創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

好きを見つけ高める

2015-03-31 03:49:55 | Weblog

 おはようございます。

 好きこそものの上手なれ、下手の横好きは両方正しいでしょう。上手な人はその道だけを長年追求してきた人です。何でも6000回ぐらいやると上手になり始め、10000回ほどやると抜群にうまくなると日米の研究者が言っていた通りだと私も考えています。

 最初から面白いことは賭け事や勝負事、危ない薬、異性交際などなど未成年者は危険な事態になることが多いかも。だから若い人にとって危険でないことで、嫌なことでない、まあいいか、するか、我慢できる、と言う範囲のことはとても性格に適したことかもしれません。それを見つけて、下手の横好きと揶揄されても続けられる鈍感さは良い人生を実現できる簡単な道かもしれません。最初に勤めた会社の言葉、成功の秘訣は運鈍根、私は自分の例からかなり正しい仮説だと信じています。

 そこで今回も生徒さんに皆さんの好きなこと、知りたいこと、したいことをあげてください、と白板の前でお願いしました。皆さん急にだんまりでした。そこで指名して一番大人しそうな生徒さんに「君のしたいこと、話して欲しいことを言ってください」と私は言いました。すると小さな声で「小論文の書き方を教えてください」と彼が言いました。君と指をさして発言を促したのに、声は小さくとも反発せず、真っ当な返事をしてくれました。私は嬉しくなりました。私にはトラウマがあるのです。

 ここから昔の実話です。私が君と言い、指を指し質問したことを思い出しました。私は数年前、今はない工業科で1年間教壇に立ちました。同じように教壇から指名したのですが、その時の生徒さんから「君とは失礼な、私も君と言ってよいか」と。するといっぱしの顔をした奴が、「君は禿親父だね。」「禿は脳の皺がなく、ボケている奴なんだ。」と偉そうに言われたことを思い出してしまいました。その時、私はひきつった笑顔で、「はい、結構です、どうぞ私を君と呼んでください。君とは誰をさす言葉なのか、大君とはだれか、日本と中国の歴史を学びましょう。漢文も日本語も。」とやっと答えました。

 すると「こいつは教員資格のないやつだ、そんな奴に教えられたくない」と他の悪乗り男がいいました。事実だから仕方ないです。そこで放課後に、私は教師失格と考え、理事長に、「すみません、私は教師をする能力はありません、教えられません」と教壇に立つことを辞めたいとお願いしたのです。「そうですか、3年間でそんな生徒さんしか育てられない教師がいることが私の恥です。すみませんが、全部私の責任です。ぜひこのまま1年間は続けてください。」と言われました。それで1年教え、無罪放免になりました。今は懐かしい修行の思い出になりました。理事長に迷惑のかからない範囲で書きました。事実は言葉にはなりません。

 長くなりました。なかなか、好きの要求仕様分析の報告になりません。前置きばかりが続いてすみません。今日はここまでにします。

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私の夢

2015-03-30 04:12:36 | Weblog

 おはようございます。

 今回のSPD/BSSの会場はOTAの部屋で開催されました。生徒さんが各自の目標や夢を見つけられるお手伝いをしている学校のクラブです。一般に使われている無線環境の省略語ではありませんので、分かりにくいのは許してください。

 OTAの部屋を私は知りませんでした。時間より15分は早く講演会場につくのは単に私の貧乏根性の所以です。ほとんどの待ち合わせは15分前に登場し、待ち合わせた相手を待つのが趣味です。学校や会社では1時間以上前に行き、好きなことをするのが好きな男でした。単にせっかちなのでしょうが、今でいえば、早起きは三文の得ならぬ、年収で言えば200万円以上の差がつくかもしれません。

 ですから案内の生徒さんが来る前にOTAの部屋に行こうとしたのです。廊下であった知らない職員さんにOTA研の部屋はどういったら良いでしょう、と聞きました。するとそのクラブは聞いたことがないと言われました。呆れました。理事長と教頭が時々応接室に来て運営法を討論しているクラブです。毎回私とのうち合わせに指導員と教頭が現れているのにです。新人職員かもしれないと思い、ありそうな方に行きました。

 向こうの建物の同じ階にクラブの生徒さんの顔が窓越しに見えました。手を振ったら、窓を開けてくれました。そうか、ここだ、良かったと思いました。ところが渡り廊下のあるのは限られた階でした。階段を使い向こうの建物に移りました。勘違いしてしまい、違う階の部屋に行ってしまいました。

 ところが生徒さんがいないで、昔この学校に誘っていただいた懐かしい工業科長だった先生がいました。いろいろ私の面倒を毎週見てくれた人、この人がいなかったら、今の仕事はなかった人でした。良かったと思い、先生、OTA研の部屋は何処でしょう、と言いました。先生は知らない、OTAなんて聞いたことがない、と言いました。嘘を言えない先生ですので困りました。指導員がいる部屋ですと私が言ったら別のクラブの名前を言ってくれて、下の階と言ってくれたのです。それでやっと部屋にたどり着いたのです。高々100メートルを10分近く迷い歩きをしてしまいました。

 実はここまでは前置きです。お付き合いいただきありがとうございます。以下の段落だけが今日の趣旨です。

 私は旅館で迷う夢をよく見ます。子供の時から今まで、実生活で迷いがある時に、たびたび見る夢です。自分の部屋に帰ることができません。怖いです。上に行ったり下に行ったり、やっと部屋にたどり着いたら、修学旅行の夢なのか、確保していた自分の寝床に人が寝ているのです。まるで今回の実際の認知症体験のようにです。

 認知症の迷い人はたびたび自宅の周りで見かけますので、いつか自分もと、認知症が今、一番怖いはなしです。90までならない秘訣を探索中です。

 今日はここまでにします。

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ここで創造性の発揮

2015-03-29 04:25:40 | Weblog

 おはようございます。

 ここまで来たら創造性が必要です。理事長が好きなのはこの学校の校是だと仮定しました。ですから貫行ですが、難しい言葉です。私も良く分かりません。さて皆さん貴方たちの学校の校是を知っていますか、と質問しました。すると小さな声でカンコウと言う言葉を現役生が答えました。意味が分かりますか、と言うと誰も何も言いません。私は、皆さんが良く知っている観光と学校の校是を白板に書いてくださいとお願いしました。

 光るでやっと禿の話ができました。何故、この文字を私は引き出して書かせたかったのか、詳しく書くとどこからか苦情が来るかもしれません。ですからこの部分のやり取りは書けません。理事長に悪いので。(笑)そこで校是にもどり、私はこの二つの漢字を詳しく説明してください、思う所を誰かがメモしてください、皆さんに創造性が必要な時です、と言いました。

 やっと貫と行が白板に書かれました。貫くは貝があります。貝の文字は大事なものを表している記号でもあります。だから、理事長が行を大事にしているとまず仮定しましょうといいました。行が問題ですね、この文字の意味を理事長の顔からして好きそうな言葉で説明してください、と言うと流石に誰も答えられません。

 そこで私は指導員に、理事長は真面目な方、仏教や道徳が好きな方のように見えます。そこで行とは何でしょう、と質問しました。すると、行は修行や業の意味があります、云々かんぬんと説明しだしました。これでは終わりません、と私は途中で話しに割り込んで、どうやら道徳的な言葉なのだから、陽明学の本を買いたいのだから、この本を買うと校是の真の意味を解釈できる、と言いましょう。これなら一言です。いい加減な男だからこんな指導ができるのでしょう。でもこう言ったら、皆さん納得した顔になりました。

 今日はここまでにします。

 

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カバー表紙でダメなら

2015-03-28 04:11:13 | Weblog

 おはようございます。

 昨日の続きです。OBの一人が、カバー表紙の裏にある文で提案書をまとめる、と言いました。流石に鋭いです。高校の授業とクラブ活動を3年ほど続け、大学に進学し、OBとして面倒を時々見てくれる人です。ほとんどの場合これで正解かもしれません。ついでに腹帯があれば腹帯を読みましょう。

 しかし私は、凄い、それなら5分で書けるね、でも成否は五分五分、会社のトップや理事長はそのような好みではないかもしれません、と答え、続けて、社長や理事長から、申し訳ないが予算がない、自分で買っておいてよ、報告してね、と言われかねません。お金を払い本を買い、8時間苦労して上司に報告する羽目になります。墓穴を掘りかねません。結局、亭主が好きな赤烏帽子、上手く文章がまとまらなければいけません。

 そこで確率8割の実績のある手を教えました。2割はたぶん、相手のエラーで出塁のようになります。御付の誰かが後でOKにしてくれるのが常です。学校なら教頭が理事長にお願いしてくれるようなものでしょう。

 その手は学校なら校是の漢字から一番重要な一言をひねり出すのです。会社なら会社の理念や経営信条です。20文字以内の提案です。言葉ならこれでおしまいです。忙しい人への進言は一言が良いのです。しかし、提案書だと飾ることになります。苦労している、苦労した、こんな成果が期待できると、それぞれ20文字以内の箇条書きで追記します。短い箇条書きほどグッドでしょう。

 志望を決めるとき、大学受験も入社試験も社是や校是が面接時に一番大事です。よく覚えているでしょう。困ったことの大抵のことはそれで何とかなるでしょう。創造性があればですが。

 今日はここまでにします。

 

 

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本の買い方の話

2015-03-27 04:09:22 | Weblog

 おはようございます。

 昨日は久しぶりにOBや現役生や教頭先生、そして指導の先生に学校で面談してきました。BSS/SPD(ブレーン・スパー・ストーム/スーパー・パネル・ディスカッション)の実践を実演してきました。本邦初の実演でした。

 まず麻雀と陽明学の本の買い方を討論したのです。このブログにコメントがある方が書いた、非常に真面目な本です。著者は林田様、この他にも何冊も陽明学の実践例を書かれています。ジャンプしてブログでいろいろな説明やコメントを参考にしても良いかもしれません。

 私はまず本を1冊手に取って、皆さん、この本を買いたい、短時間に提案書または提案を上司にすると思って、アイデアを出してください、と言いました。この本は面白そうですが、立ち読みでは中身はわかりません。真面目な人なら1日かけて走り読みし、提案書をまとめるかもしれません。それでは少なくとも8時間かかりそうです。1分で提案できる案をだしてくださいと言いました。

 いろいろ生徒さんは考えていたようです。流石にOBは鋭かった、後書きだけ読んでまとめる、と言いました。惜しい、でも1時間はかかるかもと私は答え、もっと短くできる案を考えてください、と言いました。すると他のOBだったと思いますが、目次だけ見てまとめると言いました。良い答えでしょう。私がいつもする手です、と言いました。しかし、まだ15分はかかります、もっと短くしてください、会社のトップは多忙です、有名教授も多忙です。要するに予算が潤沢なのは多忙なトップなのです、貧乏暇なしではなく、トップ暇なしなのです。

 廊下の立ち話は最大で1分です。部屋でも予定に割り込むなら1分まででしょう。私のブログは暇人の無職の男だから書けています。家にほとんどいる外からは暇人に見える、主婦ならぬ主夫、多忙なのは家事のためだけだからです。答えは明日まで教えません。アクセスさせるために、良いところで続く、です。部屋にいた人だけが答えを知っているはずです。盗聴、盗撮さえなければ、ですが。(笑)

今日はここまでにします。

 

 

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背後霊のような子

2015-03-26 04:10:20 | Weblog

 おはようございます。

 私は小さい時から三度の食事が楽しみでした。食い意地が張っていたせいか、甘ったれだったせいか、暇だったからか分かりませんが、母の背後霊をしていたように、夕食前の買い物も大好きでした。重たい野菜は家まで運ぶお手伝いをして、夕食つくりも手伝い、味見をほとんど毎日していました。

 すでにお買い物を一人でもできたため、昼ごはんにおかずがないと走って乾物屋や豆腐屋にお使いに行きました。小銭でしたが、足し算引き算の練習をしていたのでしょう。買いに行った品物がないと代用の商品を自分で選んで買いました。買わないと昼ご飯のおかずすらない様な生活でした。

 理由は分かりますか。小さい時、スーパーなどなく、キャスター付き買い物かごもありません。冷蔵庫もありません。母は忙しいのに毎日近所に買い物に行きました。一人ならやむを得ず自転車だったのかもしれませんが、子供の手も必要なくらいに忙しかったから、二人で行ったのでしょう。

 おまけに姉が病院に時々入院するため、夕食は早めに作り、一部を重箱に詰めて自転車に乗り、歩いて30分ほどの病院まで届けていました。姉が贅沢だったからではありません。当時の病院食は本当に貧しい食事でした。カロリー計算で必要量だけ満たしていて、お米は外米と麦の混合としか私にも食べられなかったような不味さだったのです。

 家は貧乏でしたが、母の料理は安い材料を使い、結構美味しくたべられたのです。身体を壊し、食欲の亡くなった姉は母の料理でやっと回復できたのだと思っています。私は今食事を作るようになり、母の背後霊をしていた経験がとても役立っています。

 苦労させ、悪たれしか言わなかった私ですが、今も母の背中で生きているような気がしています。南無阿弥陀仏。

 

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難病の治療薬

2015-03-25 04:36:37 | Weblog

 おはようございます。

 同居していた祖父が若い時に結核にかかっていたのでしょう。姉は赤ちゃんの時、結核にかかり、非常に苦労しました。ですから、私の物心ついた時から、この病気と一家は格闘していたと今は良く分かります。

 でも学校の身体検査で私はツベルクリン反応は陰性でした。小学校の高学年まで毎年陽転させようと学校で注射をうけていました。母は一生陰性でしたので、注意すれば保菌者と一緒に生活していても感染の可能性はそれほど高くはないのかもしれません。

 昭和30年ごろまで結核に治療薬はなく、栄養をつけ、安静にして体調管理を長年続けるしか、治療法はなかったと言えるでしょう。不治の病だと怖がって、家の前は息をしないで行けと言われていた子供がいました。結核にもすごい偏見があったのです。

 抗生物質が発見され、ペニシリンが肺炎の特効薬になったのでは。今は副作用があるとされ、使われることは稀のようですが、悪ガキだった私は毎年風邪を悪化させ気管支炎のようになり、ペニシリンにお世話になりました。ペニシリンがなかったら私は脳炎を起こし、小学生あたりまでしか生きられなかったと思っています。

 結核に対して、ストレプトマイシンが発明され、不治の病ではなくなり、2クールか3クールの投薬で菌が検出されないようになったのでは。しかし、この薬は強い副作用があり、耳が聞こえなくなる可能性が高かった怖い薬でした。使うのは最後の手段のように思われていたのかもしれません。

 そのような状況で、日本でカナマイシンと言う薬が発明されました。多くの患者さんが夢を託したのかもしれません。しかし、この薬の治験の検証結果報告はどうも嘘ばかり、白い巨塔以上の酷い話だったのかもしれません。ストレプトマイシンより高い確率で耳が聞こえなくなった人がいる、と姉を見舞いに病院に行ったとき、他の患者さんから聞きました。後に仕事で知り合った東大病院の教授に聞いたのですが事実だったようです。

 私は薬を飲むのが嫌いでした。お蔭かもしれませんが、中高生時代は健康優良児だったのですが、加齢のため薬のお世話にまたなり始めました。仕事で研究したのですが、申請書に記載された説明書にはすべてこのような副作用があると責任逃れのように書いてあります。現実に副作用に困った患者さんがいたのでしょう。怖いものです。

 今日はここまでにします。

 

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大先生の処方薬

2015-03-24 03:32:26 | Weblog

 おはようございます。

 大先生は私のことをkodera先生と呼びます。教えていることなど何もなく、ただ単に私をリトマス試験紙のように見ているとしか思えないのにです。自分の説明法の確認と創造性の発揮のために説明しているのだと思っています。

  先生と呼ぶのはやめてほしいとお願いしてもダメなのです。自分で「先生と呼ばれるほどのバカで無し」と言っていた人なのにです。だから私は「何故私を先生と言うのですか。人並みにぼけて、私を父と誤解しているのですか」と聞きました。何と答えたか、分かりますか。「先生と言われるとみんな喜ぶからだ、ボケたわけではない。」と言いました。二人で笑いました。

 大先生はすでに80歳半ばになったのに1時間も電車に乗って私の最寄り駅まで来て、喫茶店で面談しにきます。膝も痛いのにです。昨年足を骨折もしています。そして2,3日で、持参した資料の一部を改善した案を郵送してきます。送られてきたまとめに対する私の感想を聞くために電話をしてきます。物凄く慎重です。具体的な説明資料を作り質問してくるわけです。

 それだけ慎重で自分の結論に対し強い責任感があると思える人なのに、若い時の大学での診療時に処方していただいた薬に関してはかなり大胆なお方だと実は私は思っていました。事実学内でもギリギリの処方をする先生だと噂されてもいたようです。

 以前書いたように肥厚性鼻炎だと町医者から言われていた私の鼻の穴を覗き込み、こりゃだめだ、マキロンでも塗っておけと冗談のようにいいました。そして今治験中の新薬があるが試すか、と言いました。

 当然私はぜひお願いしますと言いました。長い針金のような耳鼻科の道具に脱脂綿をつけ、小瓶の液体に浸し、私の両方の鼻に差し込んで液体を鼻の粘膜につけました。いや痛いのなんの、私はいろいろ怪我をして痛いことも経験したのですが、この時の痛さが人生で一番だったかもしれません。

 不思議なことに、その治療で数年私は肥厚性鼻炎に悩まされず、大学生活を送れました。なお、当時は花粉症は騒がれておらず、肥厚性鼻炎として私の症状はお医者さんが説明してくれていたのかもしれません。

 会社員となりまた鼻炎が復活して、近所の耳鼻科に通いました。とてもうまい先生だと評判でした。1週間に2度ほど鼻に薬を吸入する治療を1か月ほど続け、少し症状が軽くなったと思っても、すぐに悪化し始め、きちんと再発していました。情けなかったです。

 そこで先生に以前大学の診療所で鼻に塗ったしみる薬が効いたけど、治験中と言っていたので今ならないでしょうか、と質問しました。ないと言われ、別の耳鼻科に行きました。そこでも全く同じ症状と治療法でした。今は花粉症がありますが、鼻にワセリンを塗り、花粉症の目薬で何とかしのいでいます。

 今日はここまでにします。

 

 

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結果を見た経験

2015-03-23 04:13:50 | Weblog

 おはようございます。

 大先生は、他の先生が処置した結果を一番見たから分かる、と言っていました。殺人事件の被害者の鑑定を担当した医師が親から訴訟されたり、検察が起訴をして裁判にもなります。そのような場合、難しい裁判になるようです。

 また、取り調べ時の調書を否定する証言を始める被告もいますし、取り調べでも完全に否認したり、黙秘を貫く人もいるのではないでしょうか。その被害者を調べる法医学者は大変です。死因を引き起こした状況が分からず、些細な異常、痣やはれやひっかき傷などを見て死因を仮定し、それが起きた状況を具体的に表現しなけらばまともな鑑定書にならないそうです。

 そのために関係する部分を解剖し、血液などを検査などなどすることになるそうです。被告が医師や病院の場合、カルテや医師の証言から過去の治療の経過を事細かに復元しているのでしょう。特にオウム事件の被害者のように年とともに細胞も衰えてきますので高齢者になってますますひどい後遺症に悩まされる人が増えてきます。その予想は当時の裁判で非常に難しかった、否定する説明ができないなら被害を認定すべきだと証言したと本にあります。

 医者は今見ている症状や状況に対処する、だから結果がどうなったか、その真の原因を知らないで済ませている。ところが法医学者は治療や薬の影響の結果がどうだったかを事細かに知ってしまう。経験を日本一した大先生は自分がたくさんの病気の患者さんの調査鑑定をして、知識を得てしまったのだと言っています。実践で過去も未来も見通す能力を磨けた実例の人なのだと私は考えています。

 今日はここまでにします。

 

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指導は怖い

2015-03-22 04:11:04 | Weblog

 おはようございます。

 大先生の教えだった、副作用のない薬はないと私は小さい時から考えていましたので、大人になって管理職をして、副作用のない指導はないと容易に推測してしまいました。相性で厳しい扱いになり、ますます担当者は力を発揮できなくなります。

 精神的に担当者が追い込まれないように、またいろいろな部門を経験させるために、会社は担当者の異動申請を真面目に検討する仕組みがあります。大会社や銀行では、癒着を避ける意味からも3年で移動するのが基本であり、優秀な部下を引き抜かれないようにいろいろ新しい仕事も企画することにもなりました。おまけに各種の緊急プロジェクトの仕組みも各社ごとに名称は違えど、大手企業はそれぞれに適した仕組みがあると私は見ています。

 定年後10年経ち、会社に疎くなりました。私の情報はネットだけですし、経験論は古くなりましたが、先生へのアドバイスは現業になりました。集中して考えられています。いろいろな先生の教えや指導を勉強していると、学校でも副作用は大きいと考えられるようになりました。一人を叱るだけで、褒めるだけで個々の生徒さんに良い影響と良くない影響もあると考えています。指導した一人だけでなく、周囲の人、さらに噂を聞いた先生や他のクラスの人にもいろいろな影響があるのだと考えています。極めて複雑性の高い系なのでしょう。

 人の噂は75日と言いますが、長いようで短いし、短いようで長く噂が語られることになります。やはり長いと私は考えています。それだけの日数畳み込まれるのだから、噂は怖いです。噂はめぐり巡ってされた本人にも最初にした本人にも影響があるでしょう。レッテルを貼る人にも、貼られた人にもデメリットは下手をすると一生ついて回ります。噂を面白おかしく一回でも語った人の頭脳に、噂話をする可塑性の特性が埋め込まれることにもなります。貼られた人は被害者意識が抜けません。

 大先生は講師と助教授時代に大学で診療所の担当医もしていたことがあります。1か月に一回程度だったかもしれませんが。私は先生がしている日を狙って耳鼻科の診療をお願いしに行きました。私は小さい時から鼻づまりになりやすく、肥厚性鼻炎だと言われ、ステロイド系の治療薬を頂いたこともあります。先生にその話をしたら、やめた方が良い、一時は良いが、だんだん効かなくなり、どんどん量が増え、最後は全く効かなくなるだけだ、と言われたことがありました。

 大先生は法医学が専門なのに、歯科だろうと耳鼻科だろうと皮膚科、内科、泌尿器科、外科などなどなんでも凄い知識があり、正しい診察をしていたと子供の時から信じていました。先生は実践したことと見たことしか信じていないのに凄かったのです。長くなりましたので、その理由に関する先生の説明は後にします。

 今日はここまでにします。

 

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