おはようございます。
中学進学の春休みにドイツからブロンド女性が来日。翌日、祖母の家に見に行ったら彼女は家を洗っていました。叔父と結婚し祖母と同居。叔父の医院の看護婦とドイツ料理が得意な主婦を20年。叔母は日本語を話さず、ほぼドイツ語でした。
40年ほど前、業界団体のフランクフルトを始点の独仏英OA市場調査団に参加。各国政府が歓迎し、国民性と国のシステムの一端を知りました。ジャパンアズナンバーワンの時代なのに、大衆は日本を中国の一部と思い、韓国は国と思っていました。
休日にヴァルトブライトバッハの叔母の実家を訪問。地下室にジャム、燻製、漬物など1年分の食料を備蓄。叔母の父はボン大学のマイスター。市松模様の箪笥を自宅工房で製作中でした。自分のベンツと箪笥をあげると言われ、凄すぎ断りました。
第一次大戦の賠償金でドイツが疲弊し、食えない家の少女が道端で売られた、ユダヤ人虐殺以外ヒトラーは正しかった、村の若者が東部戦線から歩いて帰りライン川の戦いに巻き込まれ死んだそうです。一家は敬虔なカトリック信者でした。
中1の叔母は修道院病院の看護奉仕中に病院が爆撃され、倒れて斜めになった箪笥で助かった、ドイツ降伏後も戦った日本人は偉い、また一緒に戦おうと彼が言いました。ドイツ人は政府を頼りません。地区と個の国です。
従弟従妹が中学の時に叔父が他界。叔母が帰国し看護婦に戻り子供2人を留学させました。叔母を訪問したのは10数年前。親はもう他界。従妹は結婚し子が2人。川と森は昔のまま。年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからず。なお従弟はUCLA教授です。
子供を連れケルンで食事し、ケルン大聖堂、再建中のケルン教会、ソ連からの移住者の村、ライン観光船、ローレライの岩、絶景のコブレンツ、橋脚だけの激戦地を見学。従妹の旦那が説明し従妹が通訳でした。彼はケルン教区の都市計画責任者。ワイナリーの村で現地限定の無添加ワインを飲みました。
夕食は叔母手作りの料理、ビールのケルシュ、ハーブシュナップスBasalt-Seuer、和のお摘みなど。朝食前に焼き立てパン屋に従妹と行き、固いパンを各種買い、叔母自作のリンゴジャム、ザワークラフト、ハム、卵などを食べました。その叔母ももう他界。
難民、コロナ、エネルギーの難問が山積なのにロシアがウクライナに侵略。不人気の挽回策か。第一次、第二次の大戦と同じか。あなおそロシヤ。南無大師金剛遍照。
『題名:ドイツの名物カレー
熊さん:八のやろう、柄にもなくライン観光し、最近ドイツドイツと煩いんだ。
ご隠居:そうかい、凄いな。何が美味しかったと言っていた。
熊さん:フランクフルトソーセージとバターポテトが美味かったそうな。
ご隠居:そうか、冷たい夕食が多いんだ。火をつけたシュナップスとザワークラフトなんだ。
熊さん:あんなの御免だよ。俺は白米に糠味噌。吟醸酒と黒毛和牛かウナギなら最高だ。
ご隠居:ドイツは自家製のジャム、漬物、燻製を大量に保管している。お上を信じていないから。
熊さん:最近、ライン川周辺はカレーが流行ってる、知っているかと八が言いやがった。
ご隠居:そりゃ初耳だ。
熊さん:ボンカレーだそうな。
ご隠居:確かにヨイヨイに良い良い。
(注)昔の小話を校正しました。』
ありがたや
海に囲まれ
軟な国
今日はここまでにします。