30年前の朝、何時と同じ普通に電車に乗り会社に向かうと日比谷線は前の電車がつかえて発車出来ず北千住駅は人が溢れはじめていた。
迂回して出社する為に急いで千代田線ホームに行き、並んで超満員の電車に乗り込んだ。
日比谷線不通の原因はアナウンスがなかったような気がする。
千代田線は新御茶ノ水駅近くになると、車内放送で窓は全部閉めて決して開けないようにとアナウンスがあった。それが何の為になのかは、説明がないのが不審に思ったけれど、強い口調のアナウンスだったのを覚えている。
車内の空調も切られたような気がする。
さらに日比谷、大手町や霞ヶ関、国会議事堂駅は止まらずに通過したように記憶している。
会社にはかなり遅れて到着。
当時は情報を知るすべがないので、何も知らないまま遅れた仕事を始めた。
そして会社に親や家内から安否確認の電話がありこの重大事件を初めて知った。
この日が定例の朝MTGであったら、悲惨なサリン事件に巻き込まれていたかもしれない。
ちょっとしたタイミングの違いで人生が大きく左右する事を感じた日でもありました。