おはようございます。
説明順が逆になりましたが、プロジェクトがすべき4つ目のブレーンストーミングの課題が終わり、3つ目の課題に戻ります。即ち特許戦略の必要性の事例を説明します。何故この当たり前のことを本にわざわざ書いたのか、お分かりいただきたく、私とシャープの恥を初めて公にします。
プロジェクト当時、全文検索システムは世界に2例ありました。プロジェクトが始まり、大型UNIXと全文検索システムの販売をシステム販売の名門の大手商社にお願いしました。ここは欧州とアメリカに経験豊かな専門調査員がいて、売れそうなシステムを見つけると、日本に報告していました。この商社から2社のベンチャーを教えてもらいました。
仲良くなったのは技術が得意な営業部長。長年データエントリーやOCRや分散処理コンピュータを輸入販売し、サポートをしていました。経験や考え方が私と似ていました。私と同年代、取り締まり候補の一人。私たちのデモを見て、これは凄い、世界一だと言いました。売りたいが、専売で、と言い、参考に2社の資料をくれました。デモも見せてくれました。私は事業部長にこの会社を代理店にお願いしました。答えが貰えないのはシャープの常。
商社の社長は根っからの営業畑、技術は分からんチンと彼は言っていました。その通りに彼の長年の競争相手を取締役に任命。怒った彼は故郷に戻る道を選択。草刈り代わりに烏骨鶏を飼育。それが増え、卵を販売。畑と釣りが趣味。おかず代はほとんどゼロ。おまけに在職中から株に投資。バブルで大儲け。退職後の5年ほど後に会った時、彼から話を聞きました。彼は村上水軍の末裔、先祖は海賊。さすがです。瀬戸内海の1つの島は代々の財産です。
商社販売はタイミングが悪く没。シャープは子会社でサンを販売。人員不足。私たちのUNIXチームが解体され、柏と市ヶ谷は幕張の営業と技術の橋渡し。奈良のチームは研究本部に異動。それから間もなく私一人新設のソフトウェア研究所に異動しました。ここは独立愚連隊の様な若手ばかり。新設部門の部長は何故かと多忙、としておきます。
幕張に移った部下の若手の一人は販社にさらに異動。全文検索の開発技術者がサンのシステムサポート担当になったわけです。彼は有能。超多忙になりました。私は1年の猶予と、私と一緒に二人で特許申請と論文発表を会社に提案しました。でもなしの礫、答えなし。申請書は事業本部と研究本部の間で消えました。腹黒の根回しでしょう。
以上は前置きです。大したことではないのかも。実はここから本論。特許の条件を最初にブレーンストーミングし、明確にしていたら、グーグルも回避に苦労したはず。担当者には雀の涙の報奨金でも、シャープは膨大な収入だったかも。シャープの全文検索特許申請はなし。自分でやるほど阿漕ではなく、笑うしかありませんでした。
今日はここまでにします。