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新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

教育論に辟易

2017-04-21 19:19:46 | Weblog

 今晩は。

 教育に関するブログ村の先生方の記事に、各種の、立派な論が並んでいます。論でないような名称のグループの記事もほとんど論のよう。管理人様方が素晴らしい考え方をする頭脳明晰な人ばかりだと感じています。立派な論の多くはアメリカやヨーロッパの研究者の著作に惚れ込んだ結果のような論旨。しかし、日本はキリスト教でもあるまいし、海外の教育論が通じるとは私には思えません。

 多くの日本人は昔から無神教の、柔な仏教徒。神と言うと戦前の現人神を思い出してしまいます。怖いのは現人神だけでなく、神への信仰は諍いの主因のように、敗戦直後生まれの私は考えてしまいます。イスラムもキリストもです。新興の宗教はサギもどきもあるのでは。

 私は教育者の家に生まれ、手抜き受験勉強。運よく有名大学に合格。そのまま修士までいました。勉強など大嫌い。仕方ないからやっただけ。卒業後、楽そうな大企業に就職。楽でなく迷って転職。やる気なく窓際勤め。詰まらない管理業務を手抜きして、会社勤めしつつ、大学の非常勤講師を10年。会社を定年退職後、またも迷って高校非常勤をはじめました。騙されたからかも。でも変な人を見るのが好きになりました。学校勤めは、変わり者の私の好みにあったのでしょう。役立たない人だと理事長に言われても、腐されても、とにかく私は面白かったのです。随時随所楽しまざるなし。それでいいのです。

 何せ、子供の教育は妻任せ。私は遊び好き。教育論など落語のように読めました。ブログ村で色々なサイトを読み、遊びました。ブログ村の教育論村の論を読んだ回数なら人に負けてはいません。自慢ではありませんが、私は教育学の講義を一度も受けたことがありません。教育論の専門書も読んだこともありません。ですから、今も教育などど素人です。でも、社会人です。そしてほとんどの教育論は間違っていると思えて仕方がありません。随時随所楽しめない論ばかりです。要するに教育論に辟易としているのです。だから落語のように読めて面白いのです。

 私がなるほどと思った記事を書いている元先生方も数名知りました。でも彼らの記事はほとんど何もしないような指導法のように思えます。論などないと言えるのです。子供たちが喜んで取り組む部活や授業を行えと言う話だけと私は理解しています。要するに、随時随所楽しまざるなし。かくいう私も、子供の時から今まで、悩みはあれど、すべてこの精神で生きてきました。だから大満足の人生でした。

 今日はここまでにします。

コメント
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