おはようございます。
さて私がこの図像を作る目的は何か。提案書を書く目的は何かです。今の私に目標はありません。悪く言えばアランケイ博士の物まねをしたいだけ、知識があるのを自慢したいだけ、ブログ村の多くの作者と同じ。だから図像はできないのだと悟りました。目標を仮置きして描けるほどオブジェクト指向は簡単ではないのです。従って図像はできませんでした。1ページの提案書など逆立ちしてもできないようです。済みません。
さて、このまま違うテーマか、本に移ってもいいのですが、尻切れトンボ。まとめが必要です。オブジェクト指向の私の考えを短く断言口調でまとめます。偏見でしょうし、単なる論。気を付けてください。これはアランケイ博士がコンピュータに対するご自身の理想を表すオブジェクトで生まれた概念です。当然ながら、この定義も間違っているかもしれません。
博士が一番大事にしたかったのはメッセージ通信。他のたくさんの大事な概念はそれを実現する手段にすぎません。全ての概念がその後のコンピュータの発展に貢献しました。この概念ゆえに、オブジェクト指向は人間そのものの考え方です。日本人に最適なのです。最初に言葉ありき、との誰かの言葉を思い出しました。
分かりやすい視認性のために、集合論が基本です。集合の性質や機能の継承をモジュール構造の基本にしています。これも人間社会では普通です。DNAだろうと、残念ながら遺産だろうと子は親を継承せざるを得ません。
そして多態性を処理する理想のシステムを目指しました。これも言語の必然です。子供のユーザーやノビスの人から見たら当たり前のこと。子供は部品の材質や構造など気にしません。犬の木のおもちゃも縫いぐるみも秋田犬も家のジャックラッセルもワンワンです。すなわちそれを多態性と難しく学者さんは言っただけ。
私など子供の時から、今のヨイヨイになればなおさら、すべてあれ、それをよこせと言います。お金もお肉もです。これこそオブジェクト指向であり、多態性であり、メッセージ。誰でもなるでしょう。
一度購入した本は図書室や資料棚で分かり易く並べて再利用するのが当たり前だのクラッカー。資料棚や机の上を整理整頓しない先生が多いから、あたり前のクラス概念があり難くなります。トヨタの3か4か5のSで良い。クラス概念は集合論そのもの。カテゴリー理論など不要です。量子化も不要。
今日はここまでにします。
追記です。マッキントッシュ、Windows、UNIXが普及した今日の世界ではSmalltalkが目指した本来のオブジェクト指向は全ての言語の道しるべ。日本語の構造に起因する好機はもうありません。南無大師金剛遍照。