創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

進学塾の経営者の話

2015-05-03 03:54:26 | Weblog

 おはようございます。

 大学の飲み友達だった駒場の同級生は大卒で大手商社に就職して、間もなく海外勤務、帰国後に抜群の成果を出していました。ところが、40前に肺がんでなくなりました。私が奈良勤務だったときです。

 彼のお父さんは彼が3歳のとき亡くなり、お母さんが甲子園口駅前の畳屋さんを引き継ぎ、一人で彼と妹さんを育てたそうです。仲良くなりお店に泊まりに2度ほど行きました。たいして勉強しないで東大に私立から受かったためか、とても個性的な人でした。お互いに同じような人間だったのか気が合っていたようです。

 お母さんは、自分が何時死んでもいいように全財産は長男の友人に遺産相続させていました。その彼が逆に先に死んでしまったのです。彼の奥さまは新興宗教に凝っていたのです。恐ろしいことに、遺産相続し財産をほとんどその教団に寄付してしまい、お母さんは借り物のお店で、しばらく雑貨を販売していました。

 東京で新居を構えた妹さん一家は、旦那さんがとても優しい優秀な人だったようです。ところが、この人も若くして病で亡くなってしまいました。ご不幸が続いたのです。彼女は奈良女子大卒、しかも優秀でしたが身寄りもなく、子育てをするためにやむを得ず塾を始めたそうです。ところがこの塾がとても流行ったのです。抜群の実績だったのです。

 お母さんは高齢となりお店ができず、蓄えもありませんでした。妹さんのところに同居し、妹さんが面倒をみ始めました。親子二代、女手ひとりで母の面倒を見ながら子育てしたわけです。そういえば、お母さんのお母さんにもあったことがありました。

 しばらくしてお母さんは老人ホームへ入居しました。その後、しばらくして彼女は働かなくても一生食べていけるお金もたまり、塾をやめてしまいました。5年ほど前でした。そのころ、お母さんも他界し、一人気楽に麻雀を趣味に悠々自適の生活を始めました。年賀状をやり取りしていたので経過は分かっていました。

 私は東大早慶の受験指導をしたことがなく、自分が受かったのもたまたまだし、仲良くした友人もそのような人ばかりでしたので、何故受からないかが分かりません。記憶力もない、うっかり間違いをしょっちゅうする私。受験勉強は3年生になっても毎日2時間程度だったのに東大の問題は簡単でした。ギリギリ行けるかもしれないと考えていた早稲田と慶応の問題はとても難しくほとんどできませんでした。でもなぜか全部受かってしまっていたのです。

 長々と書いてきたのですが、言いたいことはここからです。彼女が暇になったと5年前に知り、私の非常勤で教えていた学校で受験指導をお願いしたのです。彼女はなんと言ったと思いますか。もうつまらなくなった。だからやらない、麻雀をしよう、です。中学一年生が塾へ来ると、はじめて面談し、どの大学に合格し、どこは合格しないかが分かってしまうからもうやりたくないと言ったのです。麻雀の方が面白いそうです。残念でした。

 今日はここまでにします。

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パチンコ玉の人生

2015-05-02 04:00:00 | Weblog

 おはようございます。

 私も今年70になります。あっという間にこの歳になり、無職の風来坊ならぬ無職の主夫になりました。ブログを書く時間はおよそ2時間、他の人のブログを読むのが1時間です。テレビは見る暇はなく、新聞はトイレとバスの中で読む程度です。本はほとんど読みません。犬の散歩が大変です。

 ブログのお蔭か、自分の人生を顧みることが増えました。優しい担任のお蔭もあり、喧嘩と野球に明け暮れられていた初等科時代。怖い担任のお蔭で英語の勉強はした中学。嫌いな担任のお蔭で孤独に勉強した高校生活。野球部に入り友達がクラスに居なかった駒場の時、野球部をやめて友人関係が狭まった本郷の時。

 大学でも仕事など考えたこともなく、訳の分からない研究室に進学したは良いが、大学紛争で迷いが増えた修士課程。修了の年、3月27日か28日に富士通入社を決めた場当たり人間。所属を2年程度で移り歩き、遂に仕事が嫌いになり、高専で教えて暇つぶし、遂にシャープへ転社。5年で商品企画が嫌いになり、研究、営業、研究企画、事業企画などなど新部門を渡り歩き、窓際族となり、女子大の非常勤講師に専念し、執筆活動に励みました。そして定年。顧問を数社で経験し、学校の非常勤だけが残ったのです。

 要するに、いつも次をいい加減に、すぐ選べる道の中から安易に方向を決めて来た人生だと言えます。勉強や仕事だけでなく、趣味も私生活もそのように、大事なことを簡単に考えもせず感覚で生きてきたように感じています。安直に続けられることは続くのです。でもその結果に大変に満足しているのです。本当に不思議です。

 このような男は、小学生が社会や仕事を学校で考えられるのが不思議です。中学生が必死に部活をしているのも、高校生が一人で読書しないで友達とだべっているのも不思議です。未来は個性で成否が決まるのに、安易な就職本で個性を殺しているのも不思議です。

 素敵な人はちょっと見は普通のようで、付き合うととても個性的です。個性的の点では私も素敵な方に負けているとは思えません。だから私は自己満足しているのでしょう。勝手にしてきたのが良かったと思っています。寅さんのように周りに迷惑だけをかけてきたことをいつも反省していますが、後悔先に立たず。でも私は満足、すみません。

 今日はここまでにします。

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複雑性の因果

2015-05-01 03:57:56 | Weblog

  おはようございます。

 コミュニケーション能力、課題解決能力が高い、国際化時代への対応力はどうしたら身に着けられるのか、です。大学の講義で使う教科書や講座で学べるのは専門知識です。教養科目と言えども、先生はその道の専門家、易しい解説を心がけていても、簡単ではありません。

 好きな趣味のクラブや部活における会の活動が大事であり、日々、同級生と仲良くすることもこのような能力の向上に寄与するはずです。仲良くしても付和雷同はいけませんが、学問だけでなく、いろいろなことをいろいろな形でしてきた人を社会は求めているのです。多様な社会は対応力のある人を求めています。勉強や部活で頑張っていても、空気が読めない人やわがままな人は良い友人をなかなか作れません。はじき出す社会が悪いのではなく、それがシリコンバレーでも普通でしょう。

 大学に入るのは18歳、その段階では誰にでもすでに出来上がった個性があり、変えるのは至難の技です。小学校や中学校で、部活や学業の成績にこだわる先生に出会った生徒さんは、高校でもそのような嗜好で生きるはずです。すなわち、義務教育ですでに、時代に相応しくない人になる教育をされている事例が一般的なのかもと私は考えています。

 家庭や義務教育の環境が育てた高校生が学業や部活の成績が悪かったらどうなるかが問題なのです。楽に良い成績をとれる人は別にして、誰もが低い点を取り、自分はダメな人間だと考えるかもしれません。バスが一度しか来ないような社会が悪いのではなく、自分を誇りにできない人を育てる義務教育や大人が多いのが教育分野の諸悪の根源のように私は思えて仕方がありません。

 陽明学の末裔を自負する私は子供たちに、たとえ成績が悪くても、運動が下手でも、自信を持たせてあげたいだけなのです。若い故に、誰もが良い点を持っていて、やりさえすればそれが得意になるからです。しかし現実には私は多勢に無勢です。そのように考える先生は少数派でしょう。ダメな子は叱って育てることが好きな先生ばかり目にします。

 従って成績の悪い子は叱られることになり、褒められず、今の学校や社会では素行も悪くなるのももっともです。素行が悪くなれば、誰でも悪い自分を分かります。ポジティブフィードバックでさらに悪い仲間とつるむことになるでしょう。道徳心など消えてしまうのは道理でしょう。

 私はやれることだけをやります。結局南無阿弥陀仏と何時も祈ることになります。今日はここまでにします。

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