創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

成功体験が失敗の原因

2017-07-26 04:24:49 | Weblog

 おはようございます。

 当時、日本政府の助成策が上手くいっていたのか、日本の電子情報産業は右肩上がりで成長を続けました。アメリカのメインフレームメーカは白雪姫と小人BUNCHIと揶揄されていました。世界初の商業計算機を開発した会社やオンライン利用では抜群の実績があった会社や科学計算で世界一の性能を誇っていた会社も次第に淘汰され、昔ベンチャーからスタートした事務用計算機のIBMの天下が明らかになってきました。淘汰された会社の方が伝統がありました。私が岩井さんの下でアメリカ進出の小型機を検討していた頃でした。

 通産省は3匹目のドジョウを狙い、第五世代コンピュータの勉強会がスタートしました。2匹目のドジョウのIBM互換路線を離れ、Prologのロジックプログラミング路線を全面に採用することが前提だったのか、ロボットの井上博允先生も勉強会にいましたが、私が設立準備会設立の直前にシャープに移り、委員として参加した時にはいませんでした。知能ロボットはできないと思ったよう。私は5世代の路線に反対した数少ない一人でした。トロンの先生も反対。嫌な奴は出て行けと5世代のトップに言われました。5世代のトップは電総研の天皇でしたから。

 アメリカ政府は5世代コンピュータ計画に脅威を感じていたと思います。MITの図書館にも私の名前もある調査レポートがあります。報告書は英訳されて今も検索できるようです。日本人はコンピュータ開発でインチキしている、談合だ、日本産のパソコンOSは阻止し、米国製OSを世界標準にしよう、と考えたはず。アメリカの政策担当者は頭が良い、やる気もあります。オープンな世界にはオープンな安価な自国製ネットワーク提供がベストと、考えたのでしょう。インターネットを商業利用化して自由に使わせたのでしょう。

 ネットワークはオープン化、OSのコピーライトは権利化に、が戦略になったのでしょう。上はメインフレームOSの、下はパソコンのMS-DOSや内部仕様のコピーライトが厳しくなりました。日本メーカはコピーライトを厳格に証明できる開発体制が不慣れでした。今でもかも。アメリカの開発者からコピーライトを買うことになりました。

 コピーライトの問題を解消し、互換OSを開発できると言うアメリカ企業はたくさんありました。でも結局、全て沈没。日本メーカーの投資も無駄になりました。互換機ビジネスなどせこい考え方です。独自の、創造性あふれるシステム開発に賭けるべきだったのでしょう。トロンも候補の一つでした。

 各社が独自の統合データベースシステム開発を目指さなかった、各社が親方日の丸を信じすぎた、似非天皇が好きだった欧州のロジックプログラミングの導入などしょせん無理筋、と私は考えていたし、今でも信じています。2回の成功体験が邪魔をしたのです。

 今日はここまでにします。

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