最近、雑談をした人が「私はテレビをほとんど見ない」と言っていた。テレビを観ない人はたまにいるし、テレビが家にない人もいるだろう。が、その人はテレビは家にあるらしい。ほとんど観ないがお笑い番組はみるらしい。ニュース番組とかは観ないそうである。確かに今のニュースはろくなものがないし、百害あって一利なしかもしれない。いやなものは観なくてなかったことにして楽しいものだけを観る。そういう見方(生き方)もありだろう。否定はしない。世の中に聖なるものと俗なるモノがあるとすればテレビは俗なるものの代表かもしれない。しかし100パーセント俗なるモノでもない。何パーセントかは聖なるものも含んでいると思う。
自分自身がずっと穢れなき聖なるもので居続けられたらいいのにと思うけれども、そんなことは有り得ない。聖なるものが聖なる者としての力を持つには俗なるモノがなければならない。一つの価値感と異なるものが存在して初めてその力を増すのだと思う。同じ価値観を持つ人(いい人)ばかりでは気持ち悪いし、違いが有るからこそ輝きを放つのである。
人は聖と俗の間を揺れながら生きているのだと思う。人によってはその触れ幅が大きい人もいるし小さい人も居るだろう。長い人もいるし短い人もいるだろう。 聖職者がとんでもない悪事を働いたり、悪行の限りを尽くしてきた人が突然、神父様(神に仕える人)になったりするのもある意味当然のことかもしれない。
僕はどちらかといえばテレビ大好き人間である。テレビから放出される毒(悪)を取り込むことで自分の中の聖なるものの威力を増幅させることができるのだという都合の良い考えでこれからもテレビを観続けようと思う。
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