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今日の筆洗

2019年10月18日 | Weblog

 一九六四年東京五輪の聖火最終ランナーは広島県三次市出身で広島原爆投下の日に産声を上げた坂井義則さんである。ご記憶だろうか。どっちの手で聖火台に火を付けたか▼右手である。聖火台に向かって左側に立ち、右手で点火している。リハーサルでは逆だった。左手を不浄と考える宗教に配慮し、直前に右手に変更となったそうだ▼坂井さんはあわてたというが、今回の変更に比べれば、さほどの苦労はなかったか。来年の東京五輪の男女マラソンと競歩である。国際オリンピック委員会(IOC)は猛暑を心配し、コースを東京から札幌に変更したい考えで、どうやらそうなりそうな気配である▼大変な話である。時間がない。入場券は販売済み。東京の暑さを想定し、練習してきた選手もいる。これまでの準備は水の泡だが、選手、観客、ボランティアらの健康、安全のための判断ならば受け入れるしかあるまい。東京にこだわって、猛暑による事故などが起きれば、取り返しがつかぬ▼結局は有効な暑さ対策が見つからなかったということか。三〇度を大きく超える中でのマラソン、競歩。その危険を知りながら、ここまで来てしまった。IOCの判断は東京にとっての助け舟かもしれぬ▼坂井さんは直前の変更にとまどったが、「やるしかない」と開き直ったそうだ。札幌を受け入れ、準備を急ぐべきだ。やるしかない。

 
 

 


今日の筆洗

2019年10月09日 | Weblog
  脚本で確認する。「客席 茂吉老人と周吉夫婦-茂吉は耳に手屏風(てびょうぶ)をして一心に見てゐる。舞台から聞こえる某優の名調子…」。小津安二郎監督「麦秋」(一九五一年)である▼歌舞伎座の客席を移動撮影している。わずか二十数秒。さほど意味のある場面とは思えぬが、撮影した日が忘れられず、夢にまで見たという。亡くなった撮影監督の川又昂さんである。九十三歳▼「青春残酷物語」「砂の器」「黒い雨」。味のある映像が思い浮かぶ。日本の四季の空気や匂いまでをフィルムに閉じ込めることができた方だろう▼「麦秋」には撮影助手として加わった。小津監督は「画の構図が崩れる」と車にカメラを据える移動撮影を嫌い、どうしても必要な場合は動きにムラがないよう徹底的にこだわる▼川又さんが花道を移動する車を押すが、監督はなかなかOKを出さない。やり直しに次ぐやり直し。食事もできず、パンをほおばりながら車を押すとカミナリが落ちた。「侍の子は腹が減ってもひもじうない!」(『キャメラを振り回した男 撮影監督・川又昂の仕事』)。些細(ささい)なシーンにも一切妥協しない小津監督の情熱がその人に受け継がれた▼戦争中で映画の道に進むことに誰もが反対したそうだ。「一回限りの人生だから、好きなことをおやりなさい」。お母さんだけが背中を押した。映画ファンはお母さんにも感謝する。 

今日の筆洗

2019年10月08日 | Weblog
  「ああ根来よ、それにしても国鉄は弱かったよなあ。本当に弱かった」▼国鉄とは現在ヤクルトの国鉄スワローズ。かつてバッテリーを組んだ根来広光捕手への弔辞の中で、その大投手は国鉄の弱さをなおも嘆いていたそうだ。大投手も亡くなった。金田正一さん。八十六歳▼通算400勝、奪三振4490。投手の肩をいたわり、連投などもってのほかという時代を思えば、永遠に破られぬ記録だろう。高度成長期に似合った荒っぽい野球が懐かしい。長身からの直球とカーブ、ドロップ。直球は160キロ近かったという証言を信じる▼作家の山口瞳さんはかつてこう書いた。「西鉄の稲尾(和久)、巨人時代の別所(毅彦)というような人が登板すると球場がパッとはなやかになったものである。なぜか。この人たちは適当に打たれるからである」。適当に打たれても勝つ。それこそがエースだと▼国鉄のエースにそんな余裕はなかっただろう。得点は期待できぬ。国鉄時代の267敗のうち123敗は自責点2以下。2点に抑えても半分は負けとなる▼400勝に123敗を足してみる。世界記録、サイ・ヤングの511勝を上回る。もしも国鉄に入っていなかったら。やめておこう。打てぬ国鉄だから一点も許すまいと闘志を燃やし、走り込み、投球を磨いた。通算298敗。それも、また破られぬ「栄光」の大記録である。