座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆川はみな海に流れ込むが、

2015年10月26日 17時11分09秒 | 聖書
海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。(伝道者一・七)
 
万物は流転している。時間は休むことを知らない。この堅固な地球は回転する球である。巨大な太陽自体も、より大きな発光体の周囲を従順に軌道に従って回る一つの星である。潮は海を動かし、風は大洋を波立たせ、波は岩をすり減らす。海は水の富を蓄えるけちんぼの倉庫ではない。ある力がその中に水を流れ込ませると、他の力が水を天に吸い上げるからである。人はただ死ぬために生まれてくる。すべては焦燥であり、心労であり、憂慮である。
変わることのないイエス様。あなたの相続財産――あなたの祝福の海――について考えるのはなんという喜びでしょうか。あなたの祝福の海は、永遠に満たされています。神ご自身が永遠なる喜びの流れをそこに注いでおられるからです。私たちは、空のかなたに永遠の都を望みます。そして決して失望しません。
今夜の聖句は、私たちに感謝を教える。父なる大洋は大きな受取人であられる。また寛大な分配者であられる。川がもち込んだものを、父は雲と雨の形で地に返される。取り入れるのみで返すことをしない人は、この宇宙の秩序を乱している。他の人々に与えることは、私たち自身のために種を蒔くことである。自分の資産を喜んで主のために用いる良い管理人は、さらに多くを託されるであろう。
イエスの友よ。受けた恵みに従って、あなたはお返ししているか。多くを与えられて、どのような実をあなたは結んだか。できる限りのことを、あなたはしたであろうか。そしてそれ以上できないであろうか。利己主義は悪である。大洋が海の幸を生じなかったら、人類は滅亡するほかなかったであろう。私たちが自らのために生きるという、狭い、破壊的な方針をとることを神は禁止される。イエスはご自分を喜ばせることをされなかった。主の中には、すべての満ち足れる徳が宿っている。私たちはすべて、その中から受けている。おお、イエスの御霊を得たい。今より後、私たちが自らのために生きることがないために。
 
 

自分は何という人間、だめだ、

2015年10月26日 17時10分11秒 | 聖書

「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです」(ヤコブ1:17)

ある人が、対人関係で、ある状況に陥った時に、自分の本性が露呈してしまった。
そして、自己嫌悪に陥り、ひどく落ち込んでしまった。
自分には愛が無い、優しくもない、むしろ報復しようとするし、攻撃したい心がある。
だめだと、ネガティブな状態にいた。
その時に、「はっ!」と気づいた。
なぜこんなに落ち込むのか。それは自分には愛があると思っている、優しい人間だと思っている、ひとかどの人格は備えていると思っている、だから落ち込むのだと。
自己嫌悪は、高慢の裏返しだと。
別の人は言った。自分は何かあるとひどく落ち込んでいた。
自己憐憫に陥り、人をシャットアウトし、自分の世界に逃げ込む。
「自分は可哀想」の中に浸る。
でも、主を知って、落ち込まなくなった。
どんどん自分の醜さ、汚れ、弱さを知るが、視点が変えられた。
自己憐憫に入るのでなく、「自分の醜さ、弱さを教えて下さった事を感謝します」と、主に感謝できるようになった。
どんなに罪深いかを知る時、自分に誇る何も無い事を知る。
主の恵みがいかばかりかを知る。
自分に頼らず、自分を当てにもしない時、今、赦され生かされている事が恵み以外の何ものでもない事を悟る。
すべてが上からのものである事に目が開かれ、愛も思いやりも、上から来るのであり、上からしか来ない。
だからこそ感謝が溢れる。
---------------
自分は出来ると思っているから、落ち込むのであり、プライドが傷つく。
そして自分で頑張り、律法の下であえぐ。
どうやっても出来ない事、どんなに惨めな者であるかを知る事が感謝だ。


今日の聖人の記念日

2015年10月26日 06時31分30秒 | キリスト教

聖エヴァリスト教皇

在位99年-107年ごろ

 エヴァリストは、ベトレヘム生まれのギリシャ系ユダヤ人であった。キリスト信者になってローマに行き、そこでクレメンス教皇の後を継いで、第5代の教皇となった。

 エヴァリストは初代教会の組織作りに貢献し、ローマを小教区に分け、7人の助祭を任命し仕事を分担させた。

 彼の遺体は、バチカンの聖ペトロの墓の近くに埋葬されている。


◆愚かな者ナンバーワン

2015年10月26日 06時30分29秒 | 聖書

自分を知恵のある者と思っている人を
見ただろう。
彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。(箴言二六12)
 
この一週間は、ずっと「愚かな者」についての箴言を読んできました。人をのろう愚かな者・人のことばを聞かない愚かな者・売りことばに買いことばの愚かな者・口先で語る愚かな者・人の誉れを受けていい気になる愚かな者がいました。さてきょうは、愚かな者中の愚かな者。愚かな者ナンバーワンが出てきます。それは、「自分を知恵のある者と思っている人」だというのです。
イエス・キリストは、ヨハネの黙示録の中でこう言われました。「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない」(黙示録三17)。パウロはコリントの人々に、「立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい」(Ⅰコリント一〇12)と、警告しました。
小さな子どもさんたちをかかえ、ご主人の浮気と借金に、いうにいわれない苦労をしている方があります。でもその方は、そんな苦しさの中から神を見いだし、ご主人に仕えきり、ほんとうにしっかりと生きている若い婦人です。この家庭にも、祝福がふりそそがれるようになりました。
そして、手紙でこう書いてこられました。「奥さま、そして先生。私が救われ、神さまから助けられ強めていただくためには、私は罪人でありさえすればいいのですね。」私も妻も、美しいことばだと言い合いました。
神の救いや助けや励ましを必要としない自己満足の者こそ、愚かな者ナンバーワンだといわれています。
 
 

◆あなたがたは多くを期待したが、

2015年10月26日 06時29分47秒 | 聖書
見よ、わずかであった。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。――万軍の主の御告げ。――それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ。(ハガイ一・九)
 
けちな人は、内外の伝道のために献金することを惜しみ、それを倹約だと言う。彼らはそのために自らを貧しくしているとは夢にも考えない。彼らは口実を設けて、家族を見なければならないのだと言う。しかし神の家をなおざりにすることは、必ず彼らの家に破滅をもたらすことを忘れている。
神は摂理によって私たちの努力を成功させることも、失敗させて茫然とさせることもなさる。神が手をひるがえされることにより、私たちの舟は良い水路に進むことにも、貧困と破産の暗礁に乗り上げることにもなる。主は心の広い者を富ませ、利己的な者に対して、出し惜しみが貧乏への道であることを知らされる。
私は非常に広い範囲を観察した結果、最も物惜しみしない人は常に幸福で、ほとんど例外なく繁栄していることを発見した。気前よく与える人が思いがけぬ富を受け、心の狭い卑しい金の亡者が、極端な節約によってお金を蓄えようとして、かえって貧しくなっていくのをしばしば見た。この世の人は良い管理者に多額のお金をゆだねる。主もまた多くの場合そうされる。俵で与える者に対しては車いっぱいのもので報いられる。たとえ多くをささげることができないとしても、惜しまずに主にささげたならば、主はその人に喜びを与えることによりささげたものを倍にしてくださる。
利己主義者はまず自分の家を見るが、敬虔な者は第一に神の国と神の義を求める。しかし終局においては、利己主義者は損失をこうむり、敬虔な者は大きな利益を受ける。神のために惜しみなくささげるには、信仰が必要である。しかし神にはこのようなささげ物を私たちに求める権利が十分にある。私たちになし得ることは、私たちがいつくしみ深い神から測り知れない恩を受けていることを、謙虚に承認することだけである。
 
 

第1歴代誌24章7-19節

2015年10月26日 06時28分13秒 | 聖書


24:8 第三はハリムに、第四はセオリムに、
24:9 第五はマルキヤに、第六はミヤミンに、
24:10 第七はコツに、第八はアビヤに、
24:17 第二十一はヤキンに、第二十二はガムルに、
24:18 第二十三はデラヤに、第二十四はマアズヤに当たった。



 神殿の聖所で祭司として奉仕をするアロンの家系の者達を、ダビデはくじに従って24組に分けて、その働きを担わせました。

その1組には、それぞれの士族の人が入っていますので、その働きを担当する時は、数年に一度ということになります。

しかし、そうすることによって、全員がこの奉仕に携われるようにしたのです。

この組み分けは、イエス様が誕生された時代にまでも続いていました。

ここで「第八はアビヤに」と記されています。

イエス様の先駆けとして生まれたヨハネの誕生の時に、その誕生が告げられた人は誰かと言いますと、「ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。」と語られ、そのアビヤの組の祭司、ザカリヤであったと、ルカは告げているのです。


ヘブル人への手紙1章1節-3節

2015年10月26日 06時26分01秒 | 聖書


★神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

■O:今日のコラム
今日の箇所はなんと素晴らしく、力強い御言葉なのでしょう!
今の時代はまさしく終わりの時代です。
この時代にあっては、イエスキリストを通して聖霊様がはっきりと私たちに神様の御心を語ってくださいます。
多くの預言者が今の終わりの時代のことを預言してきましたが、彼らはその成就を見ることはできませんでした。
しかし、私たちは神の御言葉がその通りに成就されて行くことを目撃することになるのです。
私たちは神様のご計画のクライマックスの時代に生かされています。
これから神様がなさる偉大なる計画に期待して行きましょう!
さらに驚くべき御言葉があります。
3節「罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」
とあります。
今のこの時代がどれほど驚くべき時代であるかは、この一言に尽きます。
人類の最大の問題である「罪」が解決済みである時代ということです。
罪は私たちと神様との間に大きな壁となって関係を塞いでしまいます。
人類は長いこと神様の御顔を仰ぎ見ることは出来ませんでした。
しかし、イエス様の十字架によって私たちのすべての罪の問題を解決してくださいました。
おかげさまで、神様との間の壁は取り除かれ、私たちは神様のことを大胆に「お父さん」と呼べるのです。
それによって、私たちがイエスキリストの御名によって祈る祈りは
天の父の元に聞き届けられるのです。
このような恵みの時代に生かされていることに感謝し、
日々の生活の中で天のお父さんに大胆に求め、祈り続けて欲しいと思います。
神様は必ずみなさんの祈りを聞いてくださいます!

■A:考えてみよう
天のお父さんとの壁は取り払われました。
私たちの祈りは必ず聞き届けられます。
あきらめないで最後まで祈り続けましょう!


■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


10月25日(日)のつぶやき

2015年10月26日 01時48分52秒 | キリスト教

◆このことは、私たちのうちに宿る真理によることです。 goo.gl/ky5GKc


「あなたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。 goo.gl/cl8XAS


◆ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、 goo.gl/FAHPHk