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今日の筆洗

2019年01月15日 | Weblog

 その学生は友人と話し込んでいたそうだ。その時、空襲を受けた。学生は本来入るべき防空壕(ごう)ではなく、友人の入る防空壕にやむなく逃げた▼空襲後、自分が入るはずだった防空壕を見に行った。中にいた者は死んでいた。「ばかやろう。こんな戦争はやめだ、ばかやろう、ばかやろう」。学生は涙を浮かべながら怒鳴っていたという▼一九四四年十二月、名古屋での空襲。学生とは九十三歳で亡くなった、哲学者の梅原猛さんである。「あるときは歴史学者、あるときは国文学者、あるときは宗教学者」。ご自身の評だが、幅広い分野を哲学という一貫した視点で包み込む。その手法で独特にして奥行きある梅原日本学を築き上げた▼法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮魂するための寺であるとした『隠された十字架』など権力に恨みを抱えた怨霊が研究上の大きなキーワードになっていた▼「世阿弥やオオクニヌシの怨霊に乗り移られ、毎日楽しく仕事をしている」。十年ほど前、本紙連載の「思うままに」に書いていらっしゃったが、自身もやはり「知の怨霊」だったのかもしれぬ。おそらくそうなったのはあの「ばかやろう」と叫んだ日ではなかったか▼むごい戦争。生と死。日本人とは、人間とは何か。それが知りたい。その情念が長きにわたる研究へといざなったのだろう。そして知の怨霊は残した成果の中で永遠の存在となる。

 
 

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今日の筆洗

2019年01月14日 | Weblog

 「君たちには無限の可能性がある」-。成人の日である。新成人に日本中でこの言葉がかけられているかもしれない▼門出を祝う日に水を差すつもりは毛頭ないが、脚本家の山田太一さんはこの「無限の可能性がある」が苦手だそうだ。「大人が若者を無責任に励ましているようで本当にいやな言葉だと思います」とまでおっしゃる▼第一にリアリティーがないという。人生はままならぬ。だれもが無限の可能性を生かして成功を収められるわけではない。能力も同じでもない。運もある。その言葉は失敗した人に向かって無限の可能性があったのに「その分の努力が足りなかった」と言うのと同じではないかとおっしゃる▼新成人を励まそうとその言葉を使っているのだろうが、なるほど「無限の可能性」と言ったところで最近の現実的な若い人が信じてくれるかどうか。かといって「無限の可能性はない」と通告するのもしのびない▼何か別の門出の言葉をと探せば心理学者の河合隼雄さんが「大人であるための条件」をお書きになっていた。「単純に他人を非難せず、生じてきたすべての事象をわがこととして引き受ける力をもつこと」だそうだ▼人の身になって考えるということだろう。思いやりや共感にもつながろうか。新成人に限らず、本物の大人が増えれば、ままならぬ世の中にも無限の可能性をつい期待したくなる。

 
 

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今日の筆洗

2019年01月13日 | Weblog

 今も昔もウナギは高価な食べ物で、歌人の斎藤茂吉がウナギの思い出を書いている▼訪ねていたお宅で、鰻丼(うなどん)がふるまわれたとする。この場合、客は全部食べてはいけない。「半分食べて、半分残すといふのは常識とされてゐた」(『茂吉小話』)という。今の人が聞けば、不思議がるだろう▼残った半分はどうするのか。もちろんお客さんが帰った後でその家の家族がいただく。「その残りを少年であつた自分などは御馳走(ごちそう)になつた」と書いている。こういうお客さんは昭和にも残っていたもので、子ども時分、お客さんが必ず残す寿司を期待して待った記憶が当方にもある▼客の心配りの「半分残す」ではなく、だれの胃袋にも入らぬまま、大量に残り、捨てられている食べ物があるという現代社会の非常識を聞けば茂吉さん、さぞや嘆くだろう。節分の恵方巻きが大量に廃棄処分されている問題である▼事態を重く見た農水省が十一日、コンビニなどの業界団体に需要に見合った販売を求めたそうだ。おそらく恵方巻きだけの問題ではなかろうが、もっともな要請で業界の取り組みに期待したい▼売りたいのは分かるが、作りすぎない取り組みが結果的に恵方巻きという風習を守ることになるだろう。恵方を向いて黙って食べれば縁起が良いとの触れ込みだが、食べ物を粗末に扱う行事では、だれも縁起が良いとは信じまいて。

 

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