創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

花はフローラ

2012-07-31 07:00:18 | Weblog

 おはようございます。当時の話の続きです。なかなか終わりません。

 首都圏に転勤し、旧友と再会し、交流できることが一番の楽しみでした。早速、富士通の同期入社、出世しそうな悪がきに電話しました。その後確かに彼は常務に昇進しました。私は電話で会おうと言いました。しかし、今は超多忙。しばらく無理とのこと。なお、彼が集合論データベースのフアンでした。女子大でデータベース論を私が教える決断をした、重要な要因でもありました。

 彼は昔から、今でも私に技術的な評価を押し付けてきています。自分は無理だが中村さんが体調を壊し、現役から引退した。富士通高専の校長になってリハビリしている。ぜひ、行ってあげてほしい。中村さんは富士通の元取締りでした。友人と私の入社当時の課長さんでした。コンピュータの私の師匠です。彼はシステム開発の天才なのでしょう。当時同じ課に配属された新人は私を含め、34人ほどだったのでは。周囲の課から転属した人も合わせると40人近くが新しい仲間でした。全員で150人近い課があったわけです。

 本の構想ができ、本の執筆を始めたころ、かつて所属したことがある2研究室の先生に電話し、面談依頼をしました。1人は超多忙な人。でも早速、面談を予定していただけました。もう1人はかつて同じ研究室にいた5年先輩。先生は私を呼び捨て、私はさん付けでした。いつも昼前後は研究室にいるから勝手に来い、と言われました。ロボットの第一人者だったボーリング仲間の先生にも電話。大学を訪問する日の夕方ならOK。夕方は大学にいる。何時でも寄ってくれと言われました。

 三先生に後日訪問。研究室の皆さんへの菓子折りを携えて。積もる話をし、時間オーバー。非礼を詫びて退出。しかし、偉い先生は違います。3人とも同じようなことをおっしゃいました。企業の人が訪問してくれるのはありがたい、情報が向こうから歩いてきた、と。私は退出のとき、女子大の先生をするのが夢だった、母校は歯が立たない。お料理を教えられるのが嬉しい。そのために教科書を書き始めた。完成したらお届けします、と。これが営業の基本です。宿題を自分で宣言し、再度の訪問を約束してしまいます。

 帰りがけに、正門の前の、学生時代に親友と話すときに行った、バー・フローラを覗いてみました。なお、彼は既に仕事のし過ぎで帰らぬ人でした。この日も、相変わらずママは楚々と綺麗でした。昔から此処は野球部員の溜まり場でした。野球部員の憂さの捨て所だったのでは。私は野球部を辞めた後も、時々ママの顔を見に行っていました。昔はもっといたのでしょうが、私が見た中でこの大学の投手の超天才児は二人だけです。

 一人は17勝を上げた伝説の土佐の人。後に教授にもなりました。彼が得意なのは、長嶋も討ち取った。ストライクを投げず、の自慢話。もう一人は弱小大洋ホエールズに入団した苦労人の関東人。彼もプロの長嶋も抑えらた投手なのに、逆転負けばかり。何時も終盤にエラーがでたためです。それでも彼は決して周囲を悪く言いませんでした。お前なら抑えられるとお前は云いたいのだろう、と帰り道でも明るく冗談を言っていました。再会したかったのですが、此の頃、病に倒れ、帰らぬ人となってしまいました。彼のことを考えるだけで、涙が出てきます。バーに客がいないと、ママは昔のエースや首位打者の話をしていました。私が聞き役だったわけです。なお、確かママの妹さんは若いときに住商勤務。若くして死んだ私の親友も住商のやり手。住商とも不思議な縁がありますが、野球とは関係ありません。

 ママは、他にお客がいると変わり、バー全体が賑やかになりました。お客の多くは大学教授。皆さん学生時代に戻っていました。彼らには、野球部員の悪口が魚だったのかも。根性とバカ力がとりえの、煩い、先輩がまな板に乗っているのですから、私は美味しく酒を飲めました。ママ曰く。ベースボールではない。根性と坊主頭の高校野球の成れの果て。ザル内野、エースの足を引っ張るだけ。ロボットのようにぶきっちょ。レギュラーになるのが間違いなど、酷い表現を面白おかしく、かつコロコロと、小さな、でも通る綺麗な声でお客の話題に入ってきました。

 大学の医学部の諸先生も、ママに憧れていたのか、ちょくちょくお見えになりました。農学部の煩いお客も恒例の人でした。工学部など目だっていませんでした。社会人も多くが功なり遂げた人。弁護士試験に落ち続け、諦めて、教え子と結婚した塾の成功者。何時行っても必ず出没する人がたくさんいました。その日も農学部の変人の友人が来ました。何時も割り込んできて煩いから、話したくない、と思っていた先生でした。

 すみません。余談ばかりで、書きたかった奇遇まで届きませんでした。でも、今日はここまでにします。

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執筆を始めた経緯

2012-07-29 03:59:20 | Weblog

皆さんおはようございます。

 昨日、パソコンLANドキュメントシステムと言う3つのキーワードを入力していたとき、ふと、女子大の教科書や講義にまつわる人間関係を思い出しました。今までは色々のことを、別の事柄のように覚えていたのに、何故か、昔の人間模様をまざまざと呼び覚ましてくれました。またもやファイヤーです。人の記憶は本当に不思議です。

 関西にある古い大工場から首都圏の新しい小規模の研究所に転勤し、研究所長が歓迎会を開いてくれました。私を含めたった3人の、中華料理店のささやかな会でした。所長のご馳走でした。研究所としては招かざる客だったのかもしれません。その研究所とは異文化の私達の部門は僅か担当者3人、孤立した部が発展途上の町でスタートしました。転勤直後、転居などの事務手続きに、新しい総務部門はなれていなかったのかも知れませんが、ほとんど全ての、色々な手続きを自分達でしました。借り上げ社宅の申請なども自分達でした。お陰で世の中が良く分かりました。

 転勤直後、昔同僚だった人が皆さんよく立ち寄ってくれました。人の困った状況は蜜の味もするのかも。心配して来てくれた人もいました。私の転勤と同時期に退職した、仕事関係が一番深かった部門長だった人が、訪問すると電話してきました。忙しい彼が来るのだから、販売応援の依頼と思っていました。彼の来所の目的は、意外なことに非常勤講師の受諾のお願いでした。大学にシステム販売している共通の友人から、非常勤講師の推薦をお願いされたそうです。当社が非常勤講師を受けると、システム販売ができるとのこと。システム担当の教授が新学科設立の責任者。その人の研究室に身近な親戚が勤務していると彼は言いました。学園長と担当教授の、人間性次第、受けても良い、と生意気に返事をしました。

 後日、当社の営業と、資料を携え、友人と女子大を訪問。大学の皆さんと面談しました。それがはじめに書いた推薦者の言葉の云われです。情報教育担当である、学科長候補の女性教授は大学の1年先輩でした。大型計算機センターで学生時代にバイトしていたとのこと。全く覚えがありませんでしたが、ユーザーだった私は彼女と会っていたはずでした。おまけに、お住まいは、私の転勤の歓迎会会場の中華飯店の隣、奇遇でした。

 データベース論を教えて欲しい。教官が不足している、そのため認可が1年遅れている、今年認可されなかったら学科はできなくなる、大変困る、と言いました。私は、関係データベース論はできない、情報データベース論ならOK、と話を断るつもりで言いました。関係データベースやその抽象化したデータベース論も会社員なら教えられるかも知れませんが、学生に教えるのは面倒でした。そしてもうひとつ、富士通時代の親友が関係データベースの抽象概念が好きでした。そのとき、ですから今から40年ほどまえに情報データベースを研究開発したいと思っていたからです。学園長と教授は即答でOKといいました。

 こうして私は非常勤の仕事を請けることになりました。仕事は何でも面白くしたい性質です。教科書は自分で作る、一般書店で販売したい、良いですか、と聞きました。これもOK.。3年間は最低でも本が売れる、と思い、原稿の執筆を始めました。そして情報データベースの研究も新人と二人だけで始めました。こうして半年ほどで原稿が完成することになりしました。その原稿の内容について論じているわけです。

 本当の奇遇はまだ続くのですが、来週のお楽しみと言うことで。今日はここまでにします。

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部門にネットワークを導入したい人

2012-07-28 07:21:04 | Weblog

 おはようございます。今日、題材の本で一番狙いを置いた潜在読者だった、「部門でパソコンネットワークを導入する管理職と担当者」の項に書かれた説明の文です。続きです。まさに今気が付いたことですが、LANの代わりに広帯域や無線、パソコン通信の代わりにSNSを入れたら文章的には再利用可能なのでは。でも、元文章や意味は我ながら笑えます。だから自分の本を読むのは止められないのです。自分の本はカッパエビセンの宣伝文句のようです。

「今日オフィスではネットワーク環境が充実し、LANやパソコン通信などを容易に活用することができます。家庭でも個人がパソコン通信を活用できるようになりました。これが時代の要求であり時代の流れです。」

 私はこのブログの朝に書くべき、または書いている本の次の段落に、実は、何が書かれているか全く覚えがありません。たぶん、皆さんと同じでしょう。何が書いてあるか今見ているわけです。改めて、今朝も早朝に起きてから見て、今思いつくままに、今日の感想を書いています。オリンピックのライブ放送は見ていない、変わり者なのです。

 オリンピック放送以上に、負け惜しみでなく、本当に自分の文言が新鮮なのです。当時のパソコン通信も酷かった。メールはマニアの世界。アメリカではビジネスマンだけでなく、働く女性も出張先で、一夜のアバンチュールを探す場所とツールでもあったのでは。インフォマニアと言う題名の本だったのでは。その売れ行きは私の本とは違い、好調だったのでは。今でも、この本の題名や用語を少々入れ替えたら昔以上に売れるのかもとさえ思えます。

 同じように、今も一部ですが、SNSやクラウドの危険性を警鐘している専門家がいます。大衆には進軍ラッパの方が良く聞こえてきます。ネットで目に付く記事は、出来ないと時代遅れ、直ぐ動き始めたバスに乗れという、軍艦マーチのような前向きの話だけです。そのバスは危険があるから注意しろ、安くても危険性はある、などはあまり目に付きません。情報検索に長けた一部の人以外は、ディズニーランドに行こうとしただけなのに、天国か地獄に行ってしまう、ようなものかも。事件の当事者になれば、全うなコメントだけでは、浮かばれません。

 危険なバスツアーはガイドブックやガイドラインで判断することはできるかも。本当の弱者はあまりツアーには参加できないかも。だから大丈夫かも。でも何か腑に落ちません。危険なSNSやクラウドは事件が起きるまでは、専門家すら分かっていないでしょう。専門家は事故が起きてからテレビや新聞などマスメディアで解説や結果論を言っているように感じています。繰り返しますが、当事者にとっては、結果論では遅すぎるのです。

 当事者は、怒りのやりどころがありません。かけがえのない命が失われかねないのです。原子力発電や電力会社や虐めの事件も同じです。あだ討ちは犯罪ですので、裁判で訴訟に勝つ以外ないのかも。オリンピック放送は、事件や被害の当事者は見る気がしないのではありませんか。

 さてそう言っても、当事者になったらどうするか、指導者になったらそうするか、難しい問題と課題です。冷たいようですが、ホットだからこそ、私には答えは分かりません。定年になった私も、自学し、教養を高め、テレビや新聞の専門家の言葉の真偽や価値を真剣に考えています。それしかできないからです。でも、良く分かりません。それでいいと諦めていても、残念です。

 今のテレビも新聞も週刊誌もあまり好みではありません。売らんかなの臭いが私には強すぎるのです。臭すぎるのです。私が頼っているのは自分の考える力です。その力を創造性と呼んでいます。この本でも、学生さんに教えたかった主題だったのでは。多分です。明日以降がまた楽しみになりました。

今日はここまでにします。

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絶版も美味しい

2012-07-27 07:50:35 | Weblog
 今日も、本に書いたことの続きです。自分の本の紹介は、文章としては続きの紹介です。今日は昨日の続きです。でも、この言葉は大嫌いです。何故矛盾していることをしているのか分かりますか。

 この本の文章から私が思い出すことは時系列や昨日の続きではありません。連続的な事件の連鎖とは決して思えないことばかりです。むしろ次々走馬灯のように昔の仕事や考え方を私は思い出すのです。原稿は3インチフロッピーに記憶し、今はDVDにコピーされています。でも私は以下の文章を一文字ずつ再入力しています。遅い入力が思考の速度と一致して発想が浮かぶからです。

 私の本は、私の経験や仕事のインデックスか索引かキーワードのように思えます。自分の本を読むことが私の一番の趣味になりました。ラスベガスやドイツ旅行の写真アルバムを見返すより、本を読み返すほうが、私の想像領域が広がり、脳の活動範囲が広がり、逆に集中化し、連鎖され、発火すると勝手に仮説をつくっています。ボケ防止にもなるはずだと自分に言い聞かせています。

「今日さまざまなオフィスで、パソコン・LAN・情報管理が重要なキーワードになっています。これらの領域における独立に存在する課題以上に、今日これらが重なる領域に重要な問題が存在していると考えられます。このような問題意識を持つ比較的小さな部門組織・小企業・団体等の人々に、本書は読んでほしいと思っています。システムを導入する以下のような人々にとって、多くの課題選択に本書は役立つと思います。
・部門でパソコンネットワークを導入する管理職と担当者
・部門独自でオフィスの情報化を推進する現場の管理職と担当者
・情報データベースの構築と運用を担当する現場の管理職と担当者
・パソコンの先端技術を現場で身につけたい管理職
想定する読者それぞれの観点から、本書の役割を以下に簡単に説明します。」

 本からのこの転載文章は1キーワードに引っかかりました。時代は変わり、LANよりグローバルネットワークやクラウドが重要なキーワードです。LANは常識や日常になり、生活に溶け込んだと言えるのかも知れません。しかし、私にとってこの説明はLANで然るべきなのでしょう。後ろにクラウドやWEBサービスが控えていると考えています。LANは自宅、クラウドは公道や公共に喩えると私の感じ方をお分かり頂けるかもしれません。

 さてこの本の成果は如何に。実は全く売れませんでした。秋葉原のパソコン専門店でヒラ積みされたのですが、たった3000冊程度だったのでは。そのうち私が講義に利用した冊数を含まれていますので、売れない本と評価されました。たった1年で絶版となりました。でも、絶版のお陰で版権は全て私に帰属しました。絵も表紙も販促のコピーもです。一度絶版を味わったら、その美味しさに病みつきになりました。決して負け惜しみではありません。

今日はここまでにします。
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夢見た別世界

2012-07-26 04:15:46 | Weblog
おはようございます。
 今朝も同じ本の内容を題材にしています。次段落にある文言を以下にコピーします。

「長年にわたるシステム構築支援活動の中で、ドキュメントシステムの構築に対する理解の普及の重要性をますます強く認識しているところです。多くの人々が実際に直面した問題を整理し、その根本に存在する要因を明らかにして、情報管理を実践する多くの人々に有効な実例を提供し、課題解決の手法に役立てることも考えています。1人でも多くの方にこのシステムの考え方を理解してほしいと思い本書をまとめています。なお、この活動の一部は(財)データベース振興センターにお世話いただきました。」

 当時、オフィスの身近な情報管理の分野は企業のコンピュータ担当者に人気がありませんでした。私が感心していたシステムは、ゼロックス社のパロアルト研究所のスターのネットワークシステムだけだったように覚えています。素晴らしいシステムでした。今でも世界の最先端レベルと言えるような凄い先進性であったのではないでしょうか。それから見れば、ビジネスとして大成功したマッキントッシュもひよこでした。でも、マックはビジネスとして大成功し、アップルの今の基礎ができたのでしょう。一方ゼロックスの研究所は身売りと独立の間で揺れ続けました。今も先端研究を続けているようですが、あまり私の視界に入ってきません。研究が時代遅れではなく、単に定年退職者のゆえに情報が入ってこないのでしょうが。

 本を書いた当時、主題の用語の選択に困りました。紙も電子的なファイル情報も一緒に考える用語はマルチメディア情報といっていた時代だったのでは。こちらの用語はキャプテンなどのお役所的なシステムを私は連想してしまいます。アメリカ、カナダ、フランスなどでも先端的な実験システムが政府の主導で開発されていました。私はこれらの考え方は難しいと思っていました。それらより簡単かつ有効な概念を表す用語としてドキュメントシステムの言葉を採用しました。創作だったかもしれません。

 情報共有は導入や維持管理に苦労します。システムを導入する組織の内部の環境に依存するからです。むしろ逆に、容易に情報共有システムを導入できる組織はすでに情報共有の点において素晴らしい組織なのでしょう。その組織が当時のゼロックスにあったら、パロアルト研究所が情報処理分野を導いていたのかも知れません。アップルもマイクロソフトもない世界だったのかも。

今日はここまでにします。
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今朝感じた一番の問題

2012-07-25 04:40:32 | Weblog
おはようございます。
 今朝も同じ本から、はじめの文章をコピーしました。

「今日、知識の共有化やドキュメント情報の共有化をめざしたソフトウェアの開発や、システムの構築に対するさまざまな活動がますます盛んになりつつあります。ドキュメント情報の共有化の領域の中で、すでにこの考え方に共鳴したさまざまな人々がシステムの構築に取り組んでいます。これらの実験的な運用の中で、さまざまな企業の現場部門の担当者の人々がさまざまな問題に遭遇しています。これらの問題の多くは、ノウハウがあれば避けられたものであったと思われます。」

 この本の原稿を書いた20年前は、なかなか上手と思って自己満足していました。しかし、今読むと、さまざまと言う文字が何度も使われすぎです。下手な文章なのが、恥ずかしくなります。もっと文章が上手かったら良かったのに、と思っています。昔のことですので、今改めて読むと、まるで他人の文章のように感じます。何故このような文章を先頭に置いたのか、今は全く思い出せません。確かに私達は自分が開発中のシステムで実験アプリケーションを開発していました。さまざま、がキーワードだったのでしょう。しかし、です。さまざまな企業が取り組んでいたのは、自社開発やアメリカのベンチャー企業開発の色々な異なるシステムがベースでした。ですから間違いではありませんが、何となく、読者の誤解を期待している文章のようでもあり、言い過ぎのように思えます。

 しかし、「現場部門の担当者の人々はさまざまな問題に必ず遭遇する、多くは、ノウハウがあれば避けられる」のように結論を若干手直しすれば今でも賛同できます。すなわち、業種や職種や課題や環境で、それぞれ異なる問題が発生すると思われます。同じ方式をいろいろな部門に適用するのは無理では、と思ってしまいます。いわんや、学校ごとに、それぞれに適した方式が存在しているでしょう。むしろクラスごとに違うかもしれません。

 これら4つの要素、業種や職種や課題や環境の中で一番変動要因になりそうな、言い換えると、一番問題を複雑にしている要因は、この他人が書いたと思える文からは、業種だったと読み取れます。しかし、今なら環境です。このように、自分で書いた本は読むたびに新鮮です。ですから、先生や会社の担当者に何時も本や論文を書くことを薦めています。読み返すたびに、自分の勉強になるからです。

 今日はここまでにします。
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共有化は難しい

2012-07-23 04:53:22 | Weblog
 おはようございます。
今日も、本に書いたことの続きです。

「共有オブジェクトが私達に要求することは、共有、すなわち共有のルールについて、幼稚園と保育園において学んだすべてを忘れてはならないことです。最も大切なことは、もしどこからか、なにかを取り出したなら、見つけた場所に戻すことです。そしてこのことは、ドキュメントを共有しようとするこれらのオブジェクトに関してもあてはまります。もしあなたが他人のオブジェクトを使うなら、正しく扱いなさい。傷つけてはいけません。壊してもいけません。もしあなたが他人が望むものを持っていれば、自由に共有させなさい。もしそれらを共有したくなければ、それらをしまいなさい。見せびらかしてはいけません。それらすべて、ニューヨークのロチェスターにある教会の地下室で覚えたことです。そしてこれが共有オブジェクトにも起きることです。」

 以上の一節は、私が人工知能などの研究管理をしていたときに何時も技術動向として参考にしていたシーボルトレポートから頂きました。これは、編集長だったRonni Marshak氏の言葉の一部を私が翻訳したものです。当時私は検索エンジンと機械翻訳とデータベースを研究管理していましたが、研究はできてもユーザーに使わせる自信が沸いてきていませんでした。

 この文章は私にとって衝撃的でした。物心付いたときから両親や小中学校の先生から、粗暴かつ走りたがり屋の私が、口うるさく言われていたことでした。私事ですが、終戦直後の生まれでしたので、家も幼稚園に行く余裕はありませんでした。そんな子供がたくさんいました。

 私は大学でも会社でも、ここに書かれたことを心がけていたと思いました。こんな簡単そうなことが皆さんできていないのだと。しかし、当時より今は悪化しているのかも、そんな感じがしています。資料室や公共の図書館の本は汚れて、破れていることも度々。椅子や白板の足はがたがたなのはちょくちょく。水道は出しっぱなし。水のみで顔を洗う。大きな一列の手洗いの上で行水する。ゴミを下水に平気で捨てる。食べかけのパンや包装紙を道に捨てる。道路を横一線で話しながら歩く。携帯電話をしながら並んで歩く。大人もタバコを捨てたりします。他人はお構いなし。公共の体育館の床は汚れるわけです。

 幼稚園で習うべきものは家庭と義務教育で叩き込まれました。学校でも大学でも幼稚園の教えができていない人が増えているように感じています。生徒さんだけではありません。大人も増えています。日本の社会現象なのでしょう。

今日はここまでにします。
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行き先不明が楽しい

2012-07-21 08:32:01 | Weblog
 おはようございます。
今日も、一昨日、昨日と続けて紹介した紹介文の最終段落に書いた文章を下にコピーしました。

「本書が提案する手法の特徴は、LANをプロトタイプのツールととらえ、ラピッドプロトタイピングを繰り返し、実際に運用可能なスタンドアロンシステムから統合システムに戦略的に発展することです。現業部門の担当者や管理者の方々も、容易にこの手法の重要性や有効性、そしてその課題を理解し、新たな時代への飛躍を試みることが可能になるでしょう。」

 今朝、入力し、一瞬、時代遅れの考え方と思いました。しかし、校正すべき点を見つけようと三度ほど読み返したら、全くその通り、と思えてしまいました。時代は変わったのですが、私が個人的に信じていることは変わっていませんでした。鰮の頭も信心、なのか、単に頑固者だからか、上辺の現象は変わっていても実は本質は変わっていないのか、全く分かりません。20年前の私なら、「当たり前じゃないか、変わるわけがない、信念も現象も本質も、だいたい今の聖書も論語も2000年以上前の教えだ、それが今でも多くの人が信じている」と性急に結論付けるでしょう。その性急な思い込みがビジネスの大成功の確率を低下させていたのだと今は反省しています。

 管理者のニーズと経営者のニーズは一致していません。これは経験から信じられます。いわんや担当者と保護者と生徒さんのニーズは一致していません。これは非常勤講師の経験から信じています。これらの不一致は、未来永劫変わらないと信じています。

 ですから、学校と教育委員会と文部科学省と学者と批評家の要求条件も一致するはずがありません。むしろ時代とともに、座して待てば、上の2つの不一致程度は拡大して行くと私は確信を持って断言できます。不一致を無くそうと安直に号令をかけることがさらに間違いだと私は考えています。号令は不一致を拡大させ、多くの生徒さんや父兄や先生を苦しめることになるのかも知れません。

 以上のように信じているのは時代遅れの頑固者のせいなのか、はたまた生まれたときからの根っからの乱暴者なのか、付和雷同が大嫌いになった校是を信じて小中高大と楽しんだためなのか私は分かりません。真実は本人も分かりません。誰に聞いても分からないので、聴く気にもなりません。むしろ私は、分からないから人生が楽しいのだと信じています。

今日はここまでにします。
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知識改善に終わりがない

2012-07-20 04:41:09 | Weblog
 おはようございます。
下は、昨日紹介した私の最初の本の先頭にある紹介文の次の段落に書かれた一節です。

「本書は、このような新しいオフィスの時代において、知識の共有化やドキュメント情報の共有化をめざすさまざまな実務の担当者にとって、極めて役立つものと確信しています。パソコンとネットワークに基づき、実務に適用できるシステムを構築する活動を長年実践してきた著者自らの経験を通して得られた具体的なノウハウが、本書に集大成されています。個人の要求と生産性向上という企業の要求の融合化を指向できる新たな手法を、事例に基づいて詳しく説明しています。」

 この教科書を書いた当時、私はかなり自己満足していました。最先端の検索エンジンを研究開発できたし、グループウェアの先端研究の先を行っている、と不遜にも自負していました。今読み返すと、論旨は概ね賛同できますが、ずいぶんたいそうな、大げさな文だと恥ずかしくなります。それまでのノウハウなど、それから私が経験したおよそ20年の非常勤講師や技術動向調査活動から得られたノウハウに比べたら微々たる物でした。しかし、自己宣伝させてください。上の一文も少し手を加えたら今でも使えそうな情報のように思えます。

 私は知識獲得やノウハウの習得に役立つのはそれまでの知識だと当時も思っていました。例えると雪だるまの大玉の成長です。大きくなるほど1回の回転で成長する量が大きいことです。私は、知識獲得はポジティブフィードバックだと言ってきました。悪い行動形式を身に付けるのもポジティブフィードバックです。人は生まれた瞬間からポジティブフィードバックで性格や能力や個性を身に付けるのだと確信しています。

今日はここまでにします。
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昔を思い出して勉強中

2012-07-19 08:00:55 | Weblog
 このサイトにアクセスいただいている皆さん、おはようございます。お久しぶりです。夏休みとなり、課題が一段落し、またしばらく記事を投稿したいと思っています。

「今日、21世紀へ向けて時代は転換期を迎えています。世界に誇る日本のホワイトカラーも、会社人間という安定した温室から、個性にフィットした個優先の場を自主的に確立すべき時代に突入しつつあります。このような新しい個優先の時代において、有効に機能する新しいコンセプトの企業システムを構築することが、企業存続の条件になりつつあります。ますます個人の要求を最優先に満たしたシステムの基盤と、個人が保有する情報を交換する適正なネットワークが重要になっています。これらは、さらに企業全体のネットワークや企業間のネットワークに整合化される必要があります。」

 上の1文はある大学への提案書の冒頭に、1993年5月に書いたものです。私は、ある大学へコンピュータシステムを販売している営業担当者から依頼され、システム導入の必要性を説明した提案書を一部担当しました。若干の用語を入れ替えたら、今日でも、企業や大学や高校へのシステム提案に使えそうな気がしています。

 この提案書もあって、この大学は1億円に近いシステムを私が勤務していた会社から購入してくれました。逆に、大学から、当方が非常勤講師として3年間ほどデータベース論を教えて欲しい、とお願いされました。その大学の創立者の素晴らしい女性からの依頼であり、喜んでお引き受けさせていただきました。その3年は、定年までの10年となり、楽しく女子大の非常勤講師を10年間も2つの講義課題を担当し、勤めさせていただけました。

 上の1文はその講義のために書いた教科書の、紹介文頭にも使いました。紹介者は当時の私のアドバイザーでしたが、書いたのは私でした。赤を入れたのはたった一箇所の3文字程度の追加でした。人の文章の校正法をこのとき初めて教えてもらえました。

 この紹介文も、今でも、新しいアイデアを私にもたらしてくれています。この本に限らず、自分が書いた古い本は、年を経るに従ってさらに面白く、得るところが毎回あり、楽しんで読むことができています。今日はここまでにします。
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