創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

真実は藪の中から蛇

2017-07-21 04:23:38 | Weblog

 おはようございます。

 少し話を戻します。上手く幕引きをしようと考えながら、1月に1度事業部長と面談し、経過報告していました。私は社内の外野席からパソコンもUNIXも悪い話ばかり聞こえてきました。UNIX開発は研究所で捲土重来を図るべき、今は臥薪嘗胆と私は言っていました。しかし、一人で提案し、社長に私はキチガイと言われました。事業部長は信用できないと言った周囲の言葉通りになりました。人を見る勉強になりました。

 彼はアメリカシリコンバレーに毎週のように半年近く出張。時差があり、ベンチャー企業から私の家に何度も電話してきました。案ができた、社長を説得できるとです。しかし、虚実同根。何となんと、実は出張の主目的は別にあったか。真実を知ったのは彼と社長面談に行った直後と言って過言ではない時期でした。

 シリコンバレー詣では彼自身のためだったか。出張費を稼ぎながら彼は転社し、栄転したのか。部門の若い技術屋や研究者のため、死ぬ気でUNIXのためにやる、貴方も一緒についてきてほしいとよく言えたもの。よくはよくでも欲だったか。社長直談判を私に無理矢理させて前事業部長はインテルの日本副社長に横滑りしました。あの入ってるインテルに入って、次の社長になりました。頭が良くても心は別です。

 後にストックオプションで大儲け、投資家に転向し、大金持ちになったと社内で噂がありました。中村師匠と面談中の都内のホテルで彼の姿とインテルに連れてったコンピュータ事業部の経理担当部長と密談している姿をみました。私は付き合いをやめていたので、挨拶は遠慮、いいえ中村師匠に迷惑を掛けては大変と思ったからです。

 シャープはUNIX開発から撤退し、営業の子会社だけでサンの販売をはじめました。同時にコンピュータ関連の責任者が交代。昔電子システム手帳を担当した私のかつての部下、シャープのパソコン事業をだめにした一人、昔私の部の係長だった人が出世し、コンピュータ全般を見ることになりました。ザウルス成功のご褒美だったのかも。ザウルスは死ぬな、MZも死んだ、パソコンも携帯情報端末もだめだ、UNIXを知らない、情報部門はバラバラになるだろうと思いました。なお、携帯電話は情報の残党が広島に落延び開発しました。

 ザウルスはそれからも迷走し続けました。まだ社内は従来の電子システム手帳の市場に期待していた人が多かった時期にザウルス挽回策はあるかと、当時の切れ者東京支社長に質問され、遅すぎると私は答えました。下問はそれだけでした。切れ者だからでしょう。ザウルスは死の直前にUNIXバージョンもありました。後日少しコメントしたいと思っています。この話は泣き笑いでしかできません。

 この本が完成に近づいた時、私は窓際へ移動、会社と私が一致した方針だったかも。言い換えると、このパソコン事情雑学事典は富士通との協業の、コンピュータ市場ではなく情報システム市場への販売を目指し、己惚れ屋のエリートが書き始めました。完成までに、世の中もシャープの方針も激変し、世の中の酸いも甘いも知りました。落ちこぼれの物語風の、三河物語に近い鎮魂歌になりました。このブログの編集方針はそうなのだ。ブログを書いて、虚の裏の真実が分かった気がしてきました。南無大師金剛遍照。

 今日はここまでにします。

コメント
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