トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

整姿剪定であるような、ないような…

2019-01-13 | 小人閑居して憮然
 原っぱ部のコナラやクヌギが大きくなった。若葉から落葉までの期間は林床は木漏れ日程度しか日照がないものの、落葉から若葉までの期間は疎林状態だから日当りが良い。
 その環境があるからこそ樹木が大きくなっても「タンポポ原っぱ」が出現してくれるのだけれど、植樹していない頃のような盛況ぶりは望めなくなった。それに更に輪をかけたように踏圧被害で裸地にしてしまう環境教育団体の活動には頭が痛い。

 樹木が育ち木登りに丁度良い状態になって、足元も平坦で周囲は広い。この環境を狙って押し寄せ、枝ぶりが手を掛け足を掛けられ易い生え方だと集中して木登りとやらを行うので、その周辺は周年禿げ状態のままである。
 「踏圧ストレスを与えない」なんて事は常識に類する範疇だと思うのだけれど「活動優先」しか脳みそに無い引率者らは注意も払わない。水辺の被害が我慢できなくなって遂にロープを張り巡らしたのも苦渋の選択である。

 小生も少年期は里山で木登りもしていたけれど植生が絶える程の事はしていない。今は歳だけでなく育てている樹木だから木登りさえ歓迎する気分にはならず「なぜ放任地で活動しないのか?…」はつねづね思っていたことでもある。
 今回、年の初めの身体慣らしに被害の大きい幹回りの枝を切除した。大人が手を伸ばして届く範囲に枝を残さなかったのである。普通に見れば整姿剪定で、通りの邪魔にもならず林床に日照が届きやすくなる剪定でもあるのだが、経過が経過だけに「意地悪された」と思われるのは必定!。

 まあ、理念や常識、信義則等が通用しない相手では、それが国家や民族宗教の間であればあるほど難しいのは、これも必然か。それにしても「それにしても…」が多すぎる。それにしても「それにつけてもアヤツは軽い」は嫌いだ。

         周囲は裸地状態のまま     ➡     左手奥まですっきりした

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