トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

種なし果実なら良いのにな!

2018-10-06 | 何よりの楽しみ
 味覚の秋である。好き好きは人さまざまであろうが、小生は栽培種でなければ東はアケビと西はイガホウズキを横綱に挙げる。小生にとってのグルメやご馳走はこの程度なのだ。

 当地にも三つ葉アケビはあるのだが五葉アケビの方が優勢で食用には不向きである。故にアケビは郷里の次兄が送ってくれるのを心待ちにしている。フルーツとして考えてみれば穏やかな甘みが和風で好ましいものの9割方は種子であって、その周りの果肉を「すわぐる」しかない。
 種子だけになったのを「プーッ」と吹きだすのも楽しみだけれど田舎住まいでない身では、そんな場所も周囲に無くなってしまった。
 食べるたびに思うのは「突然変異でも良いから種なしが欲しい」と言う事で、種の無い甘いゼリー質をかぶりつければ幸せこの上ないフルーツになるだろう。

 もう一方のイガホウズキは知らない人の方が圧倒的多数だろうし食用にするなんて「阿呆の極み」と思われるかもしれないが「微妙な味わい」がなんとも言えないのである。更に微妙な味わいがする果実に「コウゾ」の実があるが、これは願い下げたい。

 このイガホウズキは野草だし畑の雑草でもあったけれど、郷里での時代、草取りで抜き取り事はせず下草として残していたのが通例だった。だから夏の草取りでの楽しみはこの果実を摘まむ事で、田の草取りより畑の草取りを好んだものだ。
 宿根草であるけれど庭では何時の間にか消えてしまう。それで果実のほとんどは播種用の種子として残し口に入れるのは幾つも無い。

 今期は既に採種は終えて後生りの果実を採ったからサイズは小さく不揃いであるが味は変わらない。主観的にも「阿呆な対応」で、食する事より栽培を維持する事に重きがいっている。本末転倒な事は認識していても「食べるためには種を存続させねば」ならないのだ。

 この果実もほとんどが種子で、せめて大スグリの様な種子か種なしになってくれたら大喜び間違いなしだろう。となると次の世代は用意できず栽培継続断絶だ。まあ諸事万端、種を播かずに収穫だけしたいとは無精者の骨頂で、何事もフルーツやスイーツの様に甘くはないと言う事であろう。
 しかしである、あの「まちぼうけ」の歌詞にあるような日々を送れる社会は平和そのもので幸せな社会なのだろうと、この歳になって思うのである。