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私的なUNIX始末記

2017-07-19 04:34:11 | Weblog

おはようございます。

 この本を書き始めた頃の、その2年ほど前、私は超多忙を楽しんでいました。UNIXの日本語化、データベースの移植、UNIX輸入販売、データベース研究開発、有望顧客のシステム要求条件調査、第5世代コンピュータ窓口、自然言語処理研究など。

 さらに忙中閑ありと、トータルネットワークシステム販売のために女子大の非常勤講師をし、東阪の大学で情報システムの未来像など講演をしていました。統合システムはシャープとしてはよく売れたと言えるでしょう。このあたりのことをブログに書き始めたら、この本の真の狙いを思い出し、その他の活動も思いだしました。

 ドキュメントマネージメントの私の一冊目の本を手土産に富士通を早速訪問しました。元上司だった、中村洋四郎さんに挨拶するためにでした。当然、出版の自慢を兼ねてでしたが。彼曰く、富士通はUNIXやインターネットビジネスに遅れている、富士通の力を生かし、UNIXビジネスをすることを考えよう、富士通のシステムエンジニア向けの教科書が必要だ、と言われました。それがこの本でした。

 私たちは富士通の大手のディーラー向け講演会も開催しました。社長さん方は大変興味を持ってくれました。シャープのUNIXとネットビジネスの味方を増やすためでしたが、富士通の大手ディーラならシャープの手は借りずとも、皆さん、サンマイクロシステムの販売を試しに始めました。大自動車会社に売りに行きましたが、ホストはメインフレームの時代でした。売れたのはサンとパソコンだけでした。

 私はシャープのUNIX開発の言い出しっぺ。UNIXを担当した人が不遇の時代、私は後始末の意味もあり、大学や先端ソフトウェア会社にアメリカベンチャ企業の大型UNIXシステムを販売していました。数字は営業でしたが。先端の技術者に真っ当な処遇があるようにしてあげたかった。NTTデータやNTTへUNIXのOEM販売の努力もしていました。二社に定期的に伺いました。成果はゼロ、私の本業は研究。国家プロジェクトやデータベース研究でした。当時はグーグルの先を歩いていたはず。私が馬鹿でした。

 当時のシャープのコンピュータ事業部長は怪しい人でした。色々国家プロジェクトの担当でしたが、私の部門の成果を自分の研究所の成果として報告していると若手の研究者は言っていました。彼は信用できない大風呂敷の人だと、多くの若手の技術屋が分かっていました。

 でもその人をシャープの経営者は評価していました。口が上手く、危ない手法の販売もしていたからでしょう。数字の上では実績は十分でした。世の常かもしれません。会社は分かっていない、危ないと見ていました。私は危ない会社への販売はしません。成果の先食いは苦労する、が分かっていました。私は大学などの研究機関に全学の情報システムに向けた販売活動だけ、シャープはブランドがなく、苦戦苦戦の連続でした。

 危ない販売に付き合った同僚や旧友は会社を辞める羽目になりました。彼らはどうなったのか、付き合いのなくなった私は知りません。南無大師金剛遍照。

 今日はここまでにします。

コメント
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