トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

「ニンジャーッ!」隠形の術・・・極まる!

2021-11-23 | 小父のお隣さん
 越冬蛹や幼虫も種によって姿や場所はまちまちなのだが、棲む場所が街なのは知らないもののお菊虫は自宅にぎょうさんくっついておる。これがまた派手で色彩もさまざま、「私ここにいます!。振袖よ!」てなもんや三度笠。まあ、毒々しいと言うべきかおどろおどろしと言うべきか、虫によらずけばけばしいのに「毒がありそう」なのは浮世も似た様なもので粉飾とは良く言ったものだが叩けば埃が出るという事なのかどうか。
 でもしかしチョウ類が鱗粉を纏っているのは「粉飾」であるとは露ほども思ってはいませんよ…。

 さてエノキの葉、まだ緑が残っている樹では食べている幼虫がいる。すべてがギリギリまで食べ続けるのかと思いながら越冬位置に座を決めた幼虫が居るかどうか確かめたくて眺めていたら数体を確認できた。葉の上で確認できた個体は2頭だけだったから、それに倍する幼虫が生息していたことになる。食痕はあっても簡単には視認できないのは保護色のお蔭だろう。

   



 保護色と言って良いのか擬態と言うべきなのか偽装なのかどうか判然としなくなったのは老眼や乱視のせいばかりではない生きる事にくたびれ果てた老化脳のストライキみたいなもんか…。
 一方で、先日に蛹化を開始した個体の様子を確認したくて立ち寄ったら、当然ではあるけれど蛹化が終わっている。そしてなんと見事な古色蒼然とした体表で枯れ枝の突起のように見せている。子細に見れば見る程、その筆のタッチに感心する。迷彩模様と一口で言えるけれど布地の迷彩模様など比較にならない芸術品で、ただただ眺めいってしまうだけだった。なんでこうなるのぉー。あの議員様たち、官僚様たちと全く同じなのではないかい。「類は供を呼ぶ」諺は知っているものの種を越えて繋がるとは、いやはや愚弄張極まれり・・・。

   

 このような姿を見るたびに忍者を思い出すのだが、フランス映画の「タクシー」だったか、狂言回しの警察署長の台詞「ニンジャーッ!」で再生されてしまう。もう摺り込まれているも同然で少々迷惑なのだが今更記憶の交換も出来ぬ。忘れてはいけない事は忘れ、忘れたいのは忘れない。「忘却とは忘れ去る事なり」棒脚とは疲れ切った事なり!。某脚とは雲隠れする早い脚の事なりけり。あの人、ボーナス200万円受け取るのだろうか。手も足も出せない議会は機能しておらず越冬幼虫に同じだ。それでも歳費満額獲るのだから、コロナ窮乏大拡散のおり「やらずぶったくりの」類で「ニンジャーッ」も泥炭火災のように拡大中。

 

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