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トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

ポックリでなくポッカリ…いいえ、ほっこり!

2017-12-04 | 今日は真面目に
 まあ、言ってみれば余分な遊びで、多少の好奇心のせいでもあるか…。先に試作した下駄三種、歩く時の音が良かったから「ポックリ」風に作ってみた。
 「ポックリ」と言えば舞妓さんやら七五三やらで履く下駄と相場が決まっているようだけれど、このコンセプトは少々異なる。台は伝統様式の平面でなく三次元の立体曲面で、履き心地と歩きやすさを狙ってみた素人細工なのだ。

 下駄裏面に深い窪みを入れるのに道具を欠く小生では至難の業になるから、くり貫いて上板を張り付け成形した。人間工学的に観れば、台の曲面は自ずと解はあるはずだけれど、素人細工だからそこはアバウトである。履いてみて分かる、そんな水準の作業なのだ。

 なぜ「ポックリ」でなく「ポッカリ」なのか…。まず伝統的形態とは台が異なる事、またポッカリ穴を貫いて作った事に由るのだけれど、領域を転じて考えても「ポックリ」されれば「ポッカリ」してしまうのは人間考学的にも正しいのである。

 さてまあ、吐与太話や阿部衛話は横に置き、この試作品のコンセプトは「ほっこり」なのだが、こればかりは履いた人に委ねるしかない。
 当たり前だが、吐いた人や排他ひとにはかかわりは無い。出来はどうあろうとも「ハレ」の履物であり「腫れ者」に共通するコンセプトは全く無いのである。

 しかしなんだ下駄は道の上を行くが、昨今の「品格」はこの下駄に劣り「道」を行かない。つまるところ品格とは、主体に内在していなくては現れようもないのだ。残念だが腫れていく者に品格は伴わず落ちるばかりである。

 くり貫いた ➡  接着 ➡  仮り仕上げ