四季折々

~感じるままに~

思い出探し登山

2024-01-24 06:33:25 | 日記・エッセイ・コラム
一昨日の宮島弥山登山は、昔の懐かしさを探す登山にもなりました。
同伴者にはご協力頂き、59年前(20歳のとき)の思い出探しでした。

1965(S40)年2月13日の写真と、一昨日写したもの(カラー写真)を並べてみました。
その1 記念写真

とある学校の、同期生32人と教官6人です。

現在のこの位置は?

59年前と同じように見える松が写っていました。(それにしては大きさが?)

その2 登山競争スタート地点


現在のこの位置は?

ここに間違いないようで、「筋違橋」という名でした。
紅葉谷川にかかる橋で、「滝小路」と「柳小路」が交差する場所の近くにかけられているのが名前の由来とか。

その3 「がんばれ! あと少し!」と声をかけてもらった地点


後ろが私、前は同室のFさん。励ましあいながら走ったことを覚えています。

「上から写真撮影可能で背景の似たところ」を探しながら登りましたが・・・

石段の形状が変わって(埋め立てて)いるものの、ここだと思いましたが、

写真を突き合わせて見ると違うようでした。
他に2箇所の写真を撮って帰りましたが、そちらも
全く違うようでした。
山頂に近いところではなく、もっと下の方だったのかも知れません。

実は、今回の登山の前日、全国男子駅伝をテレビ観戦しながら、第3中継所の宮島口がアップされたとき、
ふと、「そういえば昔、弥山に走って登った」ということを思い出し、昔のアルバムをめくってみました。
懐かしい写真を見て、「明日の登山で写真に残るポイントを探してみよう」と思い立ったものです。
この競争は駅伝ではなく、個人・ 寮室(5~6人)別対抗で、

3期180人(寮室別は上位5人の順位集計)の競争だったようでした。
アルバムの端にその旨と、39位/180人、寮室
別団体5位入賞と記載していました。

厳島神社に参拝し、ちょっと遠回りになりましたが、早速スタート地点を見つけ、感動でした。
また、実際に大聖院コースを登ってみて、20歳のときとはいえ、よく走って登ったものだと感心もしました。
なお2005年に土石流災害が発生し、仁王門より下方の登山道は一部付け替え工事がなされているようでしたが、
登る厳しさはあまり変わりないコースだったろうと思われました。

NさんOさん、ご協力ありがとうございました。
またの機会に、その3の地点をぜひとも探してみたいと思っています。
よろしくお願いします。


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