こんにちは。
V2は1966年、V9の内野陣が固定された年。セカンドは土井選手、ショートに黒江選手。2人とも小柄。土井が2年生の頃、立教野球部に集団脱走事件。土井は最上級生の前から立教のキャプテンになったと思います。
長嶋杉浦のように立教野球部も有望高校生を特待生として採用。私の大学1年生の頃、立教は強い時代でした。当時、レギュラーに2年生が多く、出場機会が無い3年生4年生が下級生を虐めた事件が起き、立教は特待生制度を止めました。
下級生の有望選手が中退。プロやノンプロに行き、立教は東大とペケを争うほど弱くなりました。土井は気が強く、立教に残りキャプテン。長嶋川上と合わない広岡を巨人は首にしました。選手は気力。監督は管理能力です。
V2の打順は柴田、土井、王、長嶋、森、国松、レフトの選手、黒江、投手でした。柴田がランナーに出ると土井はバンドでもヒットエンドランでもOK。ボールを選びファールで粘り、相手投手が大変。球数が増えました。
土井の打率は低くても犠打が多かったと思います。投手はファールで粘られると速球が遅くなり、困ります。私は抜け目のない土井を好きでした。V2の年は柴田がよく打ち、王、長嶋にチャンスが巡ってきました。
V2の年は投手陣が充実。堀内投手が高卒の新人で13連勝し沢村賞。縦に大きく落ちるカーブが特徴。外角の速球が自然と外に逃げ、内角は自然と懐に食い込みました。堀内を大好きでしたが真似は難しい投手だと思いました。
堀内は打撃も好き、よく打ちました。金田と堀内が投手だと巨人は1番から9番まで隙の無いラインアップでしたが、金田は肘の調子が悪く、4勝で終わりました。金田の穴を新人の堀内が埋めました。
アンダースローに転向した渡辺投手も先発ローテーション入り。左腕の高橋一三投手もこの年から時々先発しました。巨人は投手力が強化され、V9時代の最高勝率でした。守りのチームでした。
レギュラーシーズンで長嶋が首位打者となり、最高殊勲選手。王がホームラン王と打点王でした。日本シリーズでは柴田が大活躍し、よく初回に先制点を取り、4勝2敗でまたも南海ホークスに勝ちました。
V3は1963年。V2とほとんど不変でした。5番に西鉄から移籍した高倉選手、国松選手が6番。高倉選手は絶頂時の西鉄ライオンズの切り込み隊長でした。王は警戒されましたが、ホームラン王と打点王になりました。
V3の長嶋はスランプでした。打率は2割8分台。チャンスに打てませんでした。移籍組の5番バッターの高倉、交代で入った田中選手、森永選手が打点をあげ何とか勝ちましたが、彼らは若くなく、交代で出場していました。
この年、20勝した巨人の投手はなく、夏場に投手陣が疲れ、負ける試合が増えました。お盆のころ、突然菅原投手が現われ、連勝。城之内、金田、堀内、渡辺、菅原が二けた勝利をあげ、最後に投手力で優勝しました。
日本シリーズで阪急と対戦し、福本の盗塁を、歳を取った森捕手は刺せないだろうと言われ、阪急が有利と予想する評論家が多かったと思います。西本阪急監督は選手を育てることが上手でした。
阪急のスペンサー投手と足立投手を巨人は打ちあぐねましたが、長嶋がシリーズ後半から立ち直りました。どちらが勝っても不思議でないシリーズでした。森捕手のリードが光ったシリーズ。森が最高殊勲賞になりました。
今日はここまでにします。