おはようございます。
大学の飲み友達だった駒場の同級生は大卒で大手商社に就職して、間もなく海外勤務、帰国後に抜群の成果を出していました。ところが、40前に肺がんでなくなりました。私が奈良勤務だったときです。
彼のお父さんは彼が3歳のとき亡くなり、お母さんが甲子園口駅前の畳屋さんを引き継ぎ、一人で彼と妹さんを育てたそうです。仲良くなりお店に泊まりに2度ほど行きました。たいして勉強しないで東大に私立から受かったためか、とても個性的な人でした。お互いに同じような人間だったのか気が合っていたようです。
お母さんは、自分が何時死んでもいいように全財産は長男の友人に遺産相続させていました。その彼が逆に先に死んでしまったのです。彼の奥さまは新興宗教に凝っていたのです。恐ろしいことに、遺産相続し財産をほとんどその教団に寄付してしまい、お母さんは借り物のお店で、しばらく雑貨を販売していました。
東京で新居を構えた妹さん一家は、旦那さんがとても優しい優秀な人だったようです。ところが、この人も若くして病で亡くなってしまいました。ご不幸が続いたのです。彼女は奈良女子大卒、しかも優秀でしたが身寄りもなく、子育てをするためにやむを得ず塾を始めたそうです。ところがこの塾がとても流行ったのです。抜群の実績だったのです。
お母さんは高齢となりお店ができず、蓄えもありませんでした。妹さんのところに同居し、妹さんが面倒をみ始めました。親子二代、女手ひとりで母の面倒を見ながら子育てしたわけです。そういえば、お母さんのお母さんにもあったことがありました。
しばらくしてお母さんは老人ホームへ入居しました。その後、しばらくして彼女は働かなくても一生食べていけるお金もたまり、塾をやめてしまいました。5年ほど前でした。そのころ、お母さんも他界し、一人気楽に麻雀を趣味に悠々自適の生活を始めました。年賀状をやり取りしていたので経過は分かっていました。
私は東大早慶の受験指導をしたことがなく、自分が受かったのもたまたまだし、仲良くした友人もそのような人ばかりでしたので、何故受からないかが分かりません。記憶力もない、うっかり間違いをしょっちゅうする私。受験勉強は3年生になっても毎日2時間程度だったのに東大の問題は簡単でした。ギリギリ行けるかもしれないと考えていた早稲田と慶応の問題はとても難しくほとんどできませんでした。でもなぜか全部受かってしまっていたのです。
長々と書いてきたのですが、言いたいことはここからです。彼女が暇になったと5年前に知り、私の非常勤で教えていた学校で受験指導をお願いしたのです。彼女はなんと言ったと思いますか。もうつまらなくなった。だからやらない、麻雀をしよう、です。中学一年生が塾へ来ると、はじめて面談し、どの大学に合格し、どこは合格しないかが分かってしまうからもうやりたくないと言ったのです。麻雀の方が面白いそうです。残念でした。
今日はここまでにします。