バードマンズBAR改~むしろトリ

映画、音楽、アニメ、漫画、女優など興味あることについてつぶやきます。

雑想・妄想ノート

2011-04-14 01:13:54 | 日記

 ヨーロッパでは古代ギリシャ彫刻、中国では兵馬俑、どちらもリアルに人体を追求した彫像があるのに、日本の古代にはそういうものに該当するものが無いのは何故だろう。(あるのに知らないだけかもしれませんが)仏像がありますが、それも伝来してきたもので、日本固有のものではありません。それに仏像がリアルに肉体を追求した彫像であるかというと、さにあらず。仏教伝来以前、古墳時代に兵隊なんかを表現した埴輪がありますが、ギリシャ彫刻なんかに比べると程遠い抑えられた表現。日本人にそういったリアル系の人体表現をする能力が無かったということは考えられない。あえてリアルな表現を避けてきたのではないかと思う。じゃあそれが何故かといわれると明確に答えられませんが。

 アメリカンコミックと日本の漫画の表現の違いの中にもその片鱗を見つけることができる。特に注目したいのが「鼻」の表現。大抵のアメコミ又はバンド・デ・シネでも鼻はしっかりと描かれる。でも日本の漫画ではおそらく半数以上が鼻をごく少ない線や、点だけで表現される。(調べたわけではないので個人的主観です)中にはほとんど描かれないものもある。でもそれは読む人にとって(日本人読者)は鼻が無いという風に観る人は一人も居ないでしょう。ちゃんと顔の中に鼻を見ているわけです。描かずに表現するという離れ業。これは漫画というフォーマットの都合上多くの顔を描かなければならないので簡略化されただけということも考えられますが、それだけではないような気がします。ここに日本人の表現における独自性が垣間見えるのではないかと思います。最小限の線、点だけで表現するということは、それを想像力で補うということが訓練され、自然に出来るようになるということに繋がります。想像力が豊かであるから簡略化されるのか、簡略化したから想像力が鍛えられたのかわかりませんが。

 ただ、簡略化されたためにキャラクターの顔が似通ってしまって見分けにくいという弊害があることも否めません。海外の読者は、そのへんのことはどのようにクリアされているのでしょうか。

コメント
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