創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

箱根湯治の最終章

2016-08-31 13:41:14 | Weblog

 おはようございます。

 今回の箱根湯治のシリーズは長くなりました。最後に簡単に、駅すぐ上の温泉、かっぱ天国と、改札前の喫茶店、箱根カフェを付言します。いつか、私の創造性と小論のお勧め手法を説明するためにこれらの記事をひとつにまとめてみたくなりました。でもそれは後日。

 その時は、箱根湯本シリーズとして書いた、記事の題名を各1項目と考えて、そこから数項目を捨てます。このシリーズは10ほどの記事があり、10項目ほどになります。自分として強調する必要のない題名を捨てることになります。個人の特性で捨て方が決まります。捨てられない項目が5項目あったら、項目をまとめ、4項目に絞り込みます。これが私の基本のやり方です。

 その前に、まず残りの話。昼過ぎに駅の連絡橋まで戻りました。まだ座席予約をしたロマンスカーの発車時刻まで1時間以上余裕がありました。何をするか迷っていたところ、駅のすぐ隣、真上と言える場所に、カッパ天国の看板が見えました。泊まり、日帰り、足湯も何でも可能のよう。喜び勇んで、足湯に30分ほど入り帰ろうと思い、道路に下りて、3階に相当するような高い所まで坂道と階段を登りました。

 やれやれやっと着いたと思ったら、入り口は閉じられていて、定休日の札がかかっていました。残念無念。もし、読者の中にこの温泉に入った人がいたら、感想など、コメント頂けたら幸甚です。

 仕方なく、また改札前に戻りました。もう疲れていたので、箱根カフェで時間までコーヒーでも飲んでいようと思いました。この喫茶店はスタバのような、最近よくある軽食主体の喫茶店のようです。美味しそうないろいろなパンやサンドイッチやジュースがありました。私たちはコーヒーフロートとマンゴージュースを頼みました。すぐできて大きなテーブルの席に座れました。結構混んでいて、空席は少なく、座れて良かったと思いました。

 喫茶店は混雑していたのですが、帰りのロマンスカーもまた乗客は少なく、ほとんどのお客さんは小田急区間で降りてしまいました。町田か成城学園で。北千住まで乗っていた人は1車両で数組。北千住で降りたら次の各駅は綾瀬どまり。10分無駄に待ちました。座席は満員、座れずに、北松戸まで帰りました。接続が悪いのにがっかりしました。足湯にも入れず、接続の悪い地下鉄も座れず、昼食もいまひとつ、喫茶店のジュースが美味しかったことが救いでした。やはり箱根湯本の私のあうら占いは凶だったのかもしれません。

 今日はここまでにします。

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箱根の客層は華人か

2016-08-29 03:51:48 | Weblog

 おはようございます。

 ゆっくり箱根細工を見られ、満足し、湯本で昼食を食べて、帰るだけ。バス通りを行き、湯本駅から300メートルほど、早川下流の大きな橋を渡り、駅前に戻りました。ここに来るまで何もありませんでした。若い二人は土手のデートに良いのかもしれませんが、私たちは歩くのも難儀。日差しも強くとても疲れました。

 ランチ探索歩きは前の日にしました。昨日も食べる物に困りましたが、困った挙句の、富士屋ホテル選択は正解でした。もう一度はもし泊まったらの楽しみとして、駅前通過。凡そ5分、川沿いの湯葉丼店、直吉に決めていました。夕食時にあうら橘のウェイトレスに、駅前辺りのお勧めランチを聞いたところ、この店を薦められたから。もう一つ、昨日、案内所で頂いた、湯本の観光案内が一押ししている店だったから。

 湯葉料理は北関東の旅でいろいろ食べました。しかし、鍋とか酢のものとかでした。湯葉丼はまだ試していませんでした。湯葉丼がお勧めなら、蕎麦は箱根名物だから、二つが重なった良い選択だろうと、考えてしまいました。お店は開店した直後のはずでしたが、かなり混んでいました。私たちは多人数がけの大きなテーブルの席、まだよかったのです。食べ終わるころ、待って居る家族連れがいました。

 小田急沿線に長く住んだ私は、駅中の箱根蕎麦をよく食べました。祖師谷でも登戸でも町田でも。だから箱根は蕎麦が名物だと思っていました。当日のお腹の空き具合のせいか、駅の立ち食いソバ箱根に比べて、直吉のソバは美味しいと思えませんでした。値段は3倍程度なのに。

 ほとんどのお客さんが食べていた湯葉丼にすれば良かったのかもしれません。でも蕎麦と湯葉の組み合わせは、低カロリーのダイエット料理。お腹がすいていなかったのでちょうど良いと思うことにしました。もう二度と行きませんし、関東人には勧めたくありません。大阪人や中国系の人なら紹介するのも良いのかもしれませんが。

 ここで気が付きました。橘のウェイトレスは中国人でした。彼女は古い箱根を知らないし、中国人が好きな料理は湯葉丼かもしれません。ダイエットとカロリーの相反性が良いのかもと考えてもいたのです。

 ここでふと考え付きました。創造性がファイヤーです。観光案内所の周辺は中国人家族がいっぱいいたことを。どうやら箱根は中国人の旅行がビジネスのメイン。おまけに春節客を想定し、準備していると、です。私のような似非江戸っ子の、古いタイプの日本人はソバはもりかザル。何枚も積み上げて、汁を少しつけ、一気に吸い込む。御つまみは板わさと海苔と漬物でしょう。江戸は遠くなりました。

 箱根湯本は国際化、グローバル化、グローバリズムの世界かも。見栄えと宣伝で、優劣が決まる嫌な世界。天成園は賢く進化、あうら橘はしぶとく対応、富士屋ホテルは老舗として悪戦苦闘かな、など余計な勝手なことを考えてしまいました。

 昔の箱根を味わいたい私は、強羅公園のレストランカフェか周辺のホテルのランチ、例えば強羅花壇などに直行すべきかも。お勧めの懐石料理は手が出ませんが、お手ごろ値段のランチもあるよう。値段とサービスを考えたら良い選択かもしれません。もちろん周辺の古いレストランやホテルの食事でも良いでしょうし。

 昔、彫刻の森美術館見学に疲れ、強羅公園で一休み。斜面に花が一杯、見事だったことだけを覚えています。多分、花はつつじとバラだったでしょう。正確には思い出せません。ネットで見ると今も変わっていないよう。でも昔は登山電車は空いていました。今は満員が恐ろしい。残念ですが、強羅も早雲山も遠くなりました。

 今日はここまでにします。

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寄木細工のお店を発見

2016-08-27 08:02:45 | Weblog

 おはようございます。

 早雲寺から箱根湯本まで、富士屋ホテルと町役場の方角に行けば近道のようですが、私たちはまたバス通りまで下って回り道をしました。お土産屋さんやお寺があれば立ち寄ろうと思ったためと、急な下りの階段があると怖いからです。

 しかしほとんど何もなく、立ち寄れたのは寄木細工のお店、木路だけでした。実は寄木細工の工芸品は駅そばのお土産屋さんにたくさんあるし、ここから持ち帰るのも面倒と思っていました。でも工房のお店も近くにあったはず、時間の余裕もあり、見学だけと思い入りました。外見はそば屋さん風の気楽そうなお店。中にお客もなく、ゆっくりできました。お茶も頂いて。

 このお店だけでも、箱根細工の、素晴らしい品々が見られたと思いました。昔の作品から今の流行を取り入れた新製品まで展示されていました。伝統のある箱根のホテルやお寺には、寄木細工の道具は各所にあるでしょう。床や部屋の飾りにもあるでしょう。これらを見て、箱根細工の芸術性は十分に見られるはず。でも、このお店は箱根細工の新しい可能性を見られます。要するに創造性を刺激されるお店なのです。

 余談ですが、ドイツに帰国した義理の叔母のお父さんは、ボン大学のマイスターでした。寄木細工のタンスを小さい時から死ぬまで自宅の工房で制作し、時々大学に教えに行っていました。箱根細工の模様を大きくした、和ダンス程度の衣装入れが得意だったようです。お土産にベンツとタンスをくれると言われました。でも、船で送るのは大変です。もちろん断りました。貰っていたら凄い骨董品になっていたかも。でも処分に困るだけでしょう。

 もうひとつ余談。父は旧制成城高校の数学の教授、新制になり成城学園高等科の数学を教えていました。そのような関係で東大の教授や大会社の重役に教え子がいました。彼らから箱根細工のマジック小箱を頂いて、私は小さい時から箱根細工に親しんでいました。捨ててしまったこの箱は私のおもちゃでした。寄木細工はおもちゃだと子供の時は思っていました。

 今回初めて、箱根細工の寄木作りの方法までお店の人に教えてもらえました。想像していた方法でしたが、びっくりするほど精巧でした。細やかなお礼にと、小さなお皿とキーホルダーをいくつかお土産として買いました。重たいのは嫌い、小さいし邪魔でなく、とても安価。割引も。もちろん、上を見たらきりがない、良い品があります。奥さまやお嬢様のお土産がいるなら、ぜひ立ち寄って見てください。

 今日はここまでにします。

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早雲公園と墓所

2016-08-25 20:41:15 | Weblog

 こんばんは。

 天成園から、来た方向に上り坂を戻り、バス通りと並行する道を登り下りして、やっと早雲公園への入り口が見えました。公園の中の道は山の中の遊歩道の感じです。自然が一杯です。休憩場所もありますが、ゆっくり休める感はなく、歩き続けて公園を抜けました。良い森林浴の気分でした。早雲公園の写真を掲載し、紹介している、何方かのブログを見つけました。アクセスして見てください。

 私たちはそのまま早雲寺に向かいました。こちらも良い写真をネットで見つけました。我々が歩いた川沿いの天成園からの道でもさほど遠くなく、普通なら楽に歩ける距離でしょう。私は方角が良く分からず無駄歩きをしたかもしれません。坐骨神経痛には歩きがいのある距離でした。湯本駅から直行すれば、すぐです。循環バスのバス停を降り、北条家の墓所のある早雲寺に簡単に行けます。

 早雲公園の感想です。自然や草木が好きな人には良い公園かもしれません。私は草木は分かりませんので何も分かりません。でも、夏の暑いころに蝉しぐれを聞きながら散歩をしたいと感じました。犬を散歩させて良いかは分かりませんが、もしよければですが、この季節の犬散歩に最適かもしれません。

 北条家のお墓の感想です。早雲寺は臨済宗大徳寺派、御朱印を頂けるお寺。勉強になる遺跡や遺品がたくさんあるはずです。でもお墓も本堂の方も人影はなく静かなお境内でした。不思議でしょう。でも大徳寺派は一休和尚のお蔭で武家層に広まった流派でしょう。一休和尚の好みは大衆受けではなく、庶民の救済なのでしょう。早雲寺は愛想が悪いと言うより、一休和尚の教えを守っているように私は感じられました。

 高台の一画にお墓が寂しく、5つ並んでいます。元々の墓所は広大な早雲寺の中にあったそうですが、秀吉の小田原攻めの時に早雲寺は焼き討ちされ、墓所の場所は不明になったそうです。ですからお墓に御骨はなく、家光に許された子孫の大名が墓標を立てたそうです。安土桃山時代に北条の夢ははかなく消えたのかもしれませんが、関東における武士階層の宗教心は残っていると、私は正眼寺と早雲寺を見て、感じました。

 なお、北条氏滅亡に関する、面白い本があります。この本は昔少し一緒に仕事をしたことがある作家の伊藤潤さんが書きました。彼はシステム企画の能力も抜群でした。その人が30を過ぎてベストセラーをいくつも書くとは、彼も思っていなかったようです。でも、凄い人は何をしても凄いのでしょうね。

 今日はここまでにします。

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箱根湯本散策

2016-08-24 16:24:09 | Weblog

 こんにちは。

 あうら橘の隣、正面の道を少し上った所に臨済宗大徳寺派の正眼寺があります。このお寺は室町時代より以前から、箱根路の旅の安全を祈り始まった地蔵信仰から生まれたようです。源頼朝の、鎌倉幕府のできたころ、有名な仇討ち事件がありました。その曽我兄弟をお地蔵様として祀った寺でした。この寺は鎌倉時代から戦国時代にかけて栄えたようです。

 この寺の本堂脇には足湯があるようです。何か洗い場があるとは私も思ったのですが、これが足湯とは思いませんでした。日本で唯一の足湯のある寺かもしれません。お寺のお墓は急斜面にあり、たくさんの檀家が今もこの寺を守っているよう。お墓の敷地全体がとても良く清掃されていました。お墓詣りの後に、お年寄りが足湯に入るのかもしれません。この日も、朝早くから檀家さんらしい女性が本堂の周りを掃除していました。

 足が痛くて苦労したのですが、3階分はありそうなお墓の中の階段を一番上まで登りました。兄弟のお地蔵さんが保存されている地蔵堂が一番上にあります。もちろん鍵がかかっていて見られませんでしたが、決まった日に御開帳されるようです。なお、桜の時期はお寺の枝垂桜が見ものだそうです。

 階段を下りて、少し通りを戻り、玉簾の瀧の案内があり、そこを左折。急な下り道になり、すぐに早川の土手沿いの道に出られます。そこは交差点と橋。このあたりはにぎわっていました。玉簾の瀧は天成園の敷地の中にあります。川の上流方向に数分歩き、天成園への橋を渡り、駐車場の脇を通った奥に滝や神社やお土産屋さんや喫茶コーナーなどがあります。若いペアには良いデートスポットでしょう。与謝野晶子もこの風景が好きだったようです。詩もありました。天成園のサイトと、前回、リンクした、あうらのブログの写真を見てください。

 今日はここまでにします。

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あうらの占いは凶

2016-08-22 11:58:26 | 小論文

 こんにちは。

 今日は風雨が酷く、家で過ごして居ます。リンクを付けて、あうら橘の記事を書こうと思いました。私の成城時代の先輩がまだ経営者なのか定かでなく、あうら橘の各情報をそのホームページでアクセスしていました。橘の女将は凄かった。あうらの未来は心配になりました。

 あうらとはラテン語で微風とか雰囲気とか輝きの意味があると受付の男性が説明してくれました。海外の観光客が狙いなのかも。だって昔は橘でした。何故、あうらと付加し、改称したのか関心がありました。私はあうらとは足裏のこと、あしうらを短く言うとあうら、足裏占いでしょう。手相と同じ理屈かも。この言葉は古い言葉、占の詳細は不明。昔、女将さんが何れをメインに付けたのか、定かではないのでは。真実は藪の中。

 あうら橘は創作の和食料理がうたい文句のよう。ホームページでも分かるでしょう。それが狙いで私は露天風呂付個室をお願いしました。夜も、翌日の朝食も素晴らしいお料理だと言えるでしょう。料理長の創作だそうです。特別な食材を使わず、神奈川の山々の食材や小田原の海産物を使った多様な料理。本当に綺麗。ホームページの、料理タグをクリックすれば写真を見られます。写真通り。白を基調とした多様な形の小皿に私たち年寄りに適した量が盛られていました。素晴らしいデザイン。イメージを刺激されます。

 最近の若い人はダイエットを心がけているため、若い二人の記念旅行に最適だと思いました。事実、レストランの私のテーブルの、周囲は男女の二人連れと母親と娘さんに見える二人客が多かったように覚えています。女性に喜ばれるお料理が人気の秘密かもしれません。

 チェックイン時もチェックアウト時も、あうら橘の違う二人の受付担当者に私の名刺を渡しました。経営者は成城卒の先輩のはず。多分、兄の同級生。経営者は1か月に1回しか橘に来ないようですが、来たら渡してほしいとお願いしました。でも、半年以上たちましたが、メールも電話もありませんでした。貧乏人はクレーマーだと思われたのかもしれません。

 ここから私の悲惨な話。チャックインし、個室の浴槽にお湯が満々。私は喜んでまずお風呂。所がトラブル発生。洗面所で顔を洗おうとしていた妻がお湯が出ない出ないと騒ぎました。私は裸のまま洗面所の下に顔を入れて、水とお湯を全開にしようとしました。でも両方ともに全開なのか、回りません。そこで部屋の電話でフロントに洗面所のお湯が出ない、何とかして欲しいと頼みました。しばらく待って居たら温かくなると言われ、3分待っても温かくならず、2度目の電話。調べると言ってしばらくお湯が出なかったらまた電話して欲しいと言いました。1分もしないうちにお湯が出始め、妻は日焼け止めクリームを落とすことができました。この間、私は裸でうろうろ。まあ何とか、ここまではまだよかったのです。

 次に妻が裸になり、お風呂に入ろうとしました。部屋のブラインドを下げて、と言いました。私は裸のままブラインド操作をしました。ところが、どうやってもブラインドが下がりません。私はこれでも機械科卒、機械には強いのです。このブラインドは機構的に落ちない、故障していると妻に言いました。妻はふくれっ面。出てきて浴衣に着替えました。そして私はフロントにまた電話しました。部屋のブラインドは故障中、すぐ直してほしいと。

 しばらくして、気の良さそうな若者が来ました。ブラインドと悪戦苦闘。10分ほどいじくっていましたが、諦めました。故障している、直せない、修理の会社を呼ぶ、明日になる。部屋を替わってほしいと言われました。私も妻も裸に浴衣を着たような状況。冬の箱根に対応した厚着が掛かったたくさんのハンガー。貴重品ボックスに入れた携帯電話や財布などなど。バッグは開いて物をとりだし、机に並べたような状況。それを慌てて部屋変えです。昔の国替えの苦労を味わえたと思って良しとしました。

 実はここからも事件。私はあわてて大荷物で部屋替えし、大事なものを部屋に置き忘れました。良く気が付いたものです。自分を褒めたい所。慌ててまたフロントに電話。何で私が、フロントに詫びて、きた人にお礼を言わなければいけないのか分かりませんでしたが、気の良さそうな若者でしたので、お礼を言って二人でまた前の部屋にに入り、忘れ物を取ってきました。明日になったらどうなっていたか分かりません。部屋の荷物くらいお前たちがしろよ、と言いたい言葉を飲み込んで。 

 翌日のチェックアウト時に支配人か責任者か担当者がお詫びの言葉を言うと思っていました。それが私の常識であり、言葉は言霊、想いは通じます。料理長の腕も、お料理の皿も、お料理も泣いていたように私は思いました。私は、ありがとうございました、だけ言って翌朝、早々にチェックアウト。もちろん歩いてです。どんなに美味しい美しい料理があっても、責任者が全責任を負わないホテルは御免です。形ではないのです。思いです。謝っただけで済むことも多いのが人生でしょう。

 箱根にももう行きたくありません。多分もう行きません。昔の箱根はなくなったからです。文句が長くなりすぎました。まだまだ続きますが、今日はここまでにします。次は端折って簡単にしたいと思っています。

 追記です。今日、ブログ記事を書くため、たまたま橘のブログを見ていました。支配人が私の知り合いか写真があるかとアクセス。しかし横顔の写真しかなく、すでに60年近く経っていて、私の先輩が支配人なのか分かりませんでした。天成園の紹介はあうら橘のダイニング担当者のブログにあります。支配人と作成者が一緒に湯本を歩く記事が3つ、その中に、天成園の写真がありました。箱根にはもう行く気はしませんが、もし行かなければいけない用事ができたら、今度は天成園に泊まりたいと思っています。やはり私は箱根でも庶民派です。中庸を旨としています。

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子供も学べる資料館

2016-08-20 07:39:41 | Weblog

 おはようございます。

 ホテルの玄関から出て駐車場を通り、道路に出たらすぐ箱根町役場があり、その駐車場の奥に箱根町立郷土資料館がありました。大きな建物ではありませんが、立派な建物全体が資料館でした。入館料は驚くほど安価、あまり期待はできませんでした。

 受付にシルバーセンター派遣の人のように感じられた男性がいました。静かな、しかも箱根の歴史だけでなく、日本の歴史や地学も良く知っている人でした。いろいろ説明してくれました。資料館全体が学童や園児の見学に適しているように構成されているようです。多分、箱根の学校が団体で見学しているでしょう。子供が自分の地域を学ぶことは将来とても役立つことでしょう。なお、休憩コーナーや特別展示コーナーもあります。幼子を連れた家族も楽しめるでしょう。

 受付に良い人がいると見学は有意義になるし、感性も働きます。この見聞録は鋭い、報告かもしれません。自信があります。特別展示コーナーは江戸時代前までの箱根の歴史が展示されています。昔は海だった箱根が火山活動で隆起し、川の浸食活動で地形ができた地学や、北条氏が滅亡するまでの日本史を子供に分かりやすく、面白く展示されています。今の高校生もこの程度ならついて来れます。先生が地学や戦国時代までの歴史を少しでも知っていれば、中高生も学び合いの材料になるでしょう。要は教える人の心でしょう。

 体験コーナーはゆっくりと箱根を学べる場所になっています。手に触れて箱根を知る箱根の名産の寄木細工を使ったパズルゲームなどがあり、家族連れがテレビの説明などを見ながら遊んでいました。なるほど、寄木細工は並べ替えて模様の変化を楽しむ創造性開発の良いゲームだと思いました。

 なお、ドイツには4種類ほどの色の多様な幾何図形の小片を並べ替えていろいろな形に変える幼児の知育ゲームがあります。今は日本にも同じコンセプトのゲーム器具があるようです。でも、寄木細工を使うともっと模様や色の変化が面白いと私は思いました。寄木細工の模様もパズルですので。商品化は簡単でしょう。

 常設展示が展示のメインです。江戸時代から現代までの箱根の歴史が分かりやすく、15のコーナーに分けられ、展示されています。各コーナーが上手くまとめられ、分かりやすく、どんどん前に進めます。子供も楽しいはずです。各コーナーの壁に、B5,1枚の説明資料がありました。説明者は居なくても、それを読むと簡単に各展示の趣旨が分かります。これも素晴らしいやり方だと思いました。

 常設展示の各コーナーは、江戸時代に箱根七湯の成立から始まって、戦後の復興時代、箱根十七湯と言われる今の箱根の歴史が1ページに上手くまとめられています。1ページの説明資料を1枚ずつ集め、入り口の案内に持って行くと、表紙を付けてくれ、ホチキスで留めてくれました。只でです。びっくりです。

 受付あたりの資料棚には、100円のワンコイン説明資料集もあります。私が買った資料はたまたま棚に在庫なし。でも、隣の町役場に電話したのか、すぐ持ってきてもらえました。私の資料をホチキスで留めてくれているうちに、です。これにもびっくりです。受付のオジサンが町役場の女性事務員をすぐ動かしたのですから。

 なお、厚い学術研究報告書などの、資料もあります。多くは在庫切れでしょう。地震や地質や温泉など、地学が好きな人にはたまらない資料かもしれません。在庫があれば、安価、好きな資料を誰もが簡単に買えるのです。売り切れなら閲覧できます。2階が資料室です。箱根に関するいろいろな資料を誰もが閲覧できるようです。私は図書室は行きませんでしたが、素晴らしいシステムだと思いました。

 今日はここまでにします。

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御もてなしの心

2016-08-18 07:51:10 | Weblog

 おはようございます。

 富士屋ホテルのロビーを一回り。和食、中華、バイキング、軽食などのレストランがありました。和食の松花堂弁当も魅力的でした。でも、値段が高い上に、あうら橘の夜食とかぶります。軽食ラウンジに決めました。一番近そうでしたし。

 12時を少し回っていたのですが、一番客でした。お店の雰囲気や従業員のサービスは期待していませんでした。所がぎっちょん、丁寧な出迎え挨拶がありました。通されたのは廊下側の、窓際の良い席。テーブルも清潔、上の品々も良く整えられていました。従業員教育も流石だと感心しました。

 余談ですが、私の親しい友人に、上智大学言語学部卒の人がいます。60代後半の人。入学し、オリエンテーションンはこの富士屋ホテルだったと言っています。大学の説明と同時に、正しいテーブルマナーの講習会が1泊旅行であったそうです。もう半世紀前のことです。一方、私は入学当時、オリエンテーションもさぼり、野球三昧。マナーも良く知らず、アメリカでビジネス。接待者の食べる様を見て真似をしていました。真似だけの人間なのですが、西洋ではそれが一番正しいテーブルマナーなのかもしれません。アメリカでも空気を読まないとビジネスもできないのかも。

 今回は珍しく、まずコーヒーを頼みました。そしてお勧めされているハンバーグランチを2つ。面倒でないからです。カレーやサンドイッチもあったのですが、やはり一番のお勧めランチが無難です。食べきれなければ、残そうと思っていました。

 コーヒーはすぐ出してくれました。良い作法で、美味しいと思いました。私はコーヒーは音痴、お茶が好き。お茶は煩いのですが、コーヒーは煩くありません。専門店でも、コーヒーが趣味の方の家でも、美味しいと思ったことはありません。美味しいと思う例外は良い食事をできる前後。コーヒーが美味しく感じたので嬉しくなり、キリンラガーも頼みました。ラガーが置いてあるとは珍しい。流石です。

 すぐに今日のスープ。しばらくして大きなプレートとパンが来ました。富士屋ホテルの味だそうです。ハンバーグは良い焼き加減、美味しいデミグラスソース、食事を簡単に楽しめました。プレートランチしか食べていませんが、他も推して知るべし、多分お勧めでしょう。

 用をたし、支払いを済ませました。ホテルの玄関から出て、隣の箱根町立郷土資料館に行こうと思っていました。登りの坂道を半分以上少なくできるからです。今回の箱根見学はここだけが決まっていました。多分、1時間ほどで十分。明日、午前中にすることがありませんでした。

 玄関のドアーのところにドアーマンの、私と同年代の男性が立って居ました。お勧めの観光場所、博物館や美術館、または歴史の名所はありませんか。早雲公園は行ったことがないし、北条家のお墓でも見学しようと思っている、と私が言いました。

 すると彼は、近くに良いところはない、強羅か宮ノ下に行ってください、ケーブルカーはないが、バスでなら簡単に行ける、早雲公園は勧めない、北条家墓所も何もないところだったと後で苦情を言われたことがある、と言いました。私は変わり者です。それなら明日午前中は北条家の墓参りをしようと考え、やることが決まりました。

 富士屋のドアーマンに感謝、素晴らしいドアーマン。立って居るだけでも、ドアーを開ける動作と顔つきで、確信に変わりました。良いホテルはドアーマンが違います。そう言えば、半分冗談、半分本心で、定年になったら都心の大型ホテルのドアーマンをしたい、ドアーマンは憧れの職業だった、と言ったことを私は思い出しました。しかし、私を良く知っている年長者は、お前には無理だ、と言いました。そうですね。ドアーマンは難しい職業。大学や学校の先生など、簡単な職業です。

 なお、郷土資料館はすぐとなり、素晴らしい受け付けの高齢者の男性がいて、素晴らしい勉強ができました。ここにも行くべきです。でも今日はここまで、資料館の話は明日にします。

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箱根のイメージ

2016-08-16 08:00:49 | Weblog

 おはようございます。

 箱根湯本は半地下のような感じがするホーム、改札周辺は綺麗に整備されていました。まず年寄りはどこでも用をたします。ゆっくりと階段を上り、改札を通りました。そこは2階、お土産コーナーや喫茶店や切符売り場のスペースでした。

 50年以上前、中島弘之さんと来た時は改札を出たホームから車道にかけて旅館の番頭さんがそれぞれののぼりを持って待ち構えて客引きをしていました。そこで橘の紫色の旗を見つけ、旅館の車で案内していただきました。今でも、私にとってこれが箱根のイメージです。記憶は不思議です。

 それから何度も箱根湯本に来たことがあります。いつの間にか番頭さんの客引きはなくなりました。でも何時なくなったか、定かではありません。多分、当局の指導もあって、旅館組合が自主的に止めたのでしょう。安い循環バスがあり便利と言っているようです。でも、年寄りは温泉地の循環バスを利用しません。他人がいると不愉快な目にあうと言うトラウマがあるのです。おばさんもおじさんも恐怖なのです。ですから歩きかタクシー、または送迎車から都度選びます。

 案内所は歩道橋を渡り階段脇。色々な場所のパンフレットを入手しました。今までは、箱根に来ると、何はともあれ登山電車、まず強羅。そこからケーブルカーで早雲山。そしてロープウェイ、ゴンドラで大涌谷から終点の芦ノ湖。途中の大涌谷はゴンドラからでも見もの。でも私にとって、大涌谷を越えて、下り。進行方向、遠くに見える富士山。箱根はこのイメージなのです。最高のデートになると思います。

 時間があれば遊覧船で観光できます。芦ノ湖に映る富士山も絶景、有名です。でもやはりデートならゴンドラ。そのままゴンドラで戻るべき。このコース、10年ほど前に来た時、アメリカ人やドイツ人が多かったように思えます。英語やドイツ語を話す西洋の人がたくさんいました。私も片言英語とダンケシェーン、ダンケだけで何とか交流していました。外国人と観光地で仲良くできるのは箱根がベストだと思っていたのです。

 今は、ロープウェイも再開していますが、新年当時、大涌谷の噴煙の危険性があり、ロープウェイは運休。海外旅行客も減少したとニュースになっていました。私ができる箱根経済支援のためにも湯本でした。本音は、観光客が少ない方が私の好み。しかし、駅前の観光案内やバスターミナルのあたりは混雑していました。ゆっくりできるムードではありませんでした。

 箱根の混雑の理由が分かってきたと思えました。中国語が飛び交い、大家族の旅行客が歩道やバスターミナルに溢れていたからです。町全体が混んでいるから、12時前にレストランを決めようと思いました。商店街の上り坂を歩きながら、箱根名物のそば屋やレストランやお土産屋さんをいろいろ覗きました。でも、何かしっくりきませんでした。

 それでも、迷い迷い、200メートルほど歩きました。お店はあれど、混雑しているか、お客が居ないかの両極端。不思議としておきますが、理由は演繹できそうです。調べないで来た我々がいけなかったのです。結局、反対側を歩いて、駅方向に戻りました。ますます混雑。決められず、案内所まで戻ってしまいました。

 一番近くて一番大きそうな、高そうな、富士屋ホテルでコーヒーとケーキで我慢しようと思いました。夜のリゾートホテル、あうら橘は料理長の料理が自慢だからです。本音は、貧乏人は食べてはいけない立派な昼食コースだろうと想像したから、かも。いいえ、両方あり、昼食を食べるかどうか迷っていました。

 富士屋ホテルの立派な建物が山の上にそびえていました。駅前に富士屋ホテルの案内所もあり、橋を渡り、エレベータでロビー階に上がれると言われました。軽食のランチもあると。親切な笑顔の女性従業員さんでした。こうしてやっと昼過ぎに富士屋ホテルのロビーに到着しました。流石に綺麗でした。お土産コーナーも、小田原名産品の即売もあり、立派でした。

 昼ご飯の話まで届きませんでした。まだまだ箱根は続きますが、今日はここまでにします。

 

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箱根湯本へ一直線

2016-08-13 15:53:40 | Weblog

 こんにちは。

 暮れのうちは温かい日が続いていましたが、年明けから厳しい寒さ、寒波が到来しました。寒いと足の調子が思わしくなく、楽に行ける温泉に行きたくなりました。箱根湯本が最適だと思い、あうら橘にしました。小田急のロマンスカーの、1月19日20日の1泊旅行、箱根は久しぶりでした。朝、新宿まで行くのは大変です。犬を預けて一泊旅行、慌ただしすぎです。行き易さを望む、私の湯治旅行に不適でした。

 小田急線のロマンスカーは以前は新宿発だけ。成城学園に初等科から高校まで通い、何処に行くにも小田急、遠足はほとんど小田急。箱根や向ヶ丘は何度も行きました。当時、ロマンスカーは洒落た、上手い命名でした。今も特急はそう呼ぶでしょう。いっそ小田急で逃げましょか、の艶っぽい歌、東京行進曲もありました。同級生や先輩には、箱根の温泉旅館の息子や身請けされた芸者さんなど、二号さんの息子さんもいました。昔は色っぽかったのです。

 最近は、常磐線の住人。車内の酒盛りで有名な路線です。千代田線から丸ノ内線に乗り換えるのは大変。階段や人ごみで、身体が不自由な老人には通勤時間帯は難行苦行です。何年か前、北千住発ロマンスカーができたと聞いて、早速、箱根に行こうと思いました。しかし土日の1便のため、市民クラブを主宰している私は利用できませんでした。

 今年になり、旅行代理店で私に適した温泉宿を調べてもらったら、箱根湯本へ行くロマンスカーの旅が良い。平日も可、楽だと教えてくれました。朝一の特急もラッシュアワーが終わった後、ゆっくりと千代田線だけでロマンスカーに乗り、行けます。

 北千住の乗り換えは、同じ地下鉄ホーム。降りて待って居れば来ます。坐骨神経痛は階段が鬼門だから、歩かなくてよいのはベスト。北千住発のロマンスカーで箱根に行きました。旅館は、一番楽な湯本のホテルの中から選びました。

 たくさん良いホテルがあり、普通なら迷いますが、昔、働き盛りで死んだ同級生中島弘之さんと行ったことがある橘にしました。このホテルの跡取り息子は私の成城学園の先輩でした。昔はサービスを良くしてくれました。橘は、あうら橘となっていますが、経営者は同じ、場所も同じです。

 当日、ロマンスカーは満席だろうと心配していたのですが、思いのほかにガラ空き。1両当たり数組しか乗っていませんでした。地下鉄の途中乗車駅は大手町、霞が関、表参道、だけ、代々木上原もお客は乗車できませんでした。不思議でした。ロマンスカーは、空いたまま小田急線に入りました。途中、成城学園前、新百合ヶ丘、町田、本厚木、小田原に停まりました。でもあまり乗客は増えませんでした。

 お金持ちを相手にしているパック旅行を選んでしまったか、接待旅行が好きな人が利用する旅行パックか、変な感じがしました。でも、私が利用できる、費用はリーゾナブル。ホテルも街も庶民派でした。

 箱根湯本の話がまだ続きますが、今日はここまでにします。

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