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今日の筆洗

2019年10月25日 | Weblog

 太平洋戦争初期のミッドウェー海戦は、連勝を続けていた日本の転機となる大敗北だった。生還した従軍記者牧島貞一は兵士の間で生まれた共通の認識を書き残している。<意見は一致していた…恐るべき事実だった。日本はまけるかもしれない>(『ミッドウェー海戦』)と▼三千人以上が戦死し、空母四隻を失った。軍は兵士に海戦のいっさいを他言するなと命じている。多くの敗因が挙げられてきた。緒戦の連勝による軍のおごりがあったと、指摘される。暗号が解読されて、作戦が筒抜けになっていたのに気づかず、迎え撃たれた。米軍との根本的な戦力や技術の差もあったようだ。太平洋戦争そのものの敗因を象徴しているようでもある▼その海戦の悲惨さをよみがえらせるニュースが数日前にあった。日本が失った四隻のうち、世界屈指といわれた「赤城」と「加賀」を米調査チームが発見したという▼画像が胸に迫ってくる。全長二百数十メートルの赤城は船首から船尾まで残っているように見える。若者ら多くの命とともに、水深五千メートル超という海底に、八十年近く沈んでいた。深海の墓標であり、鋼鉄の「碑」のようでもある▼<山田、白根、大森…命を捨てていった人びとのことを思い出してもらいたい>。赤城に乗っていた牧島は、兵士らの名を挙げながら書いている▼碑に読み取れる文字は、「過つな」だろうか。

 インド洋作戦中の赤城の飛行甲板(1942年4月)
赤城