXチームが解体され、柏と市ヶ谷は幕張の営業と技術の橋渡し。奈良のチームは研究本部に異動。それから間もなく私一人新設のソフトウェア研究所に異動しました。ここは独立愚連隊の様な若手ばかり。新設部門の部長は何故かと多忙、としておきます。

 幕張に移った部下の若手の一人は販社にさらに異動。全文検索の開発技術者がサンのシステムサポート担当になったわけです。彼は有能。超多忙になりました。私は1年の猶予と、私と一緒に二人で特許申請と論文発表を会社に提案しました。でもなしの礫、答えなし。申請書は事業本部と研究本部の間で消えました。腹黒の根回しでしょう。

 以上は前置きです。大したことではないのかも。実はここから本論。特許の条件を最初にブレーンストーミングし、明確にしていたら、グーグルも回避に苦労したはず。担当者には雀の涙の報奨金でも、シャープは膨大な収入だったかも。シャープの全文検索特許申請はなし。自分でやるほど阿漕ではなく、笑うしかありませんでした。

 今日はここまでにします。

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停止条件の必要性

2017-09-29 04:21:31 | Weblog

 おはようございます。

 ここまで、プロジェクトの立ち上げ時にブレーンストーミングを十分し、共有すべきテーマの内、1)役割分担と、2)プロジェクトの風土について説明しました。本に書かれた、残りのテーマは、3)特許戦略と、4)プロジェクトの停止の課題です。なぜこれらが大事だと考えていたか、昨日のUNIXのプロジェクトの記事を書き、理由を思い出しました。

 私はこのUNIXの開発販売プロジェクトも個々の担当者の望むように管理しました。でも新し環境に慣れにくい人は自分だけが苦労していると思いがち。上司の指示を好む人ほど落ち込みやすい欠点もあります。当初、本部長は企画時代の事業部長だった人。私は目クラ蛇に怖じず、彼はイケイケどんどんの人。検索システムの開発もほとんど成功し、SEがいれば大学に販売できる状況になりました。上智の計算センターで試験運用され、シャープUNIXの進むべき方向が見えてきました。すなわちRDBと全文検索の。

 1年過ぎ奈良の本部長は部品事業に転身、事業部長が嘘つきに変わりました。私は騙され、会社はUNIXシステム販売から撤退。過去に経緯を書きました。これが、ブレーンストーミングの4つ目の課題、撤退の条件が大事な事例です。

 プロジェクトを始めた最大の理由も書きました。奈良に戻った課長さんは天理勤務で定年。私は液晶時代、天理に所属、幕張勤務でした。出張の度に彼と面談できました。彼はアメリカの複写機と電卓の市場を開拓した功労者、読書家、理論家でした。ブレーンストーミングなどいろいろ教えてもらいました。最近、彼は晴耕雨読。古墳を探索、奈良の古道を散策しています。毎年年賀状で近況を教えてくれます。私は、最低線の停止条件は達成したと自負しています。

 話が逆ですが、ここで思い出しました。私が嘘つきに騙され、RDBと全文検索、SEの増強、オープンシステムのプロジェクトを直接社長に提案した時、社長にキチガイと言われ、チームは解散。チームから、嘘つきの盟友のRDBサポート会社に転職した人がいました。そして嘘つきはインテル副社長へ、後の社長。天理の彼の仕事を引き継いだ、私の同年代、友人二人は悲惨でした。一人は懲戒免職と噂されいなくなり、一人は自己都合の退職。私以上にひどい目にあった管理職が二人いました。

 私のチームの担当者が、プロジェクトの終了直後に辞め、ベンチャー起業に成功。毎年盆暮れに甘いものを送ってくれています。彼は高卒、借り屋住まいでした。でも今は茗荷谷の億ションの持ち家です。

 定年まで働いて、事業部長まで出世した人も、その他多くは部長まで。当時、新人だった人は、今は部長のようですが、プロジェクトが勉強になり、私の言葉を良く分かり部下に話していると年賀状をくれます。伝えたのはこの本の内容です。彼も間もなく定年。この本の課題をクリヤーしたと言えるでしょう。付言すべきは、疑い深くなれ、嘘つきに気を付けろ。でも普通はありえません。

 今日はここまでにします。

 

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失敗覚悟でリーダー

2017-09-28 04:19:01 | Weblog

 おはようございます。

 人の性格を考えると色々な個性があり、プロジェクトのリーダーは下記の2タイプに分けて考えると良いかもしれません。

1)サージェントタイプ:命令は絶対服従。

 チームは軍隊の組織に近くなります。やや命令が優しくなると頑固おやじタイプになります。本質的に担当者に批判を許さない厳しいタイプです。私が好きなタイプではありません。でも営業部門などで良く見られるリーダーのタイプだと思います。

2)ジャズ指揮者タイプ:役割分担の業務について自由度があり、部下の自主性を尊重する。

 このリーダーが優れていると、チームはジャズバンドのチームに似てくると言えるでしょう。これは研究開発要素の割合の大きいチームに適していると思います。この本はジャズバンドの様なチームが理想だと書いてあります。でも、新規商品の緊急プロジェクトチームであまり見たことはありません。短期間に成果を出す必要があるからです。

 シャープは管理職に性格判断のアンケート調査を毎年していました。物わかりの良い母親かお兄さんタイプになると、私は良い管理者になれそうだと人事から言われていました。いい加減な柔な男、商品企画でしたから。性格判断テストにも出ていたのかもしれません。

 私は緊急プロジェクトのメンバーになった経験はありません。外からの関与だけ。緊急プロジェクトではありませんが、似たリーダーの経験はありました。事業本部のプロジェクトのリーダーでした。皆さんとても優れた物わかりの良い人でした。私は変わり者ですのでやりました。

 アメリカのベンチャー企業からOEM購入した大型UNIXシステムを日本市場に販売する仕事でした。研究所で営業部門をお手伝いしていました。奈良に異動し大変にお世話になった当時の課長さんが東京に単身赴任し、営業をしていました。営業部門長は軍隊組織が好きなよくあるタイプ。とても苦労していたように見えました。

 私は単身赴任だけはやめさせようと思い、奈良にお帰り頂くため、業務を引き継ぎました。もちろん、彼と関係していた営業や私の部下だった人、チームの皆さんにも良い未来を願っていました。シャープで企業向け大システム担当は損するばかり。副社長に申請し、事業本部長に認められ、プロジェクトが始まりました。慣れない仕事でしたので私は苦労しましたが、勉強になりました。

 技術者は、RDBの日本語化や全文検索の開発に挑戦。営業はシャープの本社や子会社に導入。実績を積み上げ、大学や研究機関などに販売。各種の展示会に出展しました。

 今日はここまでにします。

 

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風土はリーダー次第

2017-09-27 04:07:09 | Weblog

 おはようございます。

 第2章のプロジェクトの前提条件の、今までこのシリーズで書いてきたことは、役割分担以前の経験談でした。役割分担の要点については、この新規商品の本に説明されています。大学の講義に使える一般論でしょう。第3節の風土づくりの要点に話を進めます。

 新規商品開発のためのプロジェクトチームは当初、寄せ集めの部隊。ですから風土づくりについて、1節設けて説明しているようです。確かに大事なことがこの節に説明されています。理想の風土は主にリーダーの個性で決まるし、リーダーが心がけるべき管理の手法が分かります。

 そのためにブレーンストーミングします。素直な人が多く集まっていれば、チームの風土は短期間のブレーンストーミング、1週間に1回のブレーンストーミングで1か月ほどで出来上がるし、一匹狼的な人が集まる傾向があり良いチームワークはなかなかできません。何れにしろ、ブレーンストーミングを毎週、2か月ほど続けて欲しいものです。暇がなければ工夫すれば良いのです。

 この本にはブレーンストーミングを推進する上でリーダーが心がけるべき要点が説明されています。この手法を説明する良い本がたくさんあります。是非一冊購入し読んでください。要するに、チームのリーダーになる人に長所も欠点もあります。法則はないと考え、自分なり適したことを続けたら良いでしょう。

 短期間にできた風土は苦境になるともろいものです。良かったと思えていたチームワークを維持できません。しかし時間がかかった頑固者が多いチームは苦境に際してチームワークを維持されやすいものです。通常は物わかり良い人と頑固者がアナログで分布しています。おまけに人は両極端ではありません。ですからリーダーがチームワークに心がけることが必須です。

 そのために、休憩時間の茶話会のような雑談がチームワークに役立ちます。普通の部門でも役立ちます。ワープロ開発チームはその典型的な例でしたし、テレビの刑事ものの番組で、出張帰りに有名な甘いお土産を買い、還ってきて皆さんでお茶を飲むシーンがあります。会社でも同じです。でも、お茶会を嫌う管理職もいるでしょう。不思議ですが。

 シャープはお茶会の雑談のための費用を毎月会社と社員組合が半々で出してくれました。ですから私は商品企画課の時、できるだけ毎月茶話会を開催していました。そして皆さんも東京に出張する、または海外出張すると、甘いお菓子を買って帰りました。富士通も同じでした。

 休憩時間にみんなで食べて雑談をするためでした。雑談と言っても今の業務のそれぞれが言いたいことになりがちでした。気楽に話し合うと、人は本音を漏らすもの。なおブレーンストーミングもお茶菓子が役立ちました。ノミニュケーションの代替でしょう。

 今日はここまでにします。

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役割分担の時期

2017-09-26 03:31:58 | Weblog

 おはようございます。

 緊急プロジェクトの期間は1年半程度、延長しても1年以下しか認められなかったよう。経営者はせっかち、年より、成功者の常です。何事も計画達成まで3年は待ちません。

 当初、定義されていない業務があり、リーダーと商品企画など一部の残業時間が増えます。役割分担が次第に明確になるでしょう。でも私はプロジェクトでも残業せず、おまけに現行商品の企画も担当していました。事業部長は変わり者でした。私はついていました。これは褒め言葉です。彼は元気印、読まれても大丈夫。

 彼は家族を東京に残し、近くの社宅、3人家族の部屋に単身赴任。そして金曜日の夕方、就業時間になると誰かの帰宅の車で、またはタクシーで奈良駅に直行、そして東京に。出張申請は月曜日の日帰りでした。これを公私混同と批判する人は多かったようですが、それは間違い。私は超ラッキー。彼の出張申請の決裁者は私でした。

 彼はタクシーに乗る前、終業のベルが鳴ると、私の課に来て担当者に、机の上を片づけろ、早く帰れと大きな声で言ってくれました。これだけなら、私も自宅に帰宅するのに、会社の出張費を使っていると文句を言いたくなったかも。でも、彼は火曜日の朝早く出社。朝一番に管理職者を集め、東京での活動を話してくれました。これは企画に役立つ情報でした。私の上司は凄い企画担当者でした。私は企画業務の本質を学べました。

 私は相変わらず新聞を数紙読み、切り抜きし、回覧していました。本は課の好き者が貸してくれました。要するに情報は向こうから来ました。珍しいことです。事業部長が足で稼いだ情報を皆さんに教えてくれたから。営業状況や販売店の社長の意見、競合商品の長所や欠点など、毎週、どこかを数か所回り、話してくれました。本当に役立つ情報でした。凄い人でした。

 新しい商品の動向や現行商品の改善点など、彼からの耳学問の情報だけでも十分。しかし、何故か私の部下が作るプレゼン資料は不十分、不満足。会議で指摘され困りました。事業部長の指示通りに改善すべき点を指摘してあげました。再提案の企画案はすんなり通りました。転勤し聞いた話ですが、私が転勤したらもめたケースが多かったようです。不思議でした。

 私は残業嫌い、事業部長の言うことを守る腰巾着と言われました。でも有言実行が好き、正直が好き、実践好き、その弊害もありました。たっぷりと陰口をたたかれました。特に残業が好きな、ヘビースモーカーは私と相性が良くなかったようです。そういえば富士通時代もでした。私は飲み屋の井戸端会議が好きですが、会社の噂話は嫌い、他社商品や市場動向の熱い話が好きでした。仕事なしでも、今もそんな好みです。

 私はタバコを吸ったことはないタバコ嫌い。事業部長は部下のタバコを止めさせるのが趣味の人。おまけに凄い短気。出張好き。私と相性が良かったのは当然でしょう。喫煙率と学歴、収入は逆比例するはkoderaの50番目前後の法則でした。

 今日はここまでにします。

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プロジェクトを審議

2017-09-25 04:14:32 | Weblog

 おはようございます。

 事業本部内で良く議論し、担当する事業部長などが新しい緊急プロジェクトを本社の決定会議でプレゼンし、承認されたら開始です。提案はもめるのが常。差し戻しとなり一か月後に再審議。その間、社長や他の本部長から宿題を与えられました。開発費の削減と販売見込み量のアップなどの具体策が課題でした。事業部長の案に基づき、企画と総務とリーダー予定者が改善案をまとめます。

 次の本社会議ももめるのが常。最終的に社長の判断次第で決ります。ですから根回しが大事でした。予算の宿題なら経理担当の副社長や顧問へ、技術問題なら技術担当の副社長や顧問などへ、販売数字の課題なら営業担当の副社長や顧問へ、事前に説明し、社長に良い評価を伝えてもらえる事業部長が緊急プロジェクトに有利でした。予想される他の本部長からのQ&Aは事業部内で用意しました。

 社長がゴーなら、最終的にゴー。会社は社長の鶴の一声。表立って会議で反対する人はいないのが日本の会議。学校の職員会議程酷くはないですが、前例好みの人が日本人。革新は苦手。良い時は良いが悪くなれば回復は難しいわけです。会社には稀に変わった人がいます。ですから存続できます。

 私を面接した、後の任天堂会長と、私を企画課長にしてくれた事業部長は正直な発言をする厳しい人でした。珍しい人。ですから緊急プロジェクトがたくさん認可されました。しかし彼らは外様。社長や顧問や副社長が、そして付録として他の常務会メンバーが納得する具体的な計画と商品の仕様を分かり易く説明する良い資料が必須でした。

 プレゼン資料とプレゼンの技術と過去の実績がものを言いました。そのために必要十分なプレゼン資料が必須でした。それもプロジェクトの真の前提条件と言えるでしょう。資料が煌びやかに見えないと否決、書きすぎなら事業化時点で齟齬。中庸の良い資料を作るのが企画の腕の見せ所でした。

 難しいのはプレゼン資料を自分が使わないためです。本社で提案するのは総責任者。富士通でもシャープでも、同じでした。私は新しい技術が好きな上司に見込まれたのか、好きに腕を振るえました。でも縁の下の力持ち。結構、周囲から悪口を言われました。嘘つき、預言者、占い師などと。私は富士通小型機でもシャープ情報でも、企画でもむしろ下水管のように感じていました。情報を上手く流し浄化する。実践教育が好きな私は長く続けられませんでした。ノウハウの伝授は困難だからです。

 なお、昨日の話はプロジェクトが会社の意思決定会議で実行が決まった後、事業部長などが総責任者になり、リーダーが主管する課題です。即ち、他の事業本部からも参加者が集まり、居室に集合した以降、チームとしてスタートした段階です。事業部長が直前に、企画か総務の部門長に指示し、机や椅子やロッカーなどの備品も新しい居室にあるとしていました。

 今日はここまでにします。

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10人の侍のような集団

2017-09-24 04:26:46 | Weblog

 おはようございます。

 第4章に話を進めます。プロジェクトの参加者が全員で共通認識すべき4つのテーマをこの章は説明しています。以下に共通認識の課題を転記します。

1)役割分担

2)プロジェクトの風土

3)特許戦略

4)プロジェクトの停止条件

 ある事業部が主管となり、複数の事業本部や事業部から人が集まります。皆さん習慣も思いもそれぞれです。多くは一匹狼的な人かもしれません。そこで商品企画の担当者が議長となり、4つの課題を定期的にブレーンストーミングし、参加メンバーが意志の疎通を図ることが必要だと書いてあります。プロジェクトがスタートする前に意思統一できれば理想的ですが、全員が課題に納得するまで、しばらく時間がかかると説明があります。

 私も妥当な項目が箇条書きに並んでいると今も思います。でも、これらは綺麗ごとにも思えます。現実には場合場合で、極めて難しい現実がありました。この本の説明は大学の先生が言いそうな言葉だと思いました。そうか、これは女子大の市場情報論の教科書でした。教科書ならこうなるのも仕方ないのかも。

 私はいくつかの緊急プロジェクトの商品企画を担当しました。緊急プロジェクトの性格にはいろいろなタイプがありました。ソフトの場合もあるし、販売手法の場合もあるでしょう。私が担当したプロジェクトは全て新規商品の開発でした。新しいチャネルを構築すべき、または既存のチャネルにゼロから売り込む新規事業のケースでした。

 1つの事業本部ではノウハウ不足です。必要な技術は多様、その習得に時間がかかります。1年半で市場に画期的な商品を提供するのが緊急プロジェクトの所以なのに、なかなか商品はできません。そこで事業部長や本部長が他の事業本部にノウハウを持つ人を要求し、緊急プロジェクトに参加してもらいます。

 しかし要求された他の事業部や事業本部にも今の緊急課題があります。優秀な担当者は多忙、浮いている人が異動できます。やや一匹狼的な人が普通でした。ですからメンバーは寄せ集めの集団になるのが普通でした。ですから意思疎通が大変、まず必要でした。

 リーダーと商品企画は同じ事業部が普通でした。事業部長が座長になり、プロジェクトが始まる前に方針を相談し、仕様の大枠を決めていました。それは本社への本部長の提案前に必要でした。しかしプロジェクトのリーダーも個性豊かな一匹狼の傾向がある人たちでした。なかなか大変な打ち合わせになりました。

 失敗とされたケースは経験なしですが、失敗とされたケースを度々見ました。単に私が幸運でした。でも、法則もありそうです。当初の人員が多いほど失敗しがち、10人以下が成功しやすいようにも思えています。人間が多いほど、参加する事業本部が多いほど、八甲田山死の彷徨になりがちなのかもしれません。

 今日はここまでにします。

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小型機の商品を分類

2017-09-23 04:17:59 | Weblog

 おはようございます。

 レーザー実験や機械設計は止め、アメリカ企業の小型OCR装置のOEM購入仕様書を作成しろと指示されました。首ですね。仕様書を作成し、テスト仕様を書くだけ。英語資料の翻訳同然でした。仕様書に基づき、購買部が業者を選びます。私の仕様書は英語の説明書の翻訳。業者は決まっていたも同然でした。選ばれた業者の機械を評価テスト。このOCRは保険業界や銀行業界の大型商談に貢献できました。

 IBMのマニュアルや調査会社の報告書、訴訟資料を読み漁り、岩井麟三さんに提案していました。ノンインパクトプリンター、SNAターミナル、OA、家庭の情報化など、開発提案をしました。1年以上、資料を調査し、提案だけでした。今その報告書を見ると恥ずかしくなります。

 岩井さんが小型機の責任者になり、内田洋行を支援しました。周辺機事業部は人手不足。岩井さんと私と以前OCR課課長だった磁気ファイル部長が小型機に異動。V0シリーズのお化粧直しをまずしました。

 私は小型機の方針書や開発計画書などの資料つくりがメイン。社内の各種委員会の書記もしました。部長も岩井さんも多忙。私が代理で座長の役をし、二人に報告しました。富士通のシステム開発課やOCR開発課や小型機開発課で私は商品企画の仕事をメインにしていました。しかも管理職の役目で。分かったのはシャープの組織が分かった転社後。商品企画を富士通で長く経験していました。

 私が富士通の小型機事業部で経験した主な業務です。

・Bm:USACコンピュータのFACOM版、後継商品、仕様つくり、各種資料つくり

・Vシリーズ:V0の名称を変えた継続商品、計画書つくり、各種資料つくり

・システム80:3-1)トップの肝いりでスタート、事業計画プレゼン資料作成、要求仕様書の評価など

・キーボードの標準化:3-1)トップの肝いりでスタート、大型から端末まで全事業部が遵守

・富士通未来の日本語部会主査:3-1)トップの肝いりでスタート、報告書つくり、専務にプレゼン

・新プロセッサーの開発:3-1)トップの肝いりでスタート、担当者の管理

・IBMSNA端末対抗機の開発:3-1)トップの肝いりでスタート、プレゼン資料作成

・新ミニコン開発の協業:提案書の翻訳がメイン、英文の手紙を代筆、開発はなし

・全工場の情報システム実態調査:出張調査資料だけ、システム開発はなし 

 以上です。その他雑用一般、雑用が主。部長依頼の代筆作業に明け暮れていました。ニューヨーク駐在所の人と資料交換、そのために毎日6紙ほどの記事を切り抜き、事業部内回覧し、出張所へ郵送しました。勉強になりました。

 小型機事業が上手く行き、岩井さんはアメリカメーカーとミニコンの共同開発プロジェクトをはじめました。私一人が日本側の担当者でした。でも会社の上層部が中止しました。この話は以前愚痴を書きました。南無大師金剛遍照。

 今日はここまでにします。

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愚になれば良し

2017-09-22 04:17:43 | Weblog

 おはようございます。

 レーザースキャナーを市販のOCRに使ったのは無茶。レーザーの実験は岩井麟三さんの指示でしたが、部長も課長も班長もアドバイスはほとんどありませんでした。むしろ実験だけして終わりにして、各種技術の考察をまとめるべきでした。中間管理職の腕の見せ所。今は若手の指導法が良く分かります。

 商品化はしない方が技術の活用に関して将来性がありました。しかし当時、私がOCRの新モデルの責任者になったような感じでした。若い私は商品開発中止を言い出せません。上司は岩井さんの顔を気にしていたのか、今はよくありそうな話に思えます。

 振動子のミラーは一番苦労しました。熱によって発信周波数が変わるため、特別なサンプリング周波数が生成できる回路も後輩と一緒に自作実験しました。振動子の形状も材質も色々工夫しました。でも同い年の先輩がこのミラー仕上げだけを担当。後輩の指示が不満なのか、間違った考察ばかりしました。年配連中は技術馬鹿の、管理無視のアホだったのでしょう。管理は難問なのです。

 それでも私は我慢して彼にお願いし、作り変えてもらい、OCRとして読み取り精度も満足なレベルになりました。ここまでに、すでに半年ほど計画遅れでした。しかしシステムは客先にすでにあり、OCR装置を待って居ました。

 OCRの導入時、責任者は私だったのかも。後輩二人が回路設計と認識論理回路の設計担当。彼らを連れて毎日客先に調整に行きました。彼らが後に出世した話はすでに書きました。少し付言します。納入後に読み取りエラーが続発し、3人だけでコンピュータ室に通いました。

 毎日、2か月弱、熱い盛りに池袋から15分ほどの私鉄から歩いて10分ほどに通いました。朝から晩まで3人で調整作業。工場には朝か夕方に出社。当初、システム担当の責任者は怒っていました。専用のデータ入力担当を雇っている、合理化できない、などと言われていました。

 毎日、私たちは日曜祭日以外、2か月通い、彼は可愛そうだと思い始めたのか、富士通に機械を戻そうと思ったのか、優しくなり始めました。昼ご飯をご馳走してくれるようになりました。そのような時に奇跡が起きました。読み取り精度が急に向上し、データ入力者が不要になりました。このOCRは5年間調整なしに動作しました。南無大師金剛遍照。奇跡的でした。

 後に同期入社の2年後輩は社長レベルまで出世。シャープぺいぺいの私は、協業の可能性調査のために彼らを訪れたことがありました。協業しなかったのは、我々は無関係。シャープが奢っていたからです。私の定年の頃までシャープは液晶の超優良企業。奢るものは久しからず。回復すれば奇跡かも。

 私は出世など無関係。不思議ではありません。新規商品や新規事業はやりがいがありますが、ビジネスとしては成功しづらいものです。全社的な応援がいるのです。創造性開発とは本質的に個人の課題なのです。社員教育すべきテーマですが。

 失敗続きのOCR開発で私たちが得られたノウハウはさまざま、創造性も粘りも部下の管理法もでした。でもその創造性や管理法などまだ初歩レベルでした。

 今日はここまでにします。

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ガスレーザーと格闘

2017-09-21 04:10:58 | Weblog

 おはようございます。

 CRTスキャナーは開発を取りやめ、私は次にレーザーを実験しました。始めた経緯は忘れましたが、光学実験用の厚い鉄板を実験室に導入し、ヘリウムガスの赤色レーザー発振器を購入しました。10mW程度、輸入代理店の丸文からだったと思います。ホログラムの実験もしました。英語の本やマニュアルを読みながら。

 多分、課長と岩井麟三さんの指示で実験を開始したと思います。レーザーはまだ未熟の技術でした。研究所で実験すべきテーマでした。それが私は嬉しかったのかもしれません。この商品は奇跡的に出荷できました。でも1台限り、後継機無し。失敗した商品でした。革新的な技術を継続商品へ応用することが難しい事例でしょう。本は新規商品の企画ですので、説明はしていません。

 この話は初めての公開です。朝から夜まで1年ほど実験室に入り浸り。暗幕を光学盤の周囲を覆い、レンズやホログラムなどの実験をしました。目が疲れました。1年で1.5が0.8まで、目が悪くなりました。紙面からの反射光を測定する各種の開発段階の太陽電池を実験しました。回転ミラーや振動ミラーの実験装置を設計し、市販の光学系で読み取り実験を何度もしました。ミラーやスリットやレンズも、支持台も全部、市販品を小型化して実験しました。

 光学盤の上の実験では上手く行くようになりました。でも、OCRの実機に搭載するなら30Cm×50Cm×10Cm程度にスキャナー部と読み取り部をさらに小型化する必要がありました。オリンパスが新開発した、小型の1mWのヘリウムガスレーザーを新聞で見つけました。OCRに搭載すしたいと言ったら、カバーを特別設計してくれました。

 用紙送り装置が振動するため、レーザーの支持法に私もオリンパスも苦労しました。安定な機構の設計を知りました。レーザーは埃も嫌いました。埃対策も実験でした。全体を何度も作り変え、やっと実機に搭載できるサイズになりました。

 振動ミラーは振動しない間は平面度が保てていても。振動させると面が歪み、読み取りが行えませんでした。この原因の調査が大変でした。何度も試作し、接着剤が悪さをしていることが分かりました。不純物が蒸発し面につき、膨らんで面が歪んでいたのです。ミラーと振動子を一体化する必要がありました。

 オリンパスのレーザー本体も開発途上。ある日突然、内部電極が放電し、絶縁不良、発信停止になりました。放電の原理や対策も勉強させられました。紙送りの装置の振動周波数でレーザーチューブは共振し、破壊しました。振動に強いレーザーを実験で知りました。

 ガスレーザーに強くなりました。レーザーの専門家を岩井麟三さんが育成したかったのかもしれません。でもこれ以上やったら、もっと目が悪くなったでしょう。1台限りの技術になり、良い経験になりました。

 今日はここまでにします。

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