午前中に取水升部分の水位を10cmほど下げる事が出来て泥浚いも終えた。これでエンジンポンプで排砂・通水作業が可能となったのだが翌日回しにせず午後に強制排砂をおこなうことにして昼食後に痛めた腰に湿布を貼りベルトを装着して再び出かけた。腰痛再発だから翌日回しにしたかったのだが水域は待った無しだし、腰痛は一晩経過したくらいでは改善しないので早めに通水を選んだのである。
エンジンポンプは小型でも重量物だから痛み初めの腰には悪いのは承知での作業である。現場で基本通りにセットして始動する。注水を開始したのに特に圧力も高くならず水が送られていく。いつもとは異なる出だしなのだったが「ラッキー!」の出来事として受け止めたのだった。しかし、ところがギッチョンチョン、最後は泣く羽目になったのはこの段階では知る由も無かった。
順調に注水出来ているから開放してある排砂バルブから砂泥は排出されて勢いよく水がほとばしり出ているものと信じて疑わなかったのだが30分間の注水後、排砂バルブを閉鎖し吐水口へ送水するための操作に行ったのだが、あろうことか水は出ていないのであった。もう「何で⁉、どうして⁉」と初めて出くわした、つまりは初体験に大いに戸惑ったのである。注水しているのに途中のバルブからは水が出ていない状態は「誰かが送水管路を切断したか、継手がはずれたか」のどちらかしか考えられなかった。
そこでポンプの出力を上げ注水量を増し水の漏れている場所の判別をし易くしてから管路に添って歩ける場所だけ歩いてみたのだが大半が埋もれたりネザサやノイバラの中になっていたりして水漏れ箇所の発見は出来なかったのである。これでは断水継続のままで通水させる作業が不成立のままにこの日は終わった。腰痛再発で座していると立ち上がる時が大変になって立ったままの方が楽な状態だから、漏水箇所の再探索を行なおうか「春の山ひねもすぶらりぶらりかな」と休息日にしようかと頭も痛いがまあ、我が人生、自転車操業・水商売だったなあ・・・。ホント午後も作業に励んだのに因果である。
しかしまあ、これが自転車操業・水商売の真骨頂というものであって、延々・粛々と手放さない孤爺は愚骨頂としか世間様は観ないであろう。傷心・憔悴回復に烏骨鶏の鍋でも頂ければ原状回復は成るだろうか…ならんだろうなあ。さて京都慕情だったか「・・・河原待ち」なんてフレーズがあったような、あれはまさしく孤爺の歌だったのだのう。