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トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

立派なニホンアカガエル

2018-10-17 | 小父のお隣さん
 トンボ池の取水堰取り換えをしていたところ、どこからかアカガエルが出てきた。まだ越冬時期では無いので掘りだした訳では無い。
 体格も体色も良く、今までに見た最大のニホンアカガエルである。手のひらに乗せて撮影すれば大きさが分かりやすくなるけれど、また作業のためゴム引き手袋を装着しているから体温で火傷させる心配も無かったのだが捕捉して撮影するのは止め、接近しての撮影にとどめた。

 体長は70mm程度はあっただろう。恐らくこの種では最大値に相当すると思われる。今期はカエルも蛇も出会いの機会が極端に無かったから、こうやって眼前に鎮座してくれると心救われる感じがする。生物保全のために汗水流して、居るべき生物が見えなくなっていくのは何とも哀しいものであるからだ。

                 

蛇穴に入るも間近

2018-10-16 | 小父のお隣さん
 棚田の除草をした後の集積をしていたら20㎝程のヤマカガシが出てきた。すでに暦は寒露で越冬する季節も近いのにこのサイズなので驚いた。
 初秋まで真夏日が続き、産卵も遅くまであったためなのか、通常のサイズなのか知る由もないのだが、餌となるカエルは爪の大きさのツチガエルがたくさんいる棚田だった。

 無事に越冬できる体力の指標となるサイズは理解してはいないけれど、ツチガエルが溢れているのは良い兆候でもある。「それにつけてもおやつはカエル」と堕蛇例が出てしまう小生であった。ホント、我ながらしょうもない…。
 まあ、強いて言うなれば「孤決に従えば孤爺でいる」てなもんや三度笠。

                   

沈泥池の沈泥路

2018-10-15 | 水辺環境の保全
 沈泥池と言えども池全面に沈泥させたい訳では無く、浚渫しやすい場所に堆積させたいのが希望である。希望だけではどうにもならず、それなりの工夫と始末が必要なのだが、ここにきてようやく手を入れる事が出来た。

 沈泥池の役割は水域に泥土が流れ浅くなるのを防止するための設えだけれど、ここに溜まる砂泥は定期的に浚渫する必要がある。その浚渫土は埋め立てや堤の補修に使うためだが泥のままでは使えず、数か月間の水抜き期間が必要だ。
 そのため掘り上げやすく、掘り上げる場所と泥土を集積し水抜きする場所は隣接させておきたい。流れ込む水から砂泥を沈降させるには流速を落としてやる必要があって、そのため流路は末広がりに作り、広くなった部分を深くしておく事が肝要なのだ。

 数年前に、そのように設えていても自然と様相は変化し機能し難くなった。今回、機能を維持するための補修を行った。
 流入口から除伐材を並べ水路を作り直し水流を砂泥積み上げ場の前まで誘導する。その部分は浚渫し土砂溜りとして機能させるのである。除伐材は除伐した時点で用途が決まっておらず不要材扱いだったのでサイズはまちまちだったけれど、なんとか格好がついて一安心である。

 作業前  ➡    作業途中 ➡    水路完成

集水路の除草

2018-10-14 | 水辺環境の保全
 集水路の水域内と両脇の除草を済ませた。小生が予定していたのだが会友のYさんが作業を手助けしてくれたから、小生は法面の草刈りだけ行い沈泥池を担当する。

 両側から堤を崩され植生も落ち込んで水面が見えない状態になっていたのを、除草を行い多少の整復も実施して見違えるような水路になった。しかし、このままではいずれは猪様の掘り崩しで水路が埋まってしまいそうなので泥水池3側に畦を1m程移動させて水路幅を広げる事にした。
 そうなると「水路」では無く実質は立派な「池」に格上しなければならないだろう。

 何時も記述する点であるけれど、集水路は干上がりが無い環境だから「生物リザーブタンク」として位置付けしており、そのためにも掘り崩しで埋没する様なサイズにしてはおけない。
 隣沢からの送水が滞って、この谷地の水域が干上がっても、ここだけは湛水状態を保っていけるからである。

      ➡       ➡   

 

この差ってなーんだ!

2018-10-13 | 小人閑居して憮然
 猪豚を放獣してしまった結果、農作物だけでなくフイールドの損傷も止む事が無い。農作物は収穫に至らない結果をもたらすが、フイールドは補修、再補修とこれも止む事が無いのである。癪に障るのは非農耕地でなく農耕地を荒らすのと同様にフイールドの基盤を為す部分を破壊し続ける事にある。

 環境復元に労力を費やし造成した堤や畦、あるいは植樹したばかりの若木等ばかりが狙われるのである。人の手が入った場所でも年月が経過して安定した植生の部分は見向きもしないで急所ばかりが耕地のごとく耕され崩されていく。
 土は柔らかいし餌となる生物も棲み付きやすいからだと理解はしていても腹は据えかねる状況である。つまりは「その差は何なんだ?」と問われれば「難なんだ!」とアーナンダは答えるであろう。

 写真は棚田の堤斜面とその下部の集水路の有様だが法面は野草で覆われる事も出来ず、集水路の横幅は150㎝に拡幅してあるが両サイドを崩されて埋まる一方である。
 この集水路は年間を通じ絞り水の流入があり隣沢からの送水が止まっても唯一干乾びない水域なので「生物リザーブ池」と位置付けていてもその条件さえ危うくなっている。

 結局、少しでも埋没の影響を避けるために再度の拡幅を行う心算があるけれど、13m程の畦を移動する手間を考えるとなかなか腰が上がらない。

 棚田の法面   集水路の埋没      掘り起し無し、隣接の対照区

棚田での場外搬出

2018-10-12 | 水辺環境の保全
 いつも通り隣接グループの棚田を手入れする。刈り払ってあったイヌビエやコナギを場外搬出したのだ。二種の繁殖力はすさまじく除草しないと1シーズンで田圃一面を席巻する。
 それだけなら許せるのだが水域の下流部は泥水池やトンボ池があり、ここに種子は流れ込むから更に繁殖域を拡大させる事になる。コナギやイヌビエの除草は水域に立ち入って行わねばならないから結構大変なのである。

 イヌビエは刈り払い機で刈り倒し、コナギは造林鎌で根元から刈り取った。根こそぎ抜けば再萌芽は無いのだが、その手間と姿勢を取りたくない。刈り払って既に10日余り、コナギの株からは新たな花が見える。紫色の綺麗な花なのだが見とれて温存するとえらい目に遭ってしまう。まあ、美女に見とれてけつまずく様なもんだろう。

 レーキで集草しておいたものをフォークで畦の一輪車まで運び、今回は野草の生育著しい区域に運んだ。それでは野草にエネルギーを与える事になり繁茂を助ける事になるのだが、刈り草を入れ込む事で猪様の掘り返しが始まる。有機質の多い土壌を好んで掘り返すから野草の生育は抑制されるはず、なのだ。 これは経験則だけれど、猪様の指向に遭うのかどうか、掘らないで欲しい場所しか掘らない性向があるから、さてどうなる…。

                     仮り集草  ➡    搬出終わり

*「一草忌」に本句盗り…

2018-10-11 | 温故痴新
沈み行く夜の底へ底へ直ぐ寝落ち
              沈み行く夜の底へ底へ時雨落つ

キツツキは打つわたしは棚田
              鴉啼いてわたしもひとり

どうしようもないししが荒らし歩いてゐる
              どうしょうもないわたしが歩いてゐる

もう冬がきてゐる霜やけあかぎれ
              もう冬がきてゐる木ぎれ竹ぎれ

ころりと大の字に千の風
              ころりと寝ころべば空

青春の闇になほ獣道あって藪
              青葉の奥へなお小径があって墓

いつも刈り払う草が咲いたり実ったり
             いつでも死ねる草が咲いたり実ったり

うらうらほろほろ青春おちていく
              うらうらほろほろ花がおちる

けふはここまでと大鎌を研ぐ
              けふはここまでの草鞋をぬぐ

しぐるるやしぐるる池で泥浚い
              しぐるるやしぐるる山へ歩み入る

しみじみ食べるふきみそだけのこしひかり
              しみじみ食べる飯ばかりの飯である

すべってころんで肋骨ぽっきん
              すべってころんで山がひっそり

もりもり盛りあがる雲の下げりら
              もりもり盛りあがる雲へあゆむ

わかれてきた道が青春
              わかれてきた道がまっすぐ

刈りすすむほかない草の実つけてもどるほかない
              歩くほかない草の実つけてもどるほかない

ホントに久しぶりのツルニンジン

2018-10-10 | 今日は真面目に
 久しぶりにツルニンジンの花を見た。何年も前の事になるがテレビ番組で「ツルニンジンは朝鮮ニンジンより効果がある」なんて紹介をされ、やたらと盗掘三昧に興じる手合いが入った結果、通常の活動域では全く花を見る事が出来なくなっていたのである。

 盗掘していたある人は落葉期に根茎を掘り取っていた。知らんふりして尋ねてみると「ツルニンジンは朝鮮ニンジンより効力が強い」なんて事を言いつつ「放映していた」なんて事も付け加える。
 常識的に落葉期にツルニンジンの在処を見出す力量は無いはずで「プロ」と判断したのだが、だからと言って盗掘防止になることでもないのである。

 そんなわけで5年以上は見る事が出来なかったツルニンジンの花であるけれど、さていつまで存在するのか、見出せば直ちに失われる心配をしなければならないとは因果と言うしかないのだろう。

                     

こけら版「とりこし苦労」15 (エピローグはコマドリ)

2018-10-09 | 旅行記
 とりこし苦労で終わった探鳥だった。当初は探蝶だったのだけれど蝶の少ない風土では宗旨替えも方便である。まあ、拘る理由もないのだ。

 当地にいる時よりダントツ容易に小鳥に出合えたしケータイで撮影も出来た環境とは考えさせられる。「爺も歩けば鳥に当たる」感覚で、家の窓越しからでも日長一日眺めていられた。新聞・ラジオ・テレビは勿論の事、自販機、コンビニさえ無い二週間を退屈もせず過ごせたのは、こんな環境に由る処が大きい。

 現地では「ロビン」と言っていたが、いわゆるコマドリで「ヒンカラヒンカラ」と聞き倣し出来るかと思ったけれど無理だった。聞き倣しより色彩の美しさに見とれた小鳥で、写真では遠かったり暗かったりしてシャープさは無いけれど、至近で見ていると美しい小鳥には違いない。

 「ロビン」と聞くたびに「ロビンフットのロビンか?」と思ったりもしたが英国ではないから聞くだけ野暮かとそのままになっている。

                        

流下体の回収

2018-10-08 | 小父のお隣さん
 泥水池からの流路落ち込み部に流下してきた泥鰌を回収する。シーズン数回は実施して最上部の水域、上の池に戻すためである。
 今回の回収は6匹と少なく、シーズンも終わりを思わせる。その中に1匹だけホトケドジョウが入っており、家の池に放そうかと気の迷いもあったけれど全数を上の池に放流する。カワセミやサギ類の餌になってしまうう可能性も高いのだけれど、それもあっての水域なので繁殖できる環境を用意しておけば良いだろう。
 そのための投資みたいなものである。そう考えると小生は結構な財産持ちと言っても良いか…。
 いやいや、「どーじょう、お食べください」とまあ、篤志家だねぇと爺我自賛。

トンボ池の取水堰

2018-10-08 | 水辺環境の保全
 トンボ池の取水堰が水を止めきれなくなっている。浸透圧や生物侵食で漏水が多発しているのだ。関の上流部に粘土を圧着させた程度では収まりがつかなくなって、ようやく改修に手を出した。

 今までは丸太と厚板を杭で止め、オーバーフローによる浸食を防ぐためにコンクリート廃材を並べ出水時の守りにしていた。
 この丸太を撤去しブロックで仕切り直しとするプランである。丸太は用いやすいが断面形状から下部の漏水が発生しやすく、イモリやカニ類の生息で更に侵食されてしまう。これをコンクリートに置き換えれば漏水し難くなると読んだのだが、結果は半年もすれば判明する。

 軽量ブロックは1個100円程度なので購入しても良かったけれど、投棄されたコンクリート廃材の中に使えそうな形状があったから堰の横幅約1mになる様に用意して基盤層に据え付ける溝を穿ち据えてみた。これだけでは強度も弱いので、今まで使っていたコンクリート廃材を下手に据え重力ダム形式で押さえと流路を作った。

 隙間には粘土を踏み込み水漏れを防ぐ算段をしたけれど、流出していくから時々は修復の必要がある。けれども仕切りに据えたコンクリート躯体は基盤に溝を削り据えてみたから、今までより手入れの必要が減るだろう、と皮算用しているが、相手は水物だから希望的観測でしかない。まあ、フイールドの手入れなんてものは自転車操業に他ならないのである。

 着手前  ➡   取り換え完了         下流部から望む




江戸っ子だってねえ、寿司喰いねえ!

2018-10-07 | 水辺環境の保全
 二日がかりの断水復旧作業の結果、ようやく通水し吐水口から水が出るようになった。「雨が降れば送水が止まる」状況は変わらず、破壊された堰堤を修復する意思は行政には無く、何時、使えなくなるか判らないストローを利用せざるを得ないのが現状である。

 今年、何回目になるのかエンジンポンプによる強制通水なのだが、今回は通水に合わせ更に排砂バルブも開けてみた。滞ってからバルブを開けても効果は無いのが経験則なので「逆もまた真なり」と送水水量最大の時に排砂バルブを開ければ排砂機能も最大になるだろう、との思惑だ。

 送水管途中に排砂バルブ6か所あるが、取水升から沢を下り切ったところに在るバルブが№1で、水準で見れば一番低い。№6は一尾根越えたところに在り管路は上昇する地点になる。残りの4カ所は尾根超えの配置だから上下動が安定しない設えで山なりに設置されている。
 この部分は藪化が進み獣道が縦横に走る。そんな状況だからマダニも怖くて保守点検でも入りたくない場所になってしまった。

 それでも今回は1番、2番を開けてみたけれど水質に濁りは無く排砂の要は無かったことが分かった。尾根を乗り越えた5番を開けたらしばらく濁り水が出てくる。結果的に5番と管が上昇に転ずる6番の操作が効果的な様に思えた。5番は尾根を越えて下がる場所なので砂泥は下がり切った場所に沈殿するより上り状態の管内の方が沈降しやすいのかもしれない。
    1番排砂バルブ     2番排砂バルブ    5番排砂バルブ

 今回の復旧で吐水量は毎分27ℓを計測した。今までは24ℓが最大値と認識していたから効果はあったと言えよう。たかだか毎分3ℓでも1時間で180ℓ、24時間で4320ℓとなるから馬鹿には出来ない水量である。滴りも溜まれば池になる。

 ゲリラ豪雨が多発する気象状況が多くなってきた昨今、水源地の河床安定化作業、いわゆる「谷止工」を早く済ませたいのだが思うようにはいかなくなってきたのが現状だ。作業は水物、終わりがあるとすれば小生が放棄した時だろう。投げ出さなくても維持不可能となれば積み重ねてきた生物層は全滅する。義務や責任のない範疇であっても信義則に引っかかるものがある。

 比較にもならぬが歌丸翁の晩年、あの身体状況で高座に上り続けた心持と言うものを何となく分かる気もしてくる。小生は高座でなく泥座だけれど芸事も水系保全も終わりなど無いのだ。

種なし果実なら良いのにな!

2018-10-06 | 何よりの楽しみ
 味覚の秋である。好き好きは人さまざまであろうが、小生は栽培種でなければ東はアケビと西はイガホウズキを横綱に挙げる。小生にとってのグルメやご馳走はこの程度なのだ。

 当地にも三つ葉アケビはあるのだが五葉アケビの方が優勢で食用には不向きである。故にアケビは郷里の次兄が送ってくれるのを心待ちにしている。フルーツとして考えてみれば穏やかな甘みが和風で好ましいものの9割方は種子であって、その周りの果肉を「すわぐる」しかない。
 種子だけになったのを「プーッ」と吹きだすのも楽しみだけれど田舎住まいでない身では、そんな場所も周囲に無くなってしまった。
 食べるたびに思うのは「突然変異でも良いから種なしが欲しい」と言う事で、種の無い甘いゼリー質をかぶりつければ幸せこの上ないフルーツになるだろう。

 もう一方のイガホウズキは知らない人の方が圧倒的多数だろうし食用にするなんて「阿呆の極み」と思われるかもしれないが「微妙な味わい」がなんとも言えないのである。更に微妙な味わいがする果実に「コウゾ」の実があるが、これは願い下げたい。

 このイガホウズキは野草だし畑の雑草でもあったけれど、郷里での時代、草取りで抜き取り事はせず下草として残していたのが通例だった。だから夏の草取りでの楽しみはこの果実を摘まむ事で、田の草取りより畑の草取りを好んだものだ。
 宿根草であるけれど庭では何時の間にか消えてしまう。それで果実のほとんどは播種用の種子として残し口に入れるのは幾つも無い。

 今期は既に採種は終えて後生りの果実を採ったからサイズは小さく不揃いであるが味は変わらない。主観的にも「阿呆な対応」で、食する事より栽培を維持する事に重きがいっている。本末転倒な事は認識していても「食べるためには種を存続させねば」ならないのだ。

 この果実もほとんどが種子で、せめて大スグリの様な種子か種なしになってくれたら大喜び間違いなしだろう。となると次の世代は用意できず栽培継続断絶だ。まあ諸事万端、種を播かずに収穫だけしたいとは無精者の骨頂で、何事もフルーツやスイーツの様に甘くはないと言う事であろう。
 しかしである、あの「まちぼうけ」の歌詞にあるような日々を送れる社会は平和そのもので幸せな社会なのだろうと、この歳になって思うのである。

吐水は明日のお楽しみ…

2018-10-05 | 水辺環境の保全
 隣沢からの送水が滞って遂に断水となった。無駄を承知で排砂バルブの操作をしたけれどやはり無駄骨に終わった。

 翌日は強制排砂・通水を行うためにエンジンポンプを用意して現場近くまで車で入る。残りはエンジンポンプを抱えて沢筋を取水部まで上る。いつも通りと言えばいつも通りで、40分程度の動力送水中は特段やる事もなく、蚊にまとわりつかれながら通路の草刈りをする。帰路くらいは足元の見える踏み跡を歩きたい。

 河床の安定化作業も中断したままで今季には完工したいと思いつつ重労作になるので踏み切れない。そんな事で河床と破壊された堰堤をつらつら眺めていたら妙案と思えるアイデアが浮かんだ。完工までは重労作である事に変わりはないけれど取水升の管理が楽になりそうなアイデアではないだろうか。とリあえず着手してみよう。

 それはともかく手順通り40分の強制送水を終え、吐水口に確認に行った。濁り水の出た痕跡はあったもののポンプで圧送吐水させた状態には見えない。取水升から送水ホースを抜いた後、陰圧を感じなくて「水が戻ってくる」圧力があった。その事と関係があるのかどうか、今までの感触と異なっている。

 念のため最終部の排砂バルブを開いてみた。濁り水が作業前より排出されてくる。とりあえず、ここまで通水しているのは確認できた。「水が澄むまで」としばらく吐水させていたら2回ほど変な物質が出てきた。モヤモヤとした藻の様でもありヒゲ根の固まりでもあるような性状体である。
 集水枡からこのサイズが入り込む余地はなく、管内で育った植物性の物なのか不明だったが、排出された砂泥を観察すると単なる砂泥では無く長径の茶色い沈澱物質が多く入っている。管内清掃はしばらく実施してなかったし高温だったから微生物の固まりなのかどうか…。
         ほぼ定量排水     ➡   正体不明の排出体2本

 さて吐水口から水が出てこないが、ゆるい傾斜を昇ってくるのに一昼夜ほど必要なので翌日吐水確認をする。それで吐水していなければ再度の強制送水の実施である。そのためポンプ一式は車載したままである。

今日のとんぼ「オニヤンマでは無いだろう」程度の認識

2018-10-04 | 小父のお隣さん
 取水地で台風24号の後始末を終え背負い籠を背負った時にヤンマ型のトンボが杭棒に飛来し産卵を始めた。往々にして「全くもうっ!」と言える状況は度々あるのだ。こんな時は「マーフイの法則」と言い聞かせて気を静める。

 距離1mではクイックな動きや大きな動きは厳禁で、胸ポケットのケータイをそーと取りだし数枚撮影したのだが、どれもボケて鮮明さが無い。どういう訳か「これだけは撮りたい」場面でボケるのが忌々しい。これも「マーフイの法則」と諦め背中の背負い籠を静かに降ろしてデジカメを出した。
 幸いにもトンボは産卵に集中していてピリピリもしていない。それで10枚ほど撮影出来たが使えるのは半分以下である。

 体長からオニヤンマではない程度の想定は出来たけれどサナエの仲間にしては大きい感じがする。まあ、どう転んでも種の確定は無理な小生であるから、この場面に遭遇し撮影出来た事を以て「これ幸い!」と思わねばならないのだろう。

               

 翌日の作業中にも産卵個体を見た。水辺より1mほど離れた朽木に産卵していた。恐らく同種かと思ったけれど、所詮は同定出来ないのだから「下手な判断休むに似たり」である。
       個体は左上の朽木、右下角が水流        朽木に産卵中、使いこんだ翅の傷み