創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

2次元モデルの原点

2010-01-30 08:24:30 | コーチング・マネジメント

おはようございます。

 卒論にコンピュータシミュレーションを選択したのがコンピュータモデルとの出会いでしたが、モデルの考え方に特別な思いはありませんでした。意識を変えさせられたのは、富士通入社3年目のころでした。

 当時、富士通は何をやっても成功しました。研究開発費は補助金で潤沢。管理職者や経営層への経営研修がスタートしました。管理職者が一ヶ月、現職を離れても部門は維持される、問題は発生しない、ことを管理職者に認識させる取り組みが狙いだったのでしょう。もちろん、研修に参加した管理職者も勉強になったよう。私は管理職直前で退職したため、講習は未経験。しかし、年代が違う複数の管理職者から研修内容を聞かせられました。多くは自慢。すばらしい知識を得た、と子供のように自慢する人がほとんど。特に印象に残っているのが第一期生の話です。

 今もほとんどの会社で採用されている講習かも知れません。元GEのCEO、ジャックウェルチ氏の考えをそのまま公式化したような、ポートフォリオマネージメント手法です。手法はボストンコンサルティングが開発し、一世を風靡しました。今もマトリクスマネージメント手法に用いられていると私は想像しています。これは複雑な問題を分かりやすく表現できます。私が2次元モデルを重視し始めたきっかけでした。

 ご存知の方が多いと思いますので、簡単にこの手法を説明します。横軸は相対的な市場占有率。目盛りは対数。自社の市場占有率がトップの市場占有率に対して何割なのか、何倍なのかが数値です。1が中点。すなわち、自社が同率トップなら横軸は中点です。アサヒビールや麒麟麦酒がその例です。トヨタの日本市場のように、第2位の会社が自社の半分なら、横軸は2の値になります。普通、横軸の増加方向が右ですが、この手法の上手さは左方向を増加方向にしたこと。縦軸は市場成長率です。そのまま線形で目盛りをとります。10%以上の市場成長を示していれば、成長市場と考えます。自動車市場は10%マイナスですので、値はマイナス10です。そして事業規模を円の直径で表します。自動車は大きな円になります。高い成長率で、トップの占有率が良さそうですので、左上に来る事業が有望のように見えます。

 ここからがコンサルティング会社の上手いとこ。右下に来る事業を負け犬。右上に来るのを問題児。左上に来るのを花形。左下に来るのを金のなる木と命名しました。もちろん、オリジナルは英語ですので、それぞれ原語がありますが、私の本意はポートフォリオマネージメントの説明ではありません。以下は省略します。

 私が素晴らしいと思ったのはこの命名法です。負け犬を問題児まで、どうにか育て上げ、花形になったら一安心せず、金のなる木まで一気に持ち込み、成長性ほとんどゼロの事業でも、独占的な地位を築く。日本の自家用車市場のトヨタや、シャープの液晶テレビが良い例です。ぐるっと回って大もうけ。この構図に感心しました。もっともこのような理解は邪道かも知れません。命名に、私は感心させられました。
 
 今私が用いている2次元の思考法はポートフォリオの応用かもしれません。縦横の軸を対数にしたり、直線にしたりして、軸の目盛りを課題に応じて変えます。値も絶対値にしたり、成長率にしたり。とにかく、比較対照の円が平面上均等に広く分布するように変えます。比較対照の複数の円が広く分布した軸の特性が市場を表している特長と考えます。すなわち、市場の特性を導き出すために2次元を利用します。これが私の発想法の基本です。なかなか難しいかもしれませんが、挑戦することをお勧めします。

 ここまで書いて、言いたいことを全て言い尽くしたような気がしてきました。3月末までブログ掲載を続けようと思っていたのですが、一区切りです。皆さんからアドバイスを頂き、それに答えますので、掲載のピッチは遅くなるかもしれません。

今日はここまでにします。または、しばらく、かもしれません。

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モデル原理主義への助言をお願い

2010-01-28 08:22:20 | Weblog
おはようございます。

 私のブログにアクセスいただいている人は、日ごろのバドミントン仲間が多いかもしれません。当面、多忙のため、バドミントンのニュースは掲載できません。皆様の嗜好にあまりお役に立てないのは、本当に申し訳ありません。

 春休みまでの課題である、高等学校の教育に主題をしばらく限り、昔の仕事での経験と日々の活動から得た知見を記したいと思っています。4月からは実働ですので、ブログ掲載も3月までとして、また一時休止したいと考えています。それまでは余裕があり、忌憚無いご意見を賜れば、私の経験に照らし合わせ、一般論に変換し、コメントバックでお答えしたいと思っています。投稿するとき、ぜひ、公開希望か非公開希望か、コメントの本文に注記いただければ幸甚です。このブログのコメントは私が閲覧したもの、高校生に見せたいと思ったものに限り公開させていただいています。コメントのプライバシーに問題はありません。心配ご無用です。

 いつも書いているように、私の知識や経験は会社の仕事に限られています。得意業務は、情報システム研究開発と商品企画と事業企画などの管理業務にほとんど限られています。教育に対する考え方もその知識と経験から導き出されたものです。私は管理とは社員教育であると信じていて、オンザジョブトレーニングはプロだと自信があり、そこで培ったモデルを一般中等高等教育に適用しています。何時も、本当に転用できるのか、社員教育のモデルが一般の高校生の教育に適用できるのか、不安になります。

 従って、教育に携わっている専門家や、教育実践者、また高校生の保護者からアドバイスを頂きたいといつも思っていますが、残念ながら、このような仕事に従事する人、差し迫った問題を抱えている父兄の方からご意見を頂いたことがほとんどありません。理由は二つ考えられます。ひとつは、私のブログは間違ったことを書いている、面白くない、的外れ、など、私の不徳の致す所。もうひとつは、教育はIT時代に後れている、意味が分からない、めちゃくちゃ忙しい、かまっていられない。など、先生やペアレントに対する世の批判通り、まさに教育問題の根幹に関わる所。宜しくお願いいたします。

 本題に戻ります。モデルとは発想を手助けするもの。すなわち中村さんがおっしゃる2番目に大切な直観力と、3番目に大切にしている推理力を高める手段だと私は考えています。モデルなくして、発想も創造性も思考もないと言うぐらいに私は極端に考えています。簡単に言えば、私はモデル原理主義者でしょうか。

今日はここまでにします。
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情報実践教育の効果

2010-01-27 07:29:02 | Weblog
おはようございます。

 富士通元取締役中村さんや山梨大学副学長黒澤さんの教えのように、俗の中に誠あり、毎日の行動が一番大切、背負っている子供に教えられ、教えることは学ぶこと、です。当たり前かもしれません。専門家として必要な能力は、人に対して持っている温かさが1位。2位は直観力、3番目は推理力、4番目が専門知識。心が一番大切と誰もが言います。反対できる人はいないでしょう。どうすれば心を鍛えられるか、私は真剣に考えています。それが商品企画の習性であり、法則があれば、プロセスと具体策を考えてしまうからです。

 心が大切だと、あらゆる法則やモデルが論語に書かれています。なお、私はモデルと言う言葉を極めて広い意味で使っています。美人のモデルから、システム開発のモデル、また、ニュートンの方程式や波動方程式もモデルと考えています。私のモデルの意味を、自分も深く考えたことはありませんでしたが、「思考を手助けする、分かりやすい表現」をモデルと言っています。正しいかどうかは知りません。今まで、心を磨くモデルを考えたことはありませんでした。最近、情報教育に深入りし、この領域でもモデルを考えています。

 部活動は心を磨くよい手段です。小学生、中学校の低学年なら、最善の手段でしょう。経験から信じています。しかし、イチローや石川選手は別ですが、高校3年生や大学生になると、部活動では限界に至る人がほとんどです。運動能力や芸術能力で食っていける人は稀です。道を急に変えても、なかなか上達できません。上達しなければ面白くありません。いい加減になり、ますます上達せず、プロに近づけません。悪いサイクルです。心も乱れます。ますます成果は出ません。

 私は負んぶをした子供から教えられることが一番有効と考えています。何故なら、今までたくさんの若者を背負ってきたつもりですが、背負った本人はたくさん学べましたが、背負われた人たちは学べたのかはなはだ疑問だからです。背負わなかった方が良かった割合は50%以上、すなわち、背負っても背負わなくても、相手にとって情報量は同じと言うこと。情けない。

 どうしたら生徒さんが他の生徒さんや世の弱者を背負えるのか考えています。このプロセスは難問です。まず、足腰が強くなければ絶対に人は背負えません。昔のウェスタンミュージックの歌詞や、聖書にもあるでしょうが、人生の重みは16トン、です。好き勝手やっても16トン。今は競争社会。3倍の重みはかかっています。力が弱ければ、簡単に押しつぶされてしまいます。良い大学に入っても、良い会社に入っても、です。つぶれたら、諦めて惰性で生きるか、精神状態がおかしくなります。それが今の競争社会でしょう。

 私は競争をなくせと言っているわけではありません。運動会で100メートル競走がなかったら、今の私はありません。勝者も社会に必然、弱者も必然。弱者を背負う勇気は、背負わなければ持てません。勝者は弱者を背負い初めて自分の足腰を鍛えられます。私が情報実践教育に傾注しているのは、情報システムの開発は弱者を背負う仕事だからです。情報システム開発のプロは大衆が使うシステムを定義するからです。学校教育に導入しても問題が一番発生しにくいテーマのように思えるからです。

今日はここまでにします。
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ベンチャービジネス社長のスタイル

2010-01-21 08:28:47 | コーチング・マネジメント

おはようございます。

 中村さんのスタイルとその20年変革周期に感服し、私は自分が変革の周期に人生の節目を迎えていると改めて強く感じました。団塊世代の人々も同じサイクルです。気が付いてみたら当たり前のこと。たったこれだけの事。あれこれ真剣に考えなければ、何も気が付かない、見えないのだと納得しました。ブログ執筆のメリットは私にあります。発想が豊かになります。

 前回、ルーゲーリックと中村さんのスタイルに似た雰囲気があると記しました。これでは片手落ち。改めて自分の文章を読み、私のほとんど同世代だったビルゲイツとスティーブジョブスの若いときのスタイルを思い出しました。ビルはアメリカ東部伝統校の学生スタイルそのまま。起業から世界一の金持ちまで押し通しました。ジョブスはカリフォルニア工科系大学生のスタイルそのままのように私は見えます。若い二人のスタイルを思い出し、起業時の逸話を思い出しました。

 ビルがIBMから仕事を受注し、会社を発展させるため、資金調達に来日しました。当時のアメリカベンチャー企業の通例でした。今も日本メーカー行脚があるのかは分かりません。ひょっとしてサムソンや台湾や中国かもしれません。当時、彼は数社周り、提携に応じたのがNECだけ。それからNEC9800シリーズの快進撃が始まったと言って過言ではありません。その旅である有名メーカーを訪問し、既存のパソコンと比較され、ケンモホロロの対応。会社を立ち去るとき、お前の会社のパソコンビジネスを成功させない、と彼が言ったとか。現実はその通りでした。

 私は若いとき、彼を好きになれませんでした。アメリカの私の知人たちが嫌いだったからです。もちろん彼の周辺で、支えている、優れた人々がたくさんいることは分かっていました。しかし、それ以上に私が良い会社、良い経営者と思ったたくさんの会社からビジネスを奪ったからです。彼に潰された、かつての彼の盟友企業はたくさんあります。マイクロフォーカスなどその最たる事例でしょう。しかし、彼は今、世界の、恵まれない子供を支援する財団の理事長です。儲けたお金は全て慈善事業に使うのでしょう。素晴らしい。

 スティーブは今世界1、2位を争う、優れた経営者だと認められています。凄いカリスマ性です。しかし、起業時は単なる西海岸の学生そのまま。やはり起業時に日本行脚をしました。有名メーカーの役員応接室で臭い靴下の足をテーブルに乗せ、打ち合わせ。臭いに反応し、お金を出した企業はメーカーにありませんでした。唯一の例外が商社としてのキャノン販売だったのでしょう。スティーブの儲けたお金の使い方は私には分かりませんが、彼の気性から、多分、自分に似たベンチャー起業者や研究者を支援しているのでしょう。

 若いときの両者に共通するのは自分の車を売ってパソコンビジネスを始める資金としたこと。すなわち無一文から、100万円程度を叩いてビジネスを始めたこと。そしてもうひとつ不遜だったこと。そしてスタイルはセーター。それで有名展示会のキーノートスピーチをしていた印象が残っています。

 アメリカのベンチャー起業成功者はその土地の学生スタイルを押し通しているのかも。でも、真似したら、日本の大企業では生き残れません。他社から良い仕事を貰えません。日本を変えろと言ってもできないことはできません。若い人はいけません。風土に合わせ、自分を変えましょう。ビルもスティーブもそうしているのかもしれません。
 
今日はここまでにします。

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情報技術者のスタイル

2010-01-19 08:35:23 | ビジネス実用

おはようございます。

 私が憧れたのはゲイリークーパー。印象に残る作品は「誰が為に鐘は鳴る」と「モロッコ」と「真昼の決闘」です。映画の冒険家やカウボーイ姿のイメージが焼きついています。一番好きだった相方は、デートリヒやモンローではなく、イングリッドバーグマンでした。小学校時代、クーパーから程遠い風貌。豆タンクの突貫小僧でした。クーパーに憧れているなど、口が裂けても言えませんでした。小学校から高校までの成城学園時代、猪突猛進タイプで押し通しました。しかし、高校時代になって、密かにクーパーに似ていると自惚れていました。口に出して言えたのは定年後の今初めて。ご近所の商店の小母さんに、似せていると冗談を言えています。

 私が好きなスタイルは三つ揃えの背広。クーパーに憧れているなら、もっとラフな格好が好きなはずと洗濯屋さんから指摘され、我ながら不思議。頭の中にクーパーの過去の作品が浮かんできました。昨晩はたと気がつきました。私の原点は「打撃王」、鉄人ルーゲーリックの物語だと。私は野球が大好き。憧れたのはベーブルースでもなく、タイカップでもなく、ゲーリックだったのです。プレースタイルもゲーリックの真似。映画ニュースで見るゲーリックの私生活の姿は極めてオーソドックスな三つ揃えの背広。怪我をしても、試合に出場し、フォアボールもいやな顔を見せず淡々と一塁に歩く。チャンスにヒット。打率は4割。

 私はイチローのマニアックなファンですし、大好きです。彼の背広姿も大好きです。WBCは応援にサンディエゴやロス行けませんでしたが、代わりに、息子と従兄弟家族に応援に行ってもらいました。その私がイチローに物足りなさを感じるのが不思議でした。昨晩クーパーから繋がりました。ゲーリックやタイカップをイメージすれば、彼なら越えられる、少なくとも越えると宣言して欲しい。イチローがアメリカ人から不当に評価されていると日本のメディアは伝えますし、私も感じていますが、多くのアメリカ人の野球ファンがより高いレベルを期待しているのではないでしょうか。

 師のことを悪く言うつもりはまったくありませんが、中村さんは背が高くありません。むしろ背が低い人。美男子とも言えないかもしれません。しかし、昔、部下の立場から見て、また友人として今見ても男の色気を感じています。不思議でした。それも氷解しました。そうです。ルーゲーリックのように、きちんと三つ揃えを着こなし、ネーム入りの白いワイシャツ。腕にワイシャツをたくし上げるベルト。綺麗に磨いた、靴裏も革の黒い靴。姿勢良く胸を張り、顔を上げ、早足でカツカツ歩く、その姿に男が男の色気を感じていたのだと私は納得しました。

 納得してみて、逆に過去の上司や友人や部下のスタイルを思い出して見ました。中村さんと比較しました。もう結論は言わなくてもお分かりだと思います。スタイルとシステムエンジニアの業績は正比例している、と納得しました。私も遅まきながら、ルーゲーリックスタイルで仕事をしようと思っています。

今日はここまでにします。

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情報技術者が持つべき資格

2010-01-16 12:11:55 | ビジネス実用

こんにちは。

 以前、ブログに書いたため、またかと思う人がいるでしょうが、大事なことですので、繰り返します。10年ほど前、中村洋四郎さんが、医者が持つべき資質を教えてくれました。アメリカの医科大学協会がアメリカ全土のお医者さんに、医者が持つべき資格についてアンケート調査した結果です。人に対して持っている温かさが断トツの1位。患者ではなく人、すなわち、患者さんを第一に、先輩、後輩、同僚、また臨床から検査の他部門の先生、検査技師などを含めた人に対する優しさなのでしょう。ちなみに、2位は直観力、続いて推理力、4番目が医学の知識でした。

 先輩に対する尊敬の念、師を敬う心は誰もが持っていますが、負うた子に教えられる人は稀でしょう。患者さんは検査技師や療法士や看護師を下に見がちです。患者さんの立場で考えられる先生は、気がつかないうちに周囲の評価基準を取り込み、自分が優れている、周囲はお手伝いとして見てしまうでしょう。幸い、私は小学校時代から東大に勤務していた2人の叔父さんの教室や病室に遊びに行き、白い巨塔の凄さを実感しながら育ちました。このため、私はお医者さんにはならないと心に誓いました。

 中村さんから教えられ、アメリカの医学部は違うと思いました。しかし今、中村さんが言ったように、日本でもインフォームドコンセントが重視され、患者さんに的確に説明し、治療法に対して同意を得ることがお医者さんの必要条件です。できなければ訴訟事件になるでしょう。私もインフォームドコンセントがしっかりしている先生や医院を選びます。患者は無知だから黙って俺に従えばいい、俺は天才と考えている白い巨塔の先生はいません。それでは出世できないからでしょう。

 アンケート調査結果はそのまま情報システムの技術者に適用できると中村さんは言っています。すなわち、3番目までは同じ、4番目が情報技術に対する知識。中村さんは富士通高専の新入生に、映像的な知識に頼りすぎている、独りよがりの文章を書いている、受身である、倫理観に乏しい、夢がない、など警鐘をならしていました。それぞれ、知識の量を追わず情報を体系化する、聞き手の目線で用語を選ぶ、主体的に目的意識を持つ、上司の指示でも間違ったことはしない、常に10年後の自分の役割を描け、と訓示していました。その通りでしょう。

 最近、高校の情報教育に踏み込み、10年前の中村さんの言葉を深く理解できています。先を読み、ニーズを体系化し、新規商品に夢を描き、開発部門や営業部門を叱咤激励し、計画を達成させる、が商品企画の役目です。私は中村さんから評価されていると自惚れてきましたが、商品企画を長年担当してきた知識や経験を中村さんは買っているのだと思いました。私が優れているのでなく、私の経験を中村さんは評価しているのです。そして今、私の商品企画の知恵や技法を若い人に伝授したい思いがますます強くなりました。

今日はここまでにします。

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アナロジーと発想のモデル

2010-01-13 09:50:13 | ビジネス実用

おはようございます。

 システム開発のモデルは中村さん推奨の建造物モデルが最適かもしれません。実践を重んじた師匠が言うのですから間違いないと信じています。しかし、商品企画の担当者が役員を説得する資料は、抽象的な平面の図表が良いと私は経験で学びました。図表のタイプはいろいろです。人は新しいデータや情報を過去の知識やイメージや記憶と照らし合わせ、比喩して類推するからです。類推してもらわなければ、納得してもらえません。

 まず、自分が徹底的に類推し、良い資料を作るのが先決です。発想を吟味しなければいけません。良い商品は安くて高機能、壊れにくく、使いやすくなければいけません。どれが欠けても売れませんし、特徴がなければ売ってもらえません。バランスが悪くなれば、良いところがある商品も絶対にうれません。妥協も必要です。しかし、現場と妥協すれば売れません。行き詰って諦めて、転寝したり、お風呂に入ったりすると、発想の跳躍が起き、創造的な結論に至るのだと信じています。そのために必要なのが良い図表です。私はこれもモデルの一種と考えています。

 従って、比喩や隠喩の知識も創造性発揮や商品企画に役立ちます。課題や商品の特徴を人の体にたとえて説明する方法は、便利です。過去の歴史物語にたとえ説明するのも容易です。お偉いさんは十八史略や孫子の兵法が好きですので、市場の成長や新規商品の販売戦略を過去の兵法に擬えた説明は定石です。もっとも、三十六計逃げるに如かず、と責任者に言われたら負けです。尻尾を巻いて出直すしかありません。

 マックの代名詞、アイコンはイコンが語源なのでしょう。キリスト教に知識がある人なら、イコンの意味はお分かりだと思います。イコンは表像と訳すのでしょう。キリストのイメージやマリア様のイメージは決まった絵で表現しますし、教会や悪魔を表す絵も決まっています。知識がないとその絵が何を意味するか分からないような特徴のない絵も、特別の意味を持っています。絵でコンセプトを表すのがマッキントッシュのアイコンの基本。アイコンは深い意味を持つ言葉かもしれません。

 私は、人の概念は4分岐の体系で表すのが良いと経験から信じています。あらゆる用途にこれしか使いません。PowerPointの資料も、各ページひとつの表題と、4項目の箇条書きで表しています。6項目や8項目説明したければ、徹底的に絞込み、4項目に減らすか、2つの項目を統合し1項目にして項目数を減らします。どうしても捨てられない要件があれば、いくつかの項目を切り出し、別のページを作ります。3項目しか発想できない場合でも、諦めず、4項目まで生み出します。落語ではありませんが、無いものを捻り出すわけです。捨て、生み出し、統合し、分離していると次第に創造的な結論に近づいてゆきます。細かいテクニックはありますが、雑駁に言えば、4項目の箇条書きが私の発想法のモデルです。

 今回も、理事長に説明しているときに新しいアイデアがどんどん湧いてきました。新しい発想は真剣に役員に説明しているときに起きるのが常なのでしょう。妥当な、ありきたりで面白くないストーリーを、最適な人に説明しているとき、アイデアは進化し、すばらしいストーリーに至ります。アイデアは場が生み出すとも言えるでしょう。売れた商品はこのような状況で企画がスタートした商品でした。社員に無理にやらせる商品は絶対にヒットしません。

今日はここまでにします。

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モデル論議の思い出

2010-01-12 14:20:50 | ビジネス実用

こんにちは。

 中村洋四郎さんからたくさんのことを教えて貰いました。中でも記憶に残るのはシステム開発モデル論です。通常、システムの概要はブロック図で表されます。ブロック図は分かりやすいシステムのモデルと言えるでしょう。作る目的は、設計者が定義した構造をプログラマーに理解させること。システムの構造は複雑なため、ブロック図も複雑になりがちです。乱暴に言えば、モデル化の目的も単純化ではなく、可視化と言えるでしょう。

「システムを建物で比喩すると、全体を具体的にイメージできる。身近な建造物へ比喩すると、システム構造を単純化できる。単純化すると、システム開発に成功する。」と教えてもらいました。私はすぐ、通信機能は道路とエレベータ、個々の階はサブシステム、部屋はサブサブシステムになり、入居前確認会は立会いテストになるため、素晴らしいと思いました。残念ながら、この手法を用いた経験はありません。遅まきながら、高等学校の情報教育に使えないか考慮中です。

 私が経営者や営業責任者を説得したプレゼン資料にはたくさんの絵がありました。多くは概念のポンチ絵です。具体的に存在する物や人の絵はキーワードを陰喩するために使います。PowerPointで作ればシステムが勝手に挿入してくれます。PowerPointでは面倒ですので、手書きにしか使いませんが、幾何学的な図形で概念を隠喩するのも有効です。本の挿絵に最適かもしれません。また、図表もモデルと言えるでしょう。自分の考えを他人に植え付けるために、2次元グラフは特に有効です。目的に応じて、円グラフや棒グラフ、折れ線グラフに細工します。官僚や新聞がたびたび用いている手法です。顧客を嗜好特性で分類するなら、平面上に、母集団の大きさを円の直径で表現するのが有効です。以上、ベテランの商品企画なら身に着けている手法です。

 一般的に、経済モデルや市場モデルは線形代数の範囲で扱われています。代数が経済予測に使われています。代数学は比例で物事を捉える学問です。しかし、経済予測が当たらないのは毎度です。今回のプライムローンの破綻、バブルの崩壊など、線形代数に依存する限り必ず起きます。変化が予想できない、市場予測の評価項目は分かりやすいために、私は中村さんに、抽象的な平面で系の特性を捉える手法を提案しました。これもモデルと私は考えていると言いました。今でも有効だと信じています。

 私はいつもシステムの要因は4つしかないと割り切り、単純化して物事を考えるようにしているからです。2つでも3つでもありません。もちろん7つも8つも要件が出てきて、なかなか捨てられませんが、割り切って4つまで選びます。泣いて馬蜀をきるです。私の小論文の書き方と同じですので、小論文の書き方のページを参照してください。これは私オリジナルの手法のはずです。利点はたくさんあり、後日とします。

今日はここまでにします。

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中村洋四郎さんの構想

2010-01-11 12:35:00 | ビジネス実用

おはようございます。

 正月、ゆっくり資料整理をしました。大量の紙を資源ごみとして捨てました。資料の山の中から、中村さんから数年前に頂いた資料を見つけました。さらにその10年以上前、今から20年ほど前、中村さんは富士通高専の校長をしていました。そのとき、毎年、新入生に話していた内容です。10ページほどですが、今、数日、私は読んで楽しんでいます。

 私がシャープ奈良工場から柏の研究所に転勤したのは20年ほど前。移動を伝えようと、富士通川崎工場に電話をしました。そのとき初めて、中村さんが体調を壊し、第一線から退かれ、富士通高専の学校の校長になられたと教えてもらいました。退職時の非礼を詫びるため、私は電話を繋いでもらいました。中村さんはすぐ電話口に出られ、「懐かしい、よく覚えている」「一度、会おう」と言ってくれました。私は早速、オフィスを訪問しました。大変懐かしい建物。英会話を勉強し、高専生に先端技術ゼミを教えた所。今は知りませんが、20年前は、私の新人時代とほとんど変わりませんでした。そのビルの1階に中村さんのオフィスがありました。それ以来、毎年2度ほど面談し、教えて頂いています。その話は以前ブログに書きました。

 私は再会したとき、パソコン組立の実践教育を提案しました。中村さんは実践が大事だと賛成してくれたのを良く覚えています。しかし、校長として最初の講演で全員に渡す資料を頂いたのは私が定年になった頃の、数年前です。その資料はとにかく20年前に書かれたもの。しかし、今も時代に遅れでいません。前回のブログにあらましを説明したように、2005年の変革まで説明していました。

 この説明の中に、流通関係企業中心の中堅企業に対するSEサポートをする上でのアドバイスがありました。素晴らしい内容です。当時も素晴らしいと思ったのですが、今、私に感銘を与えてくれます。それは情報センタ設置を関係ソフト会社に提案すべきと言うストーリーだからです。昨年暮れに、私が高等学校の理事長に提案した骨子とほとんど同じ。情報センタを作るべしの中村さんの目的は、ノウハウ蓄積の仕組みを作るため。コールセンターやサポートセンターのためでなく、社員レベルの向上のためです。

 要件は、再利用の仕組み、パッケージ企画の仕組み、人材育成の仕組み、プロジェクトマネージャー発掘の仕組みです。私はこの資料を参考にせず、理事長に提案し、企画案を渡したつもりでした。頂いた資料を失念していたわけです。理事長から改善したプレゼン資料をいただき、整理の為に中村さんの資料を眺めていたら、全く同じコンセプト。私は自分で考えたのでなく、教えていただいた内容を私は理事長に提案したと、納得させられました。

 以下は自己弁護です。中村さんは競争企業の社員の私に、推進の仕方に関して全くアドバイスしていません。即ち、具体的プロセスは教えてもらっていません。中村さんは実働部隊から離れていましたので、具体的案をいろいろな立場の人から吸収していたのだと思います。むしろ、私にいろいろ質問され、聞き役に徹していました。私はパソコン組立を最初に提案しました。マーケティングの手法も説明しました。中村さんの推進案に合致した所があったのかもしれません。大いに賛同されました。

 未だ、中村さんから具体的な推進方法は教えてもらっていません。具体的な推進案は自分で考えろ、と言うのが師の理念なのでしょう。法則から具体案は、商品企画が得意なこと、ますます新年度が楽しみです。

今日はここまでにします。

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情報社会のニーズを理解

2010-01-09 14:15:19 | Weblog
こんにちは。

 私は情報システムについて俯瞰的な、または系統だった教育を受けていません。最初から実践だったわけです。今はそれが良かったと思っていますが、当時、それが物足りませんでした。

 私のコンピュータ勉強の歴史を少し振り返ります。卒論にコンピュータシミュレーションを選択したのは、21歳のとき。新しい物が好きだったから。コンピュータの概説書は厚い英語の本だけ。日本語のマニュアルや本は日立のハイタック10のマニュアルだけ。日本語で厚いのは時代遅れ。読むなと先輩から言われました。アセンブラーとFortranの手引書だけを先生から渡され、シミュレーションはモンテカルロ法と専用言語でした。先生は専門書を私たちに渡し、機械工場のシミュレーションをテーマにしなさいと言い、荏原製作所につれて行ってくれました。

 私の他にもコンピュータをテーマに選んだ同級生はいました。彼らも同じようなもの、機械工学科の中で変わり者でした。専門書と英語の論文を教科書として、新しいテーマをそれぞれ与えられ、卒論に挑戦しました。開発したプログラムはそのまま会社に納入されました。私は教科書がないこと、間違いだらけのマニュアルに不満がありました。しかし、指導教官達も私たちと五十歩百歩。足跡のないゲレンデでスキーをしたことはありませんが、同じような爽快感を味わえたと思っています。

 私の師匠、中村洋四郎さんの分析によると、コンピュータシステム開発の第1期は1945年から1965年。原子爆弾の開発に使われた時代でした。すなわち1番目の改革の波は1945年。私が生まれた年、日本が負けた年。2番目の変革は、1965年。私が20歳になったとき、すなわちコンピュータを専門にしたいと思った時。中村さんは、この時代のシステムエンジニアは未知への挑戦者だと説明してくれます。自分を振り返っても、師の分析は正しいと、言えます。

 1970年代、私は進むべき道に迷いが生じました。このままIBMのお尻に付いて行って、良いのか。自分は面白いのか、富士通は正しいのか、富士通はIBMに勝てない。疑問がどんどん大きくなりました。迷いが生じたのは私だけでなかったようです。中村さんは、システムエンジニアは未知への挑戦者としての役割に加え、顧客の死角を指摘するアドバイザーの役割が増え、時とともに後者の割合が増え、要求される能力、特に担当者能力の比重が変わったそうです。私は1979年に富士通をやめ、シャープに入社しました。時代の流れから当然だったと師は言ってくれます。

 1985年、3番目の変革の波が訪れたそうです。顧客ニーズを分析し、顧客システムの開発を請け負うことがシステムエンジニアの仕事になりました。システム開発の手法が飛躍的に向上し、大型のシステム開発が盛んに行われました。そして2005年、4番目の革新の波が訪れました。クラウド、超並列分散、スーパーサーバーなどの概念が渾然一体となったシステムだと、私は中村さんの分析結果を理解しています。

 コンピュータの歴史は20年ごとに変革が起き、今のシステムエンジニアは情報社会への道案内人の使命が課されているそうです。そして次の変革は2025年、地球規模の問題の解決、例えば、環境問題、核兵器の問題、飢餓の問題、ウイルスの問題などの解決にシステムエンジニアが取り組むことになると師は何と20年以上前に解説してくれました。当時、師は富士通高専の校長でした。このように入学者全員に祝辞を述べていました。

 中村さんは当時から技術キーワードにプロジェクトマネージメントとモデリングと再利用を挙げています。それらは今も重要だが、科学、技術、社会が進化し、社会の新しいニーズを生むと言っています。一番重要な技術は技術の3つのキーワードが重なる領域にあるはずと私は師の教えを解釈しています。

今日はここまでにします。


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